表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
櫻、そのすべて  作者: 涼楓堂
壱幕「偶然でも必然で在っても其処に在るのは出会ってしまったという事実」
3/11

壱幕之二「帰京(ききょう)」

「ッたく! 一体何なんだ、こいつらはッ!!」


 "陰陽頭おんみょうのかみ"様の占いにあった作業小屋を目指し、真っすぐに進む私の目の前に。

 わらわらと。

 わらわらと。

 ああ、もう、またしてもわらわらと。

 虫の妖怪共が現れる。ほとんどが百足むかで蟷螂かまきり。いくつか見た事もない虫も混ざっていたが、見つけた瞬間に斬り捨てている為、どんな虫だったか覚えていない。

 急いでいる私を、嘲笑うかのように往く手を遮ってくる。正直、予想していたよりも妖怪の数が多い。このままでは――()()()()()()()()()()()()

 目の前に居る蟷螂かまきりに、太刀を突き入れて絶命させる。ようやく妖怪の群れが途切れた。引き抜いた太刀に付いた妖怪の血を払うために、大きく一振りした。

 太刀から血は払われたが、鞘へ納める事はしない。それはこれまでの百足むかで蟷螂かまきりとは比較にならない、大きな気配が前方からするからだ。

 私は深くゆっくりと息を吐いて呼吸を整えると、その気配の方へ走り出した。

 早く。早く。一刻も早く。私は菊姫の元へ行かなければならない。今度はもう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 そんな事を考えていた私の前に、()()は現れた。最初は人に見えた。だが、近づくにつれて()()が人ではない事がわかる。人ではありえない巨躯。大きく見開いた一つだけの眼。そして額から生えた角。間違いない。鬼だ。

 これまで鬼に遭遇した事はない。だが、その強さは虫の妖怪の比ではないと聞く。一体何なのだ。こいつらは。私はただ、菊姫の元に行きたいだけだというのに。

 その大きな気配に圧倒されながら、私は手にした太刀を改めて強く握ると、自らを鼓舞する為に叫んだ。


「うおぉぉぉぉぉぉッ!!! 邪魔だッ! どけぇぇぇぇぇぇッ!!!!!!」


 ********


 ようや百足むかでを一匹倒したというのに。全身に激痛が走り、もう指一本を動かす事も困難だというのに。

 闇の中から、奴らは涼しい顔で――いえ、()()()()()顔で現れた。先程より大きな百足むかでと、同じ大きさの蟷螂かまきり


「"菊弾正きくだんじょう"様!」


 小屋の中で、様子を伺っていた女性が飛び出して来た。私の脇に手を入れて、引きずりながら小屋へ戻ろうとする。

 ああ。駄目よ。そんな事をしている暇があったら逃げなさい。そう思いながらも、私は声が出ない。出せない。わかっているんだ。そう云ったとしても、きっとこの女性は逃げはしないのだと。もし、逃げたとしても、助かりはしないのだと。

 そもそも――()()()が悪いのよ。私がこんなにも危険な目にあっているのに、未だに現れない。職務放棄もはなはだしい。全く護衛を出来ていないじゃない。このままだと、()()()()()()()()わよ――

 そんな事を考えていたら、小屋の入り口まで着いていた。私は何とか立ち上がり、女性に礼を云う。


「有難う。もう大丈夫よ。彼方あなたは小屋に戻って」


 女性は何か云いたそうな顔をしたが、自分に云い聞かせるように首を振ってから一言「ご武運を」とだけ呟いて小屋の中に入っていった。

 こうなったら私のすることはひとつだけ。少しでも永く。一瞬だけでもいいから永く。この母娘おやこを守って死ぬ事だ。

 目を閉じた。何故か、亡き母の顔が浮かんだ。ああ、そうか。きっと()()()の母も――こんな気持ちだったのかもしれない。

 キシャァァァーーーと、これまで私が生きてきた中で最も不快な音がして、私は目を開いた。蟷螂かまきりがこちらへ大きな鎌を振り上げながら向かって来ている。

 せめて道連れにしてやる。そう覚悟しながら太刀を構えた時、ふわり。と、真っ黒な何かが私の目の前に舞い降りた。その何かが静かに、澄んだ声で云う。


「良く頑張りましたね。後はお任せください」


 それは人だった。真っ黒な装束に身を包み、ふわふわと揺れている。そして、右手を前に出して掌をこちらへ向かっていた蟷螂かまきりへ向けた。蟷螂かまきりはその大きな鎌で斬りかかったが、黒装束の男はゆったりと後方へ飛び、その斬撃をかわす。すると――何もしていないにもかかわらず、蟷螂かまきりが十字に斬り裂かれた。


「――神園流時空術かみそのりゅうじくうじゅつ斬愚環撃ざんぐかんげき


 黒装束の男はそう呟くと、くるりと体を反転させて私の方を見た。思ったよりも若い。年齢は私の少し上くらいだろうか。美しい顔に優しい笑みをたたえている。

 目の前の光景に頭がついていかず、少しの間、ほうけてしまった。でもすぐに思い出す。ああ。まだだ。もう一匹、百足むかでが居る。私が黒装束の男にそれを伝えようとした時、百足むかでの居るはずの方向から、女の声がした。


「う~ん。やっぱり何度も見ても、清澄きよすみ様のわざは狡いですね」

「いや、狡いって何ですか、一葉かずはさん。ああっと、そこでそんなに大きく頷かないでください、佐久夜さくやさん。哀しくなります」


 私は声のする方を見た。白とあかの巫女の様な装束を着た、一葉かずはと呼ばれた女性の足元に、あの百足むかでが引っ繰り返って転がっている。しかも、右足でおもいっきり踏みつけている。同じ装束を着た佐久夜さくやと呼ばれた女性は、二人を見ながら楽しそうに笑っている。

 どうやらこの人達は味方のようだ。しかも強い。今度こそ本当に安心したのか、私は手にしていた太刀を落としてしまった。全員の視線が私に集中する。慌てて太刀を拾い鞘へ納めると、私は礼を云いながら名乗った。


「危ないところを有難う御座いました。私は染井そめい"弾正少弼だんじょうのしょうすけ"奈天なでんの一子。"菊"と申します。このお礼は後日必ず――」


 そこまで云うと、清澄きよすみと呼ばれた黒装束の男がぽんっと手を叩き、楽しに云う。


「ああ。やはり貴女あなたが噂の菊姫様ですか。ちょうど良かった。私達は"弾正少弼だんじょうのしょうすけ"様の依頼を受けて、都に向かっていたのです」

「父上の依頼――ですか? 何も聞いていませんが――まあ、それよりも()()()というのは?」


 黒装束の男は、明らかに『しまった! 』という顔をして、助けを求めるように巫女装束の二人の女性を見るが、一人は百足むかでを何度も踏みつけ直しながら「ご自身で何とかしてください」と突き放した。もう一人は手で口を覆いながら必死で笑いをこらえている。

 黒装束の男は、女性二人からの援護を諦めて、慌てて話題を変えてきた。


「ま、まあそれはともかく、こちらも自己紹介をしなければ。私は清澄きよすみと申します。先程から百足むかでをずっと足蹴にしているのが一葉かずはさん。そして、あちらが――」


 そう云って黒装束の男が手を向けると、その人は小さく頷き、口を開いた。


「私が第八代神宮(かみのみや)当主"佐久夜さくや"と申します」


 ********


「ひとつ。お聞きしても良いでしょうか、菊姫様」

「何でしょう。私に答えられる事であれば何なりと。佐久夜さくや様」

「では――何故、あの母娘おやこを助けようとしたのですか? 貴族の貴女あなたと平民の母娘おやこ()()()()が全く違うはずです」


 まあ、当然の疑問かもしれない。市井しせい人人ひとびとも、今、目の前に居るような、何か特別な立場の人達でさえ、きっと貴族とは、気分次第で下下しもじもの人間の首など、平気で、簡単に、飛ばしていると思っているのだろう。

 ここで適当に誤魔化して答える事は簡単だ。これまでに同じ事を聞かれた時は、そうしてきた。興味本位で聞いているのがわかったからだ。でも、この人の、佐久夜様の眼差しは、深く、重く、真剣だった。ならば、こちらも真摯に答えなければならない。そんな気がした。


「――それは、私が貴族だからです。もう少し正確に云うならば、私は貴族だから、()()()()を決める権利ちからを持っているからです」

「ならば貴女あなたは、自分の命よりも、あの母娘おやこの命の方が重い、と決めたのですか――何故――」


 やはり、貴族は他人の命など、重く見ないと思っているのだろうか。佐久夜さくや様は不思議そうな、それでいてどこか納得のいかない顔をしている。


「――それは、私が染井そめい"弾正少弼だんじょうのしょうすけ"奈天なでんの娘だからです。その誇りにかけて、私は市井しせい人人ひとびとを守ると誓ったのです。そして、それこそが、私が貴族として生きる事の意味で在り、義務だと思っています」


 そう答えながら、私は佐久夜さくや様を注意深く観察した。その瞳は真っすぐに私を捉えれて離さない。だが、その表情は少し困惑気味だった。そして、深く考え込んでいる。恐らく、私の答えは彼女の予想と大きく違っていたのだろう。佐久夜さくや様は何かを悩んでいる。そして、きっと私へのこの質問も、佐久夜さくや様にとって必要なものだったに違いない。何となくだが、私には佐久夜さくや様の悩みがわかる気がする。だが、今は――


「――佐久夜さくや様、私は何年も悩み、迷い、間違い、失って、ようやくこの答えに辿り着きました。それも、つい最近の事です。貴族ではない様ですが、佐久夜さくや様も、何か特別なお立場にある方なのでしょう。何となくですが、お悩みである事はわかります。なので、真剣に答えました。でも、私の答えは曖昧でわかりにくいでしょう。ここでゆっくりとお話したいところですが――まずは山を下りませんか。続きはお屋敷でどうでしょう」


 私がそう云うと、佐久夜さくや様は『あっ』といった顔で慌てて「そうですね。失礼しました」と云った。そして、それを待っていたかの様に、清澄きよすみ様が言葉を続けた。


「では、私と菊姫様はここで待っていますので、都までの()()()()()をお願いできますか。佐久夜さくやさん。一葉かずはさん」


 呼ばれた二人はお互いに目を合わせると頷いた。一葉かずは様が「承知しました」と一言残してその場から消えた。気が付けば、既に物凄い速さで山を下り始めているのが、遠くにかすかに見えた。


「それでは、皆様はゆっくり休んでから下りて来てくださいね。ああ、そうだ。最後のひとつは清澄きよすみ様にお任せしますね」

「はい。任されました」


 清澄きよすみ様が笑顔で答えたのを確認してから、佐久夜さくや様も山を下り始め、あっという間に見えなくなった。

 しかし、最後のひとつとは何だろう――と思っていた時、その答えはすぐに目の前に現れた。

 小屋の入り口から見て、正面にあたる木木きぎが大きく揺れている。何か来る。先程の百足むかで蟷螂かまきりなど比較ならない程、強大で、禍々しい何かが。

 覆いしげる枝や葉を吹き飛ばし、それは、私達の前に――


 ********


「"菊弾正きくだんじょう"様、本当に有難う御座いました。この御恩は、決して忘れません」


 女性はそう云って、最初に会った時の様に、深深ふかぶかと私に向かって礼をする。そして、今度はしっかりとした足取りで、小さな娘も礼をした。

 ここは都の外れ、私達が神隠しにあった場所だ。母娘おやこは杖を持ち、小さな荷物を抱えている。都を出て、女性の故郷へ帰るのだそうだ。


「いいのよ。私はほとんど何もできていないわ。お礼なら清澄きよすみ様と、一応、()()()にでも云いなさい」


 そう云いながら、私は後ろに居る二人へ視線を送る。女性は二人の方へ向きなおし、娘と共にもう一度、深深ふかぶかと礼をした。

 この母娘おやこは居なくなったご主人と、父親と、再会を果たす事が出来た。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()

 こちらを何度も振り返り、手を振る母娘おやこが見えなくなるまで見送ってから、私は振り向いて、清澄きよすみ様に深深ふかぶかと礼をした。先程の母娘おやこの様に。


清澄きよすみ様。改めて、本当に危ないところを助けて頂き、有難う御座いました。それに、あの家族についても、私の我儘わがままを聞いて頂いて――このお礼は、屋敷に戻った際に必ず――」


 そう云った私に、清澄きよすみ様は飄飄ひょうひょうとしながらも、両方の掌をこちらに向けて振りながら恥ずかしそうに云う。


「仕事ですから、お気になさらずに。それにお礼なら、佐久夜さくやさんと一葉かずはさんにもお願いします」

「そうですね。屋敷に戻ったら、すぐにでも。そういえば、佐久夜さくや様とはお話の続きをしなければ」


 そう云って私は、久しぶりに。本当に久しぶりに。心から安心して笑いながら、屋敷へと歩き出した。


無事に都に戻ってきた菊姫達――

しかし、残された菊姫と清澄の前に現れた禍々しい何かとは。

そして、再会出来たはずの母娘の元に何故、夫は、父は、還って来ないのか。


次回、壱幕之三「修練(しゅうれん)」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ