第八話 祇園祭宵山 2
「いやー、しかし、あの子があそこまで制服フェチとは知らなかったよ……」
鉾を見あげながら、前を歩く友達の背中を見つめながらつぶやいた。あのタイミングで、あとから合流してきた子達が来なかったら、今頃どうなっていたことやら。
「今まで、一緒にいる時に制服の話が出なかったのは、不幸中の幸いだったかも」
「かもねえ」
隣を歩いていた友達が、笑いながらうなづいた。
「だけど、気をつけなよ?」
笑ったあとに、少しだけ真面目な顔をして小さい声でささく。
「なにに?」
「あの子に。あそこまでしつこく話に食いつくってことは、本人に執着しちゃってもおかしくないから」
「修ちゃんにってこと? 会ったこともないのに?」
意味不明で理解ができない。そんな考えが顔に出たのか、その子はさらに声をひそめた。
「真琴ちゃん、気がついてないみたいだから言うけどね、あの子、めちゃくちゃ真琴ちゃんのこと、ライバル視してるから」
「なんで?」
前を歩いている相手をあらためて見つめる。
あの子は可愛いし頭も良い。教授から出された課題のレポートも、書き上げるのが早くて内容もとても良いものだって、いつもほめられていた。学校内でも交友範囲が広く、友達もたくさんいる。しかも、けっこういいところのお嬢さんらしいし。そんな彼女が、どうして自分のことをライバル視するのか、まったく謎だ。
「ライバル視される要素が見つからないよ。基本的なスペックが段違いすぎるんだけど」
「カレシが先にできそう」
「へ?!」
思わず声が大きくなり、あわてて手で口をふさぐ。さいわいなことに、人混みとコンチキチンの音で気づかれることはなかった。
「あれ? あの子って、カレシいなかったけ?」
特別に仲の良い男の子がいたような気がしたのは、私の気のせいだったんだろうか?
「仲がいい子はいるみたいだけど、特定のカレシはいないよ。色んな子とお友達関係だから、逆にカレシができにくいみたい。見た感じ、何人かの有力候補君達がけん制し合ってるって感じかな」
「うわあ……それも大変だ……」
たしかに男女関係なく友達が多いのは知っていたけれど、まさかそういうことが水面下で進行中とは思わなかった。これも修ちゃんが言うような『楽観脳』なんだろうか。自分の鈍感さに少しだけガッカリしてしまった。
「ってことは、有力候補がいるんでしょ? だったら私のことをライバル視したり、修ちゃんに執着する必要なんて、なくない? 私達だって、まだカレシカノジョってわけじゃないんだから」
これを聞いたら、また修ちゃんが念仏を唱えるかなという考えが、チラリと頭をよぎる。
「そういう段階なのはどうでも良いんだよ。大事なのは、自分より先に真琴ちゃんにカレシができそうだってこと。それと制服」
「えー……そこもなのー?」
「なんていうか、制服を着るとかっこよく見えるのは間違いないでしょ? そんなかっこいいカレシが、自分より先に真琴ちゃんにできたことが気に入らないの」
「かっこいいカレシねえ……」
普段の修ちゃんを頭に思い浮かべてみる。
「あのさあ、猫にふまれて顔をしかめたり、私とメロン争奪戦して完敗するような人だよ? 特にかっこいいとかないけど……まあ制服五割増しになったらわかんないけどさ」
制服姿に関しては、私もまだ見ていないのでわからない。ボーダイの制服姿を見た時は、高校の制服のデザインが少し変わった程度の感想しかなく、そこまでかっこいいとは思わなかった。
「それは真琴ちゃんが、修ちゃんさんと親しいからでしょ? たぶん、そういう何気ない話を聞かされるのも、気に入らないんだと思う」
「えええ……そういうの、気づいていたんなら早く教えてよ……」
それがわかっていたら、絶対にその手の話はさけていたのに。
「っていうか、今までそんなに話したこと、ないはずなんだけどなあ……」
「そりゃあ、今まではヒノキちゃん達猫成分のほうがずっと多かったからね。とにかく、これからは要注意」
「私だけじゃなくて、修ちゃんに実害が出たら笑いごとじゃないよね……」
「そういうこと」
これから先のことを考えると憂鬱になる。ゼミのクラスが一緒なのだ、そう簡単に距離はとれそうにない。それに交友範囲が広い相手となると、下手にもめごとを起こしたら、自分がダメージをくらいそうなのも怖かった。
「いいとこのお嬢さんで、お金持ち特有の厭味がない良い子だと思ってたんだけどなあ……」
「いいとこのお嬢さんって話も、真琴ちゃんも、いいとこのお嬢さんだと思われてると思うよ」
「なんで? うち、普通のサラリーマン家庭だけど。自宅の建て替えもローンを支払中だし」
しかも、父親の定年までに払い終えることができるのか?という微妙なラインらしい。いいとこのお嬢さんちなら、そういうのはきっと現金一括払いだと思うのだ。
「京都に長く住んでるじゃない」
「いやいやいや。たしかに両親の実家は京都だけどさ、そういうのじゃないから」
私が生まれる前から両親は京都在住だ。だけど、どちらもごくごく普通の生活をしている庶民で、いいとこのお嬢さんちには程遠い。
「えっと、応仁の乱の前から住んでるのがステータスなんだっけ? 老舗の和菓子屋さんとか、呉服屋さんとか、のれんに創業何百年ってあるもんね。ああ、それから市内の真ん中へんに住んでるってやつ?」
大学になると、全国色々なところから学生がやってくる。今、私がしゃべっているこの子は、たしか愛知県から来た子だったはず。よその地域に住んでいる人が抱いている、地元のイメージを聞くのはけっこう楽しいものだ。ただ、たまにものすごく誤解されていることもあって、話を聞いて愕然とすることも多いけれど。
「そういうのって都市伝説でしょ。普通に暮らしてる人は、そういうことまったく気にしたことないんだよ。もー、やだなあ、もしかして、ブブ漬けとか逆さボウキとか、本気にしてる?」
「え?! あれって、本当にあることじゃないの?! ネットで書かれてるじゃない?」
「そんなことしたことないです」
少なくとも、私は今まで、どちらにもお目にかかったことがない。
「えー、がっかりー」
「愛知県民全員が、みゃーみゃーしゃべってるっていうのと同じぐらい都市伝説です」
「みゃーみゃー喋ってるのは愛知県民じゃなくて名古屋市民だよ」
「……」
まあ、たまに不思議な都市伝説が事実だってこともあるようだ。
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「……と、いう話なんだよ」
『……』
「修ちゃん? おーい、聞いてますかー?」
電話のむこうがやけに静かなので呼びかける。もしかして、退屈すぎて寝てしまった?
『聞いてる。いろいろツッコミどころが多すぎて、どこをどうツッコんだら良いのかわからない。もちろん都市伝説の話じゃないほうな』
「だよねえ……」
私も修ちゃんの気持ちが理解できる。こうやって一連の話を話していても、なんの冗談ですか?と自分でもツッコミを入れたくなるのだから。
『女子ってこわい』
「私だってこわいよ。とにかく、身辺には十分お気をつけください」
『なにをどう気をつけるんだよ……』
「いきなり、来ちゃった♪ってされないように」
『それ、なんのホラー映画……』
修ちゃんにとっては、すでにホラー映画なみの不気味さらしい。まあ、その気持ちもわからないではない。
「全寮制で良かったね、修ちゃん」
『笑いごとじゃないよ、まこっちゃん。おっかなすぎる。なんで、そんな子と友達なんだよ』
「そんなこと言ったって。私だって、真実を知ったのは今日なんだからね」
『京都に帰省するのが命がけになってきた』
「さすがに、そこまでひどくないと思うけどね……」
ただ、少なくとも修ちゃんが帰省する日は、あの子に知られないようにしなければと思う。そこは間違いないだろう。
「なんだか修ちゃんの帰省が、隠密作戦みたいになってきた」
『笑いごとじゃないよ、まこっちゃん。ちゃんと俺のこと、守ってくれなくちゃ。たのむから、楽観脳はそろそろ卒業してくれよ』
「わかってる」
『どうだかねえ……』
そこへヒノキとヤナギが部屋に入ってきた。
「あ、またヤナギが部屋にきたよ。しかも今日はヒノキも一緒に」
『そろそろ電話が終わる時間だってわかってるんじゃ?』
「なのかなって、ちょっと、なに?」
二匹が私ににじりよって、携帯の電話を鼻先でつつきはじめる。
「ちょっとー」
『フガフガ聞こえてるけど、どうした?』
「受話部分に鼻をこすりつけてるんだよ。ちょっとそのままでいてね」
携帯を耳から離し、二匹の前に差し出す。
「もー、ほら、修ちゃんと話がしたいならどうぞー」
とたんに二匹がニャーニャーと鳴き声をあげた。どうやら電話の相手が誰かわかっていたらしい。一分ほど鳴き続け、満足したのかその場で毛づくろいを始める。
「聞こえた?」
『聞こえた聞こえた。なんだよ、これからは、まこっちゃんだけでなく、ヒノキとヤナギと話す時間も作らなきゃいけないのか?』
「そうみたい」
『やれやれ、お互いに電話代が高くつきそうだよな』
「バイトにはげむよ。ヒノキとヤナギのためにもね」
ヒノキとヤナギは「よろしくね」と言いたげな顔をして、ニャーンと鳴いた。




