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櫻、そのすべて  作者: 涼楓堂
壱幕「偶然でも必然で在っても其処に在るのは出会ってしまったという事実」
5/11

壱幕之四「再度(ふたたび)」

「――姫様、今何と仰りました?」

彼方あなたには、私の護衛を外れて貰うと云ったのよ」


 菊姫が目覚めてから二日が経った今日、軽く汗を流したいと云われて、修練場にて剣の相手をしていた私は、不意にそう云われた。

 確かに、先日の事件では菊姫を守り切れず、任された鬼の相手も十分には出来なかった。だが――


「――そんな顔しないで頂戴。外れて貰うのは一時的に、よ。彼方あなたには他にやって貰いたい事があるの」


 私の心の内が顔に出ていたのか。まだまだ、修練が足りないなと思いつつも、ほっと胸を撫でおろす私を見て、菊姫はあきれたと云わんばかりの視線をこちらに向けて、しっかりと釘を刺す。


「まぁ、目の前で護衛対象をさわわれ、都でも有数の陰陽師に手助けして貰えるという、類稀な幸運に恵まれたのに救出には間に合わず、挙句の果てには、唯一の見せ場で助けるはずの母娘おやこに逆に助けられる始末――本来なら、首が飛んでもおかしくないわよ。猛烈に反省なさい」


 き、菊姫の言葉は本当に容赦がない。だが、それらは全て事実だ。主がこの方でなかったら、弾正少弼だんじょうのしょうすけ様でなかったら、今頃私はこの世に居ないかもしれない。

 菊姫は他の家人けにんには、このような事は全く云わない。むしろ、失敗した者を常に気遣い、優しく声をかける。だが、私には手厳しい。

 私に対してだけ違う態度をとる事に対して、菊姫が私の事を異性として意識しているのでないかと、邪推する者が屋敷内では多くいる。だから剣をならい、男装して都を走り回り、見合い話を破談にしているのだと。だがそれは全く的外れだと云っていい。これは仕方のない事なのだ。

 なぜなら、菊姫は私を恨んでいたからだ。憎んでいたからだ。そうした暗い想いは、簡単に消えるものではない。そう、簡単に消えるものではないのだ――


「詳しい話をするから、場所を変えましょう」


 菊姫はそう云うと、修練場を出て往く。私もそれに続いた。

 修練場とは庭を挟んですぐ向かい側にある離れに入る。中には一葉かずは殿と黒装束の男、清澄きよすみ殿が居た。

 神宮かみのみやから来たのは三人だが、最後の一人である佐久夜さくや殿に、私はまだ会った事がなかった。今日も居ないようだ――

 二人の前に菊姫が座り、私もその後ろに座る。最初に口を開いたのは、清澄殿だった。


「申し訳ありません。佐久夜さくやさんは、その、今日もちょっと――」

「構いませんよ。これからする話は、既に佐久夜さくや様には伝えていますし、了承も得ています」

「――なるほど。では、お話というのは?」

「今後の事件の調査ですが、父上から条件付きですが、正式に許可を頂きました」


 意外だった。あの弾正少弼だんじょうのしょうすけ様が、まさか菊姫の調査を容認するとは――

 顎に手を当てて、清澄きよすみ殿が「ふむ」と何やら思案顔で頷くと、静かに云った。


「その条件というのは、まぁ。我我われわれと一緒に調査する事――あたりですかね」

「その通りです。ですが、全員で一緒に行動していては効率が悪いです。なので、二組に分かれて調査したいのです」

「なるほど。では、どう分けるのですか」

「はい。まずは私と佐久夜さくや様で一組とします。私達は主に貴族を中心に情報収集をします。おおやけにはなっていませんが、貴族の子女にも被害が出ているのです」


 貴族にまで被害者が出ていた事は知らなかった。これは恐らく、弾正少弼だんじょうのしょうすけ様からの情報だろう。本当に菊姫に調査をさせるつもりなのか。

 私は清澄きよすみ殿と一葉かずは殿を見た。二人は特に驚いたという事もなく、菊姫の話を聞いている。


「そして、清澄きよすみ様と一葉かずは様で、都で神隠しが発生した現場の調査をお願いしたいのです。案内役として、この人を付けます」


 そう云って菊姫は私の方を見た。なるほど、やってほしい事とはこのことか。


「わかりました。確かに貴族への調査であれば、菊姫様が行う方がいいですし、現場の調査も、私の術がお役に立てるでしょう。ですが、護衛の方をこちらの案内役に頂いていいのですか」

「問題ありません。その為に、佐久夜さくや様に同行して頂きます。聞けば三人の中で佐久夜さくや様が一番強いとの事ですし。きっと、どこかの護衛とは違って、しっかり私を守ってくれると思っています」


 いつもながら、手厳しい。ふと、清澄きよすみ殿と目が合った。「大変ですね」と云わんばかりの何とも言えない表情でこちらを見ていた。

 どうにもし難い空気になってしまった。それを察してか、一葉かずは殿が軽く咳払いをしてから、早口に云った。


「――では、話はこれで終わりでしょうか」

「はい。では、それぞれ調査に向かいましょう。報告は、また夜にここで」


 菊姫は「じゃあ、宜しくお願い。お二人の足を引っ張らないようにね」と、私を睨みながら云った。私は「承知しました」と軽く礼をして部屋を出た。

 部屋から出てきた清澄きよすみ殿は、先程と同じ何とも言えない表情で私を見ていた――正直なところ、その顔はやめてほしい。一葉かずは殿は、今度は黙ったままだった。

 いかんともし難い沈黙を保ったまま三人で、神隠し事件の現場に向かう為に染井邸を出た。

 染井邸を出て暫くすると、目の前から男がひとり、物凄い形相で走ってくる。私を見つけると、真っすぐに向かってきた。何事だ?

 男は私の目の前まで来ると、息も絶え絶えに云う。


「良かった。貴方あなたは"菊弾正きくだんじょう"様の――大変です。また、起きました!」


 思い出した。この男は、以前に私が菊姫と一緒に情報収集の為に話を聞いた、被害者家族のひとりだ。


「か、神隠し、神隠しです。しかも、十人以上が同時に――」


 ********


「――清澄きよすみ様、これは、まさか――」


 一葉かずはさんが、心配そうな声で云う。きっと彼女も気付いたのだろう。この独特の気配に。

 私達が染井邸を出た後に、神隠し事件が起きた事を知らせに来た男性と会い、すぐに現場に向かった。事件発生からまだあまり時間が経っておらず、そこには犯人の残り香とも云える気配が漂っていた。

 事件発生からこれほど早く現場に辿り着けたのは、これまでの菊姫様の地道な調査のお陰だろう。菊姫様が真剣に調べている事が、市井しせい人人ひとびとに伝わっていて、新たな事件が起きた事を、こうしてすぐに伝えに来てくれたのだから。

 これだけ濃い気配が残っていれば――


一葉かずはさん、環憶残視かんおくざんしを遣うので、人払いをお願いします」


 一葉かずはさんは頷くと、案内役の男性と共に、手際良く現場から人を遠ざけてくれた。ここ数日、ずっと組手をしていたからか、二人はなかなか息が合っている。そういえば、彼の名前をまだ聞いていなかったな――

 そんな事を考えていると、少し離れたところから「清澄きよすみ様、終わりました」という一葉かずはさんの声が聞こえてきた。


「有難う御座います。では、始めます」


 私は両手で印を結ぶ。この手の結び方で、これから発動する術の方向性を決定する。今回は、左手を"かん"、右手を"ざん"にして結んでいる。

 ――神園流時空術かみのそのりゅうじくうじゅつ環憶残視かんおくざんし。その場に残された生物の残滓ざんしを拾い上げ、その場に居た生物の、少し前の行動をそのまま再現する事ができる術だ。

 ただし、"神園かみのその"当主の直系の血を継ぐ者にしか扱う事の出来ない、"刻神気こくしんき"と呼ばれる、特別な力で再現されるので、ほとんどの人間は、再生された内容を視る事は出来ない。この場ではもちろん、私にしか視えない。

 "刻神気こくしんき"は色がなく、水のようなものだ。それがゆっくりと、人の容姿かたちかたどっていく。今回は居なくなった人数が多い、明らかに不審な動きのない残滓ざんしは、邪魔になるので外していく。二つの影が残る。流石さすがに細かい容姿かたちまではわからないが、大まかな行動と、口元の動きがわかる。声は再現出来ないが、唇の動きがわかれば、何を喋っていたかもわかる――これは――

 今回の事件発生は、他の二人に協力してもらって、菊姫様と佐久夜さくやさんには、まだ伝えていない。私の予想が正しければ、今はまだ、佐久夜さくやさんを現場には連れて来たくなかったからだ。そして、その判断は正しかったようだ。


 ********


「――菊姫様と佐久夜さくやさんと別行動になって、ちょうど良かった。貴方あなたに聞きたい事があるのですが、よろしいですか」


 人払いの後、何かをしていた清澄きよすみ殿が、私と一葉かずは殿の元に戻ってくると、話しかけてきた。すぐに「もちろん。何でしょうか?」と問いかける。


「――質問をする前に、お願いがあります。これは一葉かずはさんにもお願いします。これからする話を、菊姫様と佐久夜さくやさんにはしないでください。いいですね」


 私は一葉かずは殿を見た。少し不安そうな顔をしているが、大きく頷いていた。私は一葉かずは殿から清澄きよすみ殿に視線を戻すと、無言のまま頷く。


「有難う御座います。まずは、菊姫様が神隠しにあった状況を、もう一度確認しますが、目の前から消えたが、気配はまだそこに在った――という事で間違いないですね?」

「ああ。間違いない。あれは、消えたのではなく、正しく云えば見えなくなっただけだ。姫様も母娘おやこも、確かにそこに居た。そして――」

「それ以外にも居ましたね」

「その通りだ。だが、あれが何なのかいまだにわからない。妖怪でもない。鬼でもない。もちろん、人でもない。でも確かに何かが、そこに居た」


 清澄きよすみ殿は、私を真っすぐに見て、これまでにない厳しい表情で私に云った。


「はっきり云います。神隠し事件の実行犯は、"神宮かみのみや"に深い因縁のある鬼眼五櫻きがんごおう。その中の一体、靑眼聳孤せいがんのしょうこです」

鬼眼五櫻きがんごおう―― 靑眼聳孤せいがんのしょうこ――」


 清澄きよすみ殿は目を閉じて、静かに語る。


鬼眼五櫻きがんごおうとは、妖怪の、鬼の、頂点に立つ、五体の人を超えた何かです。それぞれが特殊な能力を宿した眼を持っています。左右の眼で能力が違うようですが――その中で、他人の視覚を操作する"五塵色ごじんしき"という能力を持っているのが、靑眼聳孤せいがんのしょうこです」

「その能力を遣えば、他人の目に触れずに、特定の人物をまるで消えたかのように連れ去る事が出来るのか――」

「そうです。自分の姿を消し、連れ去る人物の姿も消せばいい。後は、慌てふためく周りの人間の横を、堂々と歩いていけばいい」


 恐ろしい能力だ。それに鬼眼五櫻きがんごおうはまだ他に四体も居るのか――

 私の考えを察したかのように、清澄きよすみ殿の説明は続く。"神宮かみのみや"でも鬼眼五櫻きがんごおうの事は、あまりわかっていないのだそうだ。なぜなら、出会った者はほぼ生きて帰れないからだという。はっきりとわかっているのは名前だけ。


 靑眼聳孤せいがんのしょうこ

 赫眼炎駒せきがんのえんく

 珀眼索冥はくがんのさくめい

 玄眼角端げんがんのかくたん


 そして、鬼眼五櫻きがんごおうの長である――


 鬼眼麒麟きがんのきりん


靑眼聳孤せいがんのしょうこの能力も、佐久夜さくやさんの御両親が命懸けで残してくれた情報なのです――つまり、靑眼聳孤せいがんのしょうこは、佐久夜さくやさんにとって、御両親のかたきになります」


 沈痛な面持ちで、清澄きよすみ殿は云う。佐久夜さくや殿に伝えたくないのはそういう事だったのか――


「先程、この現場に残された気配の残滓ざんしを読み取って、確認しました。靑眼聳孤せいがんのしょうこ以外に、この事件を裏で操る首謀者が居ます。しかも人の中に――」

「人の中?それでは、都に居る人の中に、首謀者がいるのですか?」

「はい。正確には人の中に紛れ込んで生活をしている、玄眼角端げんがんのかくたんです」

「なッ!?人の中に、鬼眼五櫻きがんごおうが――」

「ええ。しかも、それなりに官位は高い方と思われます。私の術を知っていたようで、宣戦布告をされましたよ」


 清澄きよすみ殿は、再び目を開くと、突き刺すような視線と、これまでに聞いた事のない、重量を感じる声で続けた。


「――神隠しはもうこれで終わり。こちらの準備は整った。私は玄眼角端げんがんのかくたん。これから起こる事を止めたいのなら、私を見つけてみせろ」

鬼眼五櫻きがんごおう玄眼角端げんがんのかくたんからの宣戦布告。

清澄が語る"神宮かみのみや"・"神園かみのその"・"神龍かみのりょう"と呼ばれる"神使三眷族かみのつかいのさんけんぞく"の因縁――

菊姫と佐久夜は、あの時の話の続きをしながらも、事件の調査を進めていく。


次回、壱幕之五「覚悟(かくご)」

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