2 ローリスク・ローリターン
私とマリオがリスボア支店に赴任して二日目。今日は第一王子ドゥアルテが、彼自慢の絹織物事業を査察させてくれるマリオと一緒に馬車で王子の蔵に向かっていた。
「王子が直々に案内なんてすごいね、姉さん。」
「外国の使節ならともかく私達は常駐なんだから、普通はありえないけどね。」
でもあり得る。ここは乙女ゲームの世界だから。
さすがに国王の長男が商家出身の私に手をだしてくることはないと思うけど。国母になる悪役令嬢に爵位がなかったら、身分は主人公といい勝負になっちゃうし。
とりあえず王子の自慢はマリオに受け答えしてもらって、私は実務に集中しようと思う。
馬車が立派なレンガの蔵の前で止まって、王子直々に私達を出迎えた。
「ようこそ、私の蔵へ。」
手を差し出してくる王子は、いかにも乙女ゲームの王子、といった感じの金髪の美男子で、威厳があるけど怖すぎない出で立ちに、キリッとしつつも鋭すぎない目が、『いかにも感』みたいなものを醸し出している。
「殿下自らご案内いただきありがとうございます。今日は絹織物の工場を見学させていただこうと思ったのですが、蔵というと在庫についての相談でしょうか。」
「いや、私の絹織物は人気が高くて、出荷するたびに売り切れている。生産が間に合っていないほどで、在庫はない。今回はステファニア嬢に追加出資を頼もうと思うが、その前に見せたいものがある。」
乙女ゲームにしては割と固い話し方をするドゥアルテ王子。でも脳に響く伸びやかな低音の声は素敵だった。さすが。
「在庫がないとなると、蔵の中には一体何が。」
「よく聞いてくれた。扉を開けよ!」
ドゥアルテ王子の掛け声で、レンガの蔵の重そうな鉄扉が開かれた。
「これは・・・」
私達の前には、金塊がピラミッドみたいに積まれてあった。相当な額になる。
「これが絹織物事業の利益だ。これを見れば、銀行側もこの事業が健全なことに納得してくれると思う。」
ドゥアルテ王子は颯爽としているのに自慢げに見える。ドヤ顔が爽やかなのはずるい。
「織物が売り切れているほど人気なのなら、なぜ利益を再投資せずに、金にして保管しているのですか。」
私の質問が意外だったのか、ドゥアルテ王子は言葉につまったようだった。
「・・・金は安全資産だろう。こうして利益を積み立てるのが健全ではないのか。」
「金は安全ですが、利息を生みません。金に投資するのは、物の値段が上がるときか、景気が悪化する見込みで他にいい投資先がないときです。リスクの高い投資をするときに損失を止めるために買う場合もありますが、今回は当てはまりません。」
ドゥアルテ王子はきれいな目をパチパチと瞬かせた。
「しかし、絹織物の生産を増やしては、今売り切れているものも売れ残るようになりかねない。」
「いえ、そもそも売り切れるというのは価格設定と生産規模が間違っているのです。『完売しました』というのは自慢になりません、むしろ計算のミスです。今回はもっと強気でいきましょう。生産を増やすか、価格を上げるかです。」
「ぐ・・・」
ドゥアルテ王子は悩ましげな顔をした。マリオが隣でハラハラしているみたいだけど、私は強気を貫いた。
「強気か・・・しかし金と違い、絹織物の相場が落ちるときもある。来年の蚕が病気で死ぬことだってあるだろう。」
「その可能性はありますが、今は品薄なのでしょう?ブームが去る心配をしている前に、売れるときに売っておくべきです。それに多少のリスクをとらなければ、リターンは得られません。金に換えるのも投資をしないのも、ローリスクですがローリターンです。第一、投資をするつもりがないのならなぜ融資を受けようと思ったのですか。」
そう、王子が融資したお金で何をしたいのか私にはわからなかった。
「ああ、絹織物の成功を踏まえて、麻織物に進出しようと思ったのだ。糸になってからは、工程は似ている。今の生産設備を使えると思ったのだ。」
「たしかに工程は似ていますが、原料調達先もマーケットも全く違います。今絹が売り切れているのに、なんでわざわざ未知の麻ビジネスに進出するんですか?大体、庶民の着る麻は絹と違って薄利多売ですから、今絹織物を織っているスタッフの多くを麻にとられてしまいます。絹の品薄は悪化するはずです。」
「そうなのか・・・」
ドゥアルテ王子はしょぼんとしているけど、どういうわけか格好いい。悲しげな目がキラキラしている。
こうしてゲームの登場人物に目を毒される前に家に帰らないと。
「以上の理由で、当行は麻事業への投資は差し控えさせていただきます。」
「しかし、麻事業に多少の不安があってもこの貯蓄があれば・・・」
あきらめの悪いドゥアルテ王子。
「貯蓄は担保にはなるかもしれませんが、銀行がお金を貸すのは将来の利益を見込んでのことです。だいたい、貯蓄はあるけど投資先の見つけられない人と、投資先があるのに貯蓄がない人をつなげるのが、私達銀行の仕事なんですよ。殿下が私達のサービスを必要としているようには見えません。現状で成功している絹織物事業に追加投資するなら、私どももお手伝いしますが。」
「だが、ようやく貯まったこの金塊を手放すのか・・・」
たまにいるのよね、こうやって貯金の額に満足してしまうお客さん。
「殿下、機会費用という言葉があります。この場合金は魅力的ですが、それを維持しようとすることで得られなくなる将来の利益があります。簡単に言えば、何も行動をとらないことで失うものがあるのですよ。」
「そうか、そうだな、絹織物をもっと多くの人々に着てもらえるよう、この金を使ってさらに人を雇おうと思う。」
ドゥアルテ王子はようやく納得してくれたようだった。吹っ切れた顔をしていて、けっこう絵になる。
「その意気ですわ、もし私どもの手が必要でしたら、また遠慮なくお申し付けください。」
「ありがとう。それはそうとステファニア嬢、結婚するなら堅実な男だとは思わないのか。」
王子がなぜいきなり結婚の話を振ってきた。なんだか興味津々な表情をしている。
「そうですね、もちろんいきあたりばったりで計画性のない方はお断りですけど、石橋を叩いて渡るような、チャンスがあってもモノにできない方もつまらないと思いますわ。」
「姉さん!!」
マリオが声を上げて、ふと私は目の前のドゥアルテ王子が落ち込んでいるのに気づいた。相変わらず格好いいけど。
「もちろん、殿下のことを言っているわけではありませんわ、おほほほほ!」
どうフォローしたらいいかしら。
ドゥアルテ王子は決心したような顔をして、私を見つめた。
「いや、ステファニア嬢に言われて目が覚めた。私は国王の長男であることを言い訳にして、挑戦を避けていたのかもしれない。事業でも、恋愛でも・・・」
「恋愛?」
あれ、少し嫌な予感が・・・
「ステファニア嬢、あなたは身分の違う私に物怖じせず、先を見通す懸命さをもち、何より信頼がおける。あなたを前にしたときの安心感、あなたと私が力を合わせれば怖いものなどない・・・」
まずいわ。王子の目が情熱的になっている。
「殿下、恐れ多くも私など商家の娘で、不安要素が大きすぎます。」
「ハイリスク・ハイリターンだな。まさにあなたが教えてくれたことを、実践しようと思うのだ。私はチャンスがあればモノにできる男でいたい。」
「殿下、色恋の文脈でそれはやめましょう。」
私の方に迫ってくるドゥアルテ王子。でも私はこのままゆっくり後退すれば馬車にたどり着く。
「ステファニア嬢、今まで臆病だった私の、新しいチャレンジ精神を認めてはくれないか。」
「その精神は絹織物に向けましょう。企画書をいただけるなら、そのスピリットを応援させていただきますわ。それでは・・・」
私が撤退しようとすると、ドゥアルテ王子は私の手をとった。痛くないけどしっかりした手付きで。傍から見たら映画のワンシーンみたいに見えているかもしれない。
「ステファニア嬢・・・」
「殿下、機会費用という言葉にはもう一つごく身近な意味があるのですわ。決して常に挑戦しろという意味合いではありません。よろしければ教えて差し上げましょうか。」
「ああ、教えてほしい。」
綺麗な顔が私に近づいてくる。耳元で囁かれる低音が頭の中で反響する。
「時間を無駄にするな、ということです。それではごきげんよう!」
馬車に乗り込んでドアを閉めた。礼儀には反するけど、それを言ったらレディの腕を取ってはいけないからお互い様。
「ははは、愉快だ!ステファニア嬢、私はあなたが気に入った!」
相変わらず文語体のドゥアルテ王子の笑い声を背にして、私を乗せた馬車は出発した。
「姉さん待ってー!」
後ろでマリオの声がする。回収するのを忘れちゃった。でも今戻りたくないから、後で向かえを出そうと思う。
とりあえず乙女ゲーム風のシーンから脱却した私は、馬車の革張りの背もたれにぐったりと寄りかかって、またため息をついた。