1 銀行家は信用が第一
私達の目の前で重そうな鉄扉が鈍い音をあげて開かれた。赤い絨毯と色とりどりのステンドグラスが目前に広がる。
「さあ行くわよ、マリオ!」
「待ってよ、姉さん!」
初めてみる王族の宮殿に弟はおどおどしているけど、この宮殿がうちの銀行の融資で建てられたと知っている私は動じない。
「マリオ、堂々としていればいいのよ、堂々と。こういう王侯貴族は宴や行進で銀行家を唖然とさせて、交渉を有利に持っていくのが常套手段なんだから。ここは兵隊を並べていないだけまだ良心的だわ。」
「姉さん・・・王宮なんて入るのも初めてなのに、なんでそんな悠然としてられるの?」
前世は外資系金融機関でバリバリ働いていたから、神経の図太さには自信があるわ、と弟に教えてあげたい。でも評判が第一のこの業界、ただでさえ女というだけで不利になる私が、そんな怪しい話は外に出したら仕事がこなくなる。
「この業界は信用が第一よ。おどおどした銀行家と取引したい人なんて詐欺師くらいでしょう?堂々としてればいいのよ、堂々と。」
呪文のようにさっきいったことを繰り返した。
「姉さんすごいなあ・・・」
弟が可愛い顔で私に感心しているけど、今はタイミングが悪い。
「こら、そんなぼうっとした顔を見せちゃだめよ。あくまで支店長はあなたなんだから。」
世間体のために、名目上の支店長は弟になっている。もちろんうちの頭取も取引先も私が仕事の大半をこなしているのは知っているけど、宗教上女性と取引できない商人もいるから弟の名代は大事。支店長になると前世の接待ゴルフみたいに接待ハンティングをさせられたりするから、ぼうっとしているけど人当たりのいい弟はとっても頼りになる。
案内係につれられて王宮の内部をくねくね歩き、国王陛下が控えているという部屋の前までたどり着いた。
「緊張してきた・・・」
「いい、堂々とするのよ、胸を張ってね。」
入るように合図があって、ドアが開かれた。私達は目を伏せたまま数歩進んでひざまずく。マリオは少し床の段差で突っかかったみたいだったけど、ひざまずき方がすこしドラマチックになったくらいで済んだ。そのまま挨拶に入る。
「サン=ジョルジョ銀行リスボア支店長マルカントニオ・ザッカリア、及び支店長代理で姉のステファニア・ザッカリア、ここに頭取ジョルジョ・アドルノの代理として、ご挨拶を申し上げに参りました。」
姉の、って余計なんだけど、噛まずに言えただけ偉い。ちなみに私の本当の名前はシモネッタ・ザッカリアなんだけど、前世日本人の私にはなんとなく違和感がありすぎて、仕事の上ではステファニアで通すことに決めている。
「顔を上げなさい。」
国王陛下のよく通る声がして、ここで初めて私達は国王夫妻を見ることができた。
赤いマントを羽織った国王陛下はふくよかな感じの赤ら顔で、大陸一の名君と言われている割には、前世の中小企業の社長を思い起こさせる親しみやすさがあった。優雅な紺の帽子をかぶっているけど、髪の毛は少しさみしい。
優美な金髪を左右に分けてティアラを載せた王妃殿下は、6人の母には見えないほど若く見えて、艶やかな微笑みは女優になれそうなくらいに綺麗だった。オレンジのドレスもよく似合っていて、すこし丸い顎が優しい感じを出している。
「若くして各地に産業を興した二人の評判は、この国にも聞こえていますよ。あなた方の父、パレオゴロス・ザッカリアには我が国もお世話になりました。あなたたちと仕事ができるのは、私も楽しみです。」
優美だけどどこか力強さもある高い声で、今度は王妃殿下がお言葉をかけてくださった。これは私が発言してもいいっていう合図かしら。
「ありがたいお言葉、恐れ入ります。微力ながら、この国のさらなる発展を精一杯お手伝いしたいと思っておりますゆえ、どうぞお贔屓いただければと存じます。なお細かなことですが、恐れながら、パレオゴロス・ザッカリアは私達の祖父に当たります。」
「まあ!てっきりパレオゴロスの子供の世代だと思っていたわ。孫となると、お二人はおいくつになるのかしら。」
王妃殿下が目を丸くして驚いている。
「マルカントニオ・ザッカリアは16歳、私ステファニアはもうすぐ18になるところです。父のミョウバン貿易を手伝い始めてから5年、サン=ジョルジョ銀行に入った後商品作物と絹織物を担当しまして、二年と半年になります。」
「まあ・・・」
国王夫妻がびっくりして言葉を失っていて、周りもざわめいている。前世の知識と経験をフル稼働した結果だから、不自然なのは当たり前かもしれない。もちろん身分と世襲がものを言うこの世界だと10代で将軍や領主をやっている場合もあるから、弟の任命も前例がないわけじゃない。
「子どもたちよ、お前たちと同じ年頃か年下であるにも関わらず、これほどの活躍をしている姉弟がいるのだ。鍛錬や勉学に励むのはもちろんだが、実践について見習うとよいだろう。」
国王陛下のありがたいお言葉につられて、私達は陛下が指を指した横を向いた。
5人の王子たちが色とりどりの華やかな衣装に身を包んで、椅子に座って並んでいた。いずれの王子も見目麗しい。
あれ?
全く違うタイプのイケメン王子が5人。兄弟にしては髪の毛の色がそれぞれ少しずつ違う。
国王に近いのが長男だとすると、いかにも王子といった堂々とした金髪の長男、気取ったインテリといった感じで茶髪の次男、ちょっと飄々としているけど爽やかで誠実そうなプラチナブロンドの三男、見るからに体育会系で筋肉が立派な黒髪の四男、子犬みたいな目をしたかわいいダークブロンドの五男。5人とも私を興味深そうに見つめている。
あれ?
「乙女ゲーム・・・?」
前世であまりやってなかったけど、5人が全員典型的な乙女ゲームの攻略対象に見えてくる。王子だし。
「どうかしたのか?」
国王陛下から私を気遣うお言葉があった。
ここで狼狽したらだめ。銀行家は信用が命なんだから。
「いえ、どうかお気になさらず。とても見目麗しい公達ばかりで、びっくりしてしまいました。」
「そういうあなたも凛としてとても美しいですわ、ザッカリア嬢、もし子どもたちに婚約者がいなければ、あなたを向かい入れたいところでしたのに。そう言えば、三男のエンリケはこの間婚約話が流れましたの。これは運命かしら。」
王妃殿下がおほほと笑い、国王陛下がにやにやしている。
「滅相もありません、私などジェノアの商家の生まれですので。」
普通なら私が応じに嫁ぐなんて話、冗談にしかならない。でもこれが乙女ゲームの世界だとしたら、なんでもありになる。
冗談じゃないわ!
今だって面倒な社交行事は弟にまかせているのに、これが王族になったら毎晩毎晩気を遣いっぱなしになる。仕事らしい仕事はさせてもらえないと思う。せっかく裁量の大きい支店長にしてもらえたばかりなのに。王族に嫁いだらできるだけ多くの男の子を産むことを期待されるだろうし・・・
「母上、エンリケが赤くなっていますよ。」
どの王子が発したのか分からないけど、横から声がした。ここでエンリケ王子の方を見てしまうと何かの物語がスタートしてしまう気がするから、あえて国王夫妻を見つめたまま話をおわらせにかかる。
「国王陛下、王妃殿下、私の前任者が残していた3つの開拓事業の採算見積もりにつきまして、私どもの方で査定を行わせていただきました。うち一つは規模の縮小をおすすめしていまして、もう一つは橋をかけることの経済効果があまりに楽観的に推定されていましたが、3件とも適切に運営すれば採算がとれると考えられます。書類は殿下の部下の手に渡っているはずですので、報告が上がり次第裁可をお願いいたします。」
「ほう、仕事が早い。」
スムーズな引き継ぎは大事。前任の支店長が幼馴染のパパだったから情報の共有は簡単だった。
どうやら純情らしいエンリケくんもこんなキャリアウーマンを前にしたら萎縮するんじゃないかしら。
「(マリオ!)」
さっきからぼうっと皇子たちを眺めていた弟に合図する。
「お近づきの印に、心づくしの品を献上させていただく思います。」
マリオにしてはスムーズに言えた。国王陛下のそばに控えていた衛兵に私が目で合図をすると、衛兵がマリオのそばまで献上品を取りに来て、そのまま国王陛下の前に差し出した。
「これは・・・」
「最新の羅針盤でございます。」
カーペットとか壁掛けも考えたけど、宮殿のインテリアがわからなかったから小さくて割れないものにした。王族が使う機会はないと思うけど、この家は新し物好きだと言われているから喜んでくれるんじゃないかしら。
「すばらしい出来の品だ。礼を言う。」
国王夫妻は目を輝かせて喜んでくれた。
「まあ、羅針盤はエンリケが欲しがっていたのですよ。これはもう運命としか言い表せないのではないかしら。」
王妃殿下は夢見がちなのか商家の娘を王子に嫁がせようとしているけど、冷静に考えればもっといい条件のお嫁さんがいるでしょう?
「母上、エンリケの顔から湯気が立っていますよ。」
まずい展開。はやく切り上げたい。
「本日は新任の私達を手厚くもてなしていただき、ありがとうございました。せっかくご家族が一同会されているこのご機会、私どもがお邪魔するのも憚れますゆえ、本日はこれにて御暇させていただきたく存じます。」
「まあ、子どもたちとお知り合いになれたらと思いましたのに。」
「分かった。今後ともよろしく頼む。」
王妃殿下は残念そうにしているけど、国王陛下はあっさりと私とマリオの退出を許してくれた。礼儀に沿って陛下たちに背中を向けないよう後ろ向きに歩いて部屋をでる。
「ふああ緊張したあ!」
「聞こえるわよマリオ!」
どっと疲れたみたいなマリオをなだめながら、案内人に連れられて宮殿の出口に向かう。
冷静に考えたら、乙女ゲームは障害を克服しながら身分違いの恋を成就させるものだったはず。初対面のわたしが王妃殿下に気に入られている、ということは・・・
私は主人公じゃない。婚約者になって悪役令嬢として王子と主人公の間を引き裂く悪いやつなんだと思う。普通はそういう役は名門貴族だと思うんだけど、まあ銀行家も一応エスタブリッシュメントよね。5人も攻略対象がいると一人くらいイレギュラーな悪役令嬢がいるのかもしれない。
王子が借金のために私を嫁に迎えなきゃいけない、みたいな展開になって、ひょっとしたら主人公が頑張って私という高利貸しの要求する借金を返すのかしら。それは第三者として見ていたいけど、ここが勧善懲悪の夢見がちな世界だったら、正当な利息を要求しているだけの私たち金融業者はひどい目にあう気がする。
婚約しない、それが大事。身分差があるんだから難しくないはず。この国はうちの銀行に多額の借金を抱えているけど、私は支店長代理であってオーナーじゃないし、結婚したからと言って踏み倒せる額はかぎられている。ただ個人的に投資でけっこう私財を増やしているから、王妃殿下にバレてないといいのだけど。
「待って、ステファニア!」
遠くからの声が廊下に反響した。
「姉さん、遠くで誰かが呼んでいるよ?」
「私には聞こえなかったわ。さあここから出ましょう。心の交流イベントなんていらないのよ。」
「イベント・・・?」
王子たちはあくまでビジネス・パートナーで、社交はマリオに任せる。
困惑した顔の弟の手を引いて、私は馬車に急いだ。