壱幕之六「潜入(せんにゅう)」
「――では佐久夜様、やっちゃってください!」
「えっ!? はっ?? 何をです?」
状況が呑み込めない私を、菊姫様は何故か目を輝かせながら、遠慮せずに、と云った雰囲気で見つめてくる。
私達の視線の先には、弾正台の裏門と衛兵が一人。え? やっちゃうって殺っちゃうってこと???
私がそんな物騒な事を考えていると、菊姫様が笑いを堪えられずに、吹き出しながら云う。
「佐久夜様、今、とんでもない事考えていたでしょう。違いますよ。そこまでしなくてもいいです。ただ、あそこから入りたいので、少しの間だけ、あの衛兵を何とかできませんか?例えば――」
そう云って、菊姫様は何とかする方法の候補をあげる。
ひとつ、時空の彼方に吹き飛ばす!
ひとつ、幻影を魅せて自我が戻らないようにする!
ひとつ、目潰し!
――いや、菊姫様も大概に物騒ですよ。と云うよりも、一体全体、菊姫様は私を何だと思っているのでしょう。これは、そう、あれだ。清澄様のせいだ。会って早早に、"神園流時空術"の中でも、特殊な術ばかりお見せしたから――
溜息を吐きながら「どれも出来ません(目潰しは出来るけど、衛兵さんが可哀そうなのでやりたくないという意味で)」と答えた。
ただ、菊姫様の要望はわかった。それならば――
私はどこか残念そうな顔をしている菊姫様に「ではやってきます」と云ってから、少し速めの動きで、裏門の衛兵さんの後ろを取ると、首筋に手刀を入れて意識を刈り取った。
崩れ落ちる衛兵さんを受け止めて、壁にもたれかけさせて座らせると、菊姫様の方を見て手招きをした。
「――凄いわね。私には速すぎて、ほとんど消えたようにしか見えなかった」
こちらに駆け寄ってきた菊姫様は、衛兵さんを見て「まさか、本当にやっ――」と云いかけたので、私はそれを遮るように「気を失っているだけです!」と強めに否定する。
菊姫様は、声には出さなかったが「冗談よ」と云う顔をして、裏門を潜っていった。私は衛兵さんをもう一度立たせると、背中から気合を入れて意識を戻した。そして、すぐさま裏門の内側で待っている菊姫様のところへ移動する。
これで衛兵さんは、少し居眠りしたくらいの感覚になるだろう。首筋に痛みは残るけど、まぁ、寝違えたとでも思ってくれる――といいな。
「佐久夜様、有難う。あのまま衛兵が気を失っていれば、本当に良くない人間の侵入を許したかもしれないし、見つかれば大事になったでしょうし。あれなら、大丈夫そう」
そう云って、菊姫様は悪戯が成功した子供のような笑顔を私に向けてくれる。そして、軽く辺りを見渡してから「付いてきて」と云って歩き出した。私はその後姿を追う。
昨日の夜、菊姫様は自分の過去にあった辛い事件の話をしてくれた。その後から、菊姫様の私への態度が少しづつ変わってきている。
まずは、口調が柔らかくなった。名から敬称は取れないものの、客人と接する訳でもなく、家人と接する訳でもなく、家族と接する訳でもく、でも、とても親しみを込めて接してくれている。
それは、私にとって、初めての感覚だった。そう、これがきっと、友人と云うものだ。
私はずっと"神宮"という狭い世界の中に居た。そこで、当主の娘であり、次期当主として育てられた。そんな私に、何も壁を作らずに接する事の出来る人は、少なくとも"神宮"には居なかった。
一葉さんとはお互いに、ある程度は気楽に接しているとは思うけど、最後にどうしても主従という壁がある。一葉さんは真面目な性格なので、どうしてもここは崩せないのだと思う。ただ、そこが彼女の凄くいいところだとも思うから、それ以上は求めてはいけない気がしている。
だから、私の個人的なくだらない質問に真剣に答え、過去の話までしてくれた菊姫様の、そう云った変化が凄く嬉しかった。
今も、いけない事をしているとわかっていても、胸が高鳴って少し興奮している自分が居る。菊姫様がいれば、何とかなる気がするし、後で怒られても平気な気がするから不思議――ああ、これが、この感情が、私の求めている答えに繋がるのかもしれない。
私は菊姫様の、小さく揺れる、馬の尻尾のように纏められた髪を見ながら、そんな事を考えていた。ふと、尻尾が止まった。「ここね」と云って、菊姫様が部屋に入って往く。私もそれに続く。
「今はほとんどの人が休憩しているから、暫くの間、ここには誰も来ないと思う。その間に、目的の資料を探しましょう」
私達は、菊姫様の父上、弾正少弼様から都での神隠し事件に関する資料は全て見せて貰った。
でも、大した収穫はなかった。起きている事は全て同じ。人が消えて、居なくなるという事だけ。
そこで、都以外で、同じような事が起こっていないのか弾正少弼様に確認したが、即答で、ないと云われた。
これに、私と菊姫様は違和感を感じた。予め伝えていないにも関わず、即答できたと云う事は、既に調査済みであるという事。調べているという事は何かあったに違いなく、それを探るために、弾正少弼様の職場である弾正台に潜入したのだ。
「――見て、佐久夜様。やはり、似たような事が起きているようよ」
そう云って、菊姫様は沈痛な面持ちで手に持った資料を私の方に向けた。私は資料を受け取って内容を確認する。これは――
「都の近くの村や集落の、そこに住む人が丸ごと居なくなっている――? しかも、四ヶ所も――居なくなった人数は推定で百五十人!?」
「――それだけじゃなくて、つい最近も起きてるみたい。父上が今、弾正台に居ないのは、その村へ調査に行ってるからみたいね」
菊姫様は、さらに新しい資料を私の前に差し出した。受け取って確認すると、一昨日、二十人程の村人が、一夜にして消えたという。
これで、五ヶ所。ここ二ヶ月の間で、都で三十人、周辺の村や集落で百七十人、合わせれば二百人もの人が消えている――
「菊姫様、都とその周辺がわかる地図はありませんか」
「あるわ。これよ」
「でしたらその地図上の、人が居なくなった村と集落の場所に、印を書き込んでください」
「わかったわ」
近くに在った小さな机の上に、素早く地図を広げると、菊姫様は書き込みをしていく。まずは都の北側、次に南西、次に北東、次に南東、最後に北西。都を大きく取り囲むように印が書き込まれた。菊姫様が、印を見ながら呟く。
「これは――円になっているのかしら?」
「そうとも見れますね。でもこれは――五芒星ではないでしょうか」
「五芒星? 五芒星と云えば、陰陽師の方が使われる?」
「はい。今回のような、同じ現象が三ヶ所以上で起きている場合は、かなり高い確率で、その中心に効果を齎す、何らかの術式が組まれている事が多いそうです」
「なるほど。それなら、陰陽師の方に話を聞ければ、何かわかるかもしれないわね。それならちょうどいいわ。陰陽頭様に会いに行きましょう」
「陰陽頭様?」
「ええ、陰陽寮の長官、つまり陰陽師の中で一番偉い人よ。先日の件で、私の居場所を占って、あの人に教えてくれたのよ。そのお礼がまだだったから、お礼を云うついでに、話を聞いてみましょう」
「――どちらかと云うと、話を聞くついでに、お礼を云いに行くように聞こえますよ。菊姫様」
私がそう云うと「う~ん。細かい事は気にしない!だって結果は同じでしょ?」と、菊姫は可愛く笑う。
「それにしても、やっぱり流石ね。私では地図で場所を調べようなんて思わなかったわ」
菊姫様は、資料を片付けながら、私に云う。私は首を横に振りながら説明する。
「いえ。これは清澄様に教えて頂いたんです。私はあまり詳しくありません」
「やっぱり、佐久夜様にとっても――清澄様は特別な方なのかしら?」
菊姫様は唐突にそう云った。私は「それは――」と云ってから言葉に詰まってしまう。
「特別――ではあります。唯一、昔から対等な関係を築けてきた方ですし、同じような境遇で、私の事をわかってくれる方でもあります。今は、同じ敵を倒すために一緒に戦う、大切な仲間です」
「でも――許婿でもあるのでしょう?」
「――はい。でも、そちらはまだ、何ともこう、想像できないのです。清澄様と夫婦になる事が――その前に、私はちゃんとした"神宮"の当主として認めて貰いたいですし――」
「ふ~む。なるほど。なるほど。中中、複雑な心境なのね――それなら、もしかしてまだ――」
最後の方は、小さな声で私にはよく聞こえなかった。でも、清澄様との事も、覚悟を決めなければいけない。いつまでもこのままでは駄目だ。
でも、私は何となくだけど、今、自分がどうするべきか、どうしたいのか、それが見えてきている気がしている。その為にも、まず、やりたい事がひとつ。
「菊姫様。昨日お話ししましたが、鬼眼五櫻の件があります。陰陽頭様に会いに行くのは構いませんが、慎重に進めましょう」
「そうね。確か実行犯は靑眼聳孤だったかしら。あの三人が隠しているのは、靑眼聳孤が実行犯である事の確証を得れた事と、他にも、裏でこの事件の糸を引く、首謀者を掴んだ事、だったわね」
「はい。元元、鬼眼五櫻の関与がわかっていたので、御婆様は私達を都に送りました。なのに清澄様はそれを隠した。たぶん、その首謀者と私達を接触させたくないのだと思います」
「わかったわ。とりあえず、こちらの動きはあの三人には常に伝えるようにしておきましょう。この後、陰陽寮に行く前に、屋敷へ人を出しておくわ」
「有難う御座います」
私のやりたい事。それはまず、靑眼聳孤を倒す事。そして、変えたいのだ。毎夜毎夜、夢に見る、父と母の泣き顔を――優しかった、あの笑い顔に――
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「――意中の女性を振り向かせるには、どうしたらいいんでしょうか?」
「――はあぁ?」
相談があると清澄殿に呼び出され、修練場の真ん中で、男同士が向き合って座り、真剣な眼差しを見てすわ何事かと思ったところに、こんな質問が飛んできて、私は思わず、あきれた声で返事してしまった。
「――ええっと。真剣に聞いてます? 何かふざけてませんか?」
「至って真剣です。本気です」
清澄殿の目は、確かに真剣そのものだった。ただ、正直なところ困惑する。というよりも、困惑しかしない。
「急にこんな質問をして申し訳ありませんが、これにはちゃんとした訳があるのです。まずは聞いてください」
そして私は、何故か清澄殿と佐久夜殿の馴れ初めを、たっぷりと聞かされる羽目になるのだった――
語られる清澄の熱い想い――次回、壱幕之七「恋話(こいばな)」
嘘です。
語られる清澄の推理による玄眼角端の正体。
次回、壱幕之七「勘検(かんけん)」