壱幕之五「覚悟(かくご)」
「――では、そちらの方でも、今日は特に収穫はなかったのですね」
菊姫が残念そうな声で云う。夜の報告会で、清澄殿は新たな神隠しが発生し、現場に向かった事は報告したが、鬼眼五櫻の事を伝えなかった。
私と一葉殿も、約束通り何も云わない。清澄殿は、私と一葉殿の三人で、玄眼角端を見つけ出し、事件の解決を図ろうとしている。
そして、私はその案に賛同した。つまりはこれ以上、菊姫も危険に巻き込まないという事になるからだ。
ただ、清澄殿は、最終的に靑眼聳孤については、佐久夜殿に任せるつもりのようだ。ならば何故、こんな回りくどい事をしているのかと云うと、玄眼角端と佐久夜殿を接触させたくないからだと云う。
玄眼角端――鬼眼五櫻の中でも、最も情報の少ない――というよりも情報がないのだという。他の四体は、少ないなりにも情報はあるが、玄眼角端には"神宮"の人間でさえ、今まで遭遇もした事がないそうだ。
さらに清澄殿は「何となく、自分に似てる気がするんです」と云い、こう推測した。恐らく、玄眼角端は、戦闘能力の高い武術家ではなく、智謀を巡らし、搦手を得意とする策略家であり術師である、と。
はっきり云って、佐久夜殿は一族史上でも最強で、相手が武術家であれば、まず負ける事はない。が、条件さえ整えば、確実に殺せるような業を持つ術師が相手の場合、これまで、その圧倒的な力で押し切ってきた佐久夜殿では、戦いの駆け引き次第では危ういのだ。
だからこそ、玄眼角端を、同じような術師である清澄殿が抑えている間に、靑眼聳孤と、佐久夜殿が真正面から戦えるように場を整えたい、というのが清澄殿の考えだ。
「――では、今日の報告会はこれで終わりでしょうか」
そう云った清澄殿に、菊姫が、珍しく落ち着かない様子で問いかける。
「はい。ただ、その――個人的に聞きたい事があるのですがよろしいでしょうか」
清澄殿は驚いた顔をして、菊姫の後ろに控えていた私を見たが、私は首を横に振る。全くもって心当たりはない。
例の何とも言えない表情になって、清澄殿は恐る恐る「はい。何でしょう?」と返事をした。
「あの――申し訳りません。大した事ではないのですが――皆様は"神宮"から来られたのですよね? しかし、清澄様は"神園流時空術"を遣って、私を助けてくださいました。ですが、佐久夜様も一葉様も、同じような術は遣わないようですし、流派が何故、"神宮"ではないのかが気になってしまって――」
なるほど。確かにそうだと思いながら、清澄殿をみると、ほっとしたような顔で、顎に手をあてている。これはどうも彼の癖のようだ。
「ああ――そうですね。隠す事でもないですが、わざわざお話するような事でもなかったので――それでは、いい機会なので、"神宮"と"神園"、そして"神龍"も含めた"神使三眷族"について、説明しましょうか。では、その前にまず、改めて自己紹介をしますね」
そう云うと、清澄殿は姿勢を正して菊姫に向かい合った。
「私は、第七代神園当主"嶺時"が一子。神園清澄と申します。そして、第八代神宮当主"佐久夜"様の許婿でもあるのです。正式な婚儀はまだなのですが、これから"神宮"の人間になる予定です」
「なるほど。それで――」
菊姫はそう云うと俯いた。私の居る場所からでは表情は読み取れない――だが、これは――
そう云えば、今回もまた、佐久夜殿が居ない。隣の部屋から感じる気配――これが佐久夜殿だと思うのだが、何故こちらに出て来ないのだろう。もう誰も話題にしないので、正直なところ聞きにくい――私のそんな思考を、清澄殿の声が遮った。
「では、私達の一族ですが、"神宮"と"神園"、そして"神龍"。この三つの一族を総じて"神使三眷族"と云います。"三眷族"の使命はたったひとつ。"異界の妖魔"を殲滅する事です」
「"異界の妖魔"――妖怪ではなくて?」
菊姫が当然の質問をする。清澄殿も、待っていたかのように頷きながら答える。
「そうです。今の妖怪等とは比較にならないほど、強力な力を持った異形の者達です。この世とは別の世界から"門"を通って現れたと云います。長く永く続いたその戦いを、我我は"妖魔大戦"と呼んでいます。ですが、その"妖魔大戦"も、今から四十七年前に終結しました。多大な犠牲を払って――」
ここで清澄殿は一旦話を切った。これまで全く手を付けていなかったお茶を少し啜ると、再び語り始める。
「"三眷族"にはそれぞれ特徴がありました。守護の"神宮"、時空の"神園"、戦闘の"神龍"です。"神宮"が防ぎ癒し、"神龍"が攻めて、妖魔を"門"まで押し返し、"神園"が"門"を閉じる。そうやって、"三眷族"は戦い続けました。気の遠くなるよな昔から、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと戦い続けて、漸く全ての妖魔をこの世から殲滅しました。ですが、"妖魔大戦"が終結した時には、最前線で戦っていた"神龍"の一族は、当主を残して全員が還らぬ人となり、"神龍"の一族は滅びました。そして、再び異界との"門"が開かぬようになのか、"神園"の力も徐々に弱まっていて、このまま"神龍"と同じように、滅んでいくのだと思います」
"神龍"――私は、たぶん、"神龍"を知っている。清澄殿の話は続く。
「ですが、"神宮"だけは力を失いませんでした。その理由はすぐにわかりました。鬼眼五櫻が現れ、それに呼応するように、妖怪が、鬼が現れたからです。それからは、"神宮"と鬼眼五櫻や妖怪、鬼との戦いでした。ですが、大きな問題がありました。"神宮"に伝わる"神宮流護神術"は守護の力、守り癒す力です。妖怪や鬼は問題ありませんが、鬼眼五櫻を倒す事は出来ませんでした」
"神園"は時空術、"神宮"は護神術、ならば"神龍"は――
私は清澄殿の話が途切れた時に、問いかけてみた。
「――少しよろしいでしょうか。もしかして、"神龍"は武闘術を遣うのではないですか?」
「ええ。何故それを――今は唯一生き残った、第九代神龍当主"千樹"様しか遣えない業です」
清澄殿は驚きを隠せない顔で私を見た。
「やはり、そうですか。私はその"神龍"の生き残った当主に会った事があります。というよりも、何年か一緒に旅をしていました。私の――恩人です。あの人は、千樹と云う名だったのですね。私達は"セン人"様と呼んでいました」
「それでは、貴方はまさか、乳母捨山の生き残りの――」
そう云って、清澄殿は、教えていないはずの私の名を呼んだ。
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「――清澄様は、嘘が下手すぎますね。あれで、私達を騙せているつもりですよ。菊姫様」
佐久夜様はそう云うと、心底、可笑しそうに微笑んだ。
あの三人が、何かを隠している事はすぐにわかったけど、私と佐久夜様は騙された振りをする事に決めた。それは、それぞれお互いの仲間を信頼しているから。
きっと、私達の為にと、考えてくれているのだから、無理に追及する必要はない。こちらはこちらで、やれる事をやるだけだ。
でも、あの人が私に隠し事をするなんて、百年は早い。後できっちりと締め上げておかないと駄目ね。まあ、清澄様の指示でしょうけど――
そうだ、あの人と云えば――
「不躾な質問で申し訳ありませんが――佐久夜様はあの人を避けていますよね。理由を聞いても良いでしょうか?」
佐久夜様は――私の護衛で、乳母捨山の生き残りであるあの人に会うのを、あからさまに避けている。
いつもにこやかな佐久夜様が俯いて黙ってしまった。やはり、これは聞いてはまずかったのだろうか――
「あの、無理にお答えして頂かなくても、大丈夫です。申し訳ありません」
「有難う御座います。お答えしたいのですが、私もうまく言葉が出て来ないのです。正直に云うと、私もどうしていいのかわからなくってしまっていて――」
そう云うと、佐久夜様は膝の上で両方の人差し指の先を、とん、とん、と合わせ、それを眺めている。何と云うか、そう、すごくもじもじしている。
年上の女性にこう云っては失礼になるかもしれないが、ものすごく可愛らしい。
「詳しい理由をお教えする事は出来ないのですが、先程の乳母捨山の件のように、私とあの方は、全くの他人と云うか、無関係ではありません。ですが、それをあの方は何も知りません。私達が一方的に知っているのです。まあ、それだけではないのですが、中中お会いする勇気が持てなくて――」
佐久夜様はそこまで云うと、指の動きを止めて顔を上げた。そして、今度は真剣な表情で問いかけてきた。
「菊姫様。以前に私がした質問を覚えていますか」
助けて貰った時に聞かれた質問だ。命の重さについて。私は小さく頷いた。
「あの時の答えを聞いて、色色と考えました。それで、もうひとつ別の質問をさせてくれませんか?」
私はまたしても、小さく頷く。
「第八代神宮当主を襲名した時に、御婆様から云われたのです。『条件が整ったから襲名させるが、お前にはまだ当主としての覚悟が足りない』と。でも、当主としての覚悟が何かわからず、私はずっと悩んでいました。そして、あの時、貴族でありながら、身を挺して母娘を守る貴方を見て、私は先代の当主であった母を思い出したのです。母と重なる貴方の姿に、何か手掛かりがある気がしたのです」
そこまで一気に云うと、大きく深呼吸してから、佐久夜様は問いかけてきた。
「貴方にとっての、貴族としての覚悟とは何ですか」
私は、佐久夜様に倣って大きく深呼吸をする。そして――
「私の覚悟。それは自分に嘘を吐かず、我儘に、全てを望んで行動する事です」
佐久夜様は、きょとんとした顔をしながらも「我儘に――ですか? 」と何とか絞り出した。私は意識して満面の笑みを作って「はい。我儘に、です」と答えた。
「――私はずっと、自分に嘘を吐いていました。父上の役に立ちたかったのに、市井へ出て、人人の暮らしを見たかったのに、女だからと自分を納得させようとした。母の事で、あの人を恨みたくなかった。憎みたくなかった。でも、そうしなければ心が壊れてしまいそうだからと、あの人を避けて、逃げ回っていた。でも、私は本物の覚悟を見たんです。それは他の誰でもない、尊敬する父上の中に――」
そして私は佐久夜様に話した。私と、母と、父上と、そして、あの人との間に起った事を――
「――だから、私は全てを望む事にしたのです。我儘に。父上の役に立ちたい。だから市井の人人を守ると誓った。だから強くなりたくて、あの人に剣を倣った。あの人を恨みたくない。憎みたくない。でも赦せない。だから、逃げずに、云いたい事は全部云うのです」
佐久夜様は、黙って聞いている。ちゃんと、真剣に聞いてくれている。私はそれを確認して続ける。
「――何でもかんでも、全ての望みが叶う訳ではありません。上手くいかなければ、批判もされるでしょう。恨まれる事もあるかもしれない。だからこそ、私達は望まなければならない。行動しなければならない。だって、望んで行動しなければ、何も叶いません。望んで行動しなければ、何も起こりません。望んで行動しなければ、誰も付いて来ません。どんな結果になろうとも、皆の幸せを望んで逃げずに行動する事。それが"覚悟"だと私は思います」
じっと聞いていた佐久夜様に私は「ご参考になりましたか? 」と聞いた。すると「何となく、わかってきたような気がします」と、まだ硬い表情ながら、少し微笑みながら、佐久夜様は答えてくれた。
「では、早速ですが、望んで行動しましょうか。悩みながらでいいので、佐久夜様も手伝ってください」
そう云った私に、佐久夜様は不思議そうに「何をですか?」と問いかけた。私はにやりと、自分でもわかるくらいに意地悪な笑みを浮かべてこう答えた。
「潜入調査です。弾正台に――」
菊姫と佐久夜は、新たな情報を求めて弾正台へ潜入する。
一方、染井邸では、清澄が深い溜息を吐きながら、護衛の男に相談をしていた。
次回、壱幕之六「潜入(せんにゅう)」