第七話 祇園祭宵山 1
「へえ、帯はあずき色にしたんだ。なかなか良いね」
「あ、柄の中に猫がいる。かわいいね、さすが猫好き!」
「真琴ちゃんのお婆ちゃんて器用だね。手作りの浴衣なんて、うらやましいなー」
学校近くの喫茶店で、今日の講義がすでに終わっている友達と合流する。浴衣は思いのほか好評だ。祖母のこともかなりほめてくれているので、そのことは帰宅したら祖母に報告しようと思う。
「ありがとー。頑張って着てきたかいがあった」
「私も浴衣を着て、学校に来たかったなあ」
「ちょっと遠いもんね、みんな」
「ちょっとどころか。さすがに二時間の電車通学で浴衣はねえ」
それでもこの時期、大阪あたりから、浴衣で京都に来る人達がけっこういるというのだから驚きだ。
「地元のお祭りとか花火大会で、着るしかないね」
「だよねえ」
浴衣を着てきたのは私ともう一人の友達だけ。どちらも実家が市内で、学校に近い場所に住んでいる者同士だ。それでも、バスに乗る時は帯の部分がぶつからないように気にしたり、下駄の足を踏まれないようにと、かなり気を遣っての移動だった。ここからまた四条までバスに乗るのは、正直言って憂鬱かもしれない。
「二人ともなかなか素敵だと思うわよ」
カウンターの向こうにいたママさんが、私達の浴衣をほめてくれた。
「本当ですか? ありがとうございます! せっかくの宵山ですから」
「そのかっこうでご飯を食べるなら、汚さないように注意しないとね」
「はい。そこはしっかりと」
ママさんの言葉にうなづく。
「でも、食べる時より鉾を見てる時のほうが心配だよね。昨日の夜もすごい人だったらしいじゃん? もみくちゃにされて、あっというまに着くずれしそうだよ」
浴衣を着てきた友達がため息まじりにつぶやいた。
「着くずれはね、歩きかた次第でかなりマシになるらしいよ?」
「そうなの?」
「うん」
普段から着物ですごしている祖母から、着くずれを防ぐにはどうすべきかの注意を受けていた。だからその点はあまり心配はしていない。問題は、宵山の歩行者天国の混雑のほうだ。
「あ、そうだ。浴衣の写真、撮ってくれる?」
友達に携帯を渡した。
「いいよー」
何枚か撮ってもらい、気に入ったものをメールに添付して修ちゃんに送ることにする。
「こっちの写真がいいかな……」
一番良い感じに写っていると思えた写真を、メールに添付した。そしてメール本文は、簡単に「新しい浴衣だよ。これから宵山に行ってきます!」とだけ打つ。
「誰に送ってるの?」
「んー? 東京にいる修ちゃん」
「ああ、東京の大学にいってる幼なじみ君?」
「うん」
送信ボタンを押す。夜になって自由時間になったら、きっと見てくれるだろう。
「なんかさあ、真琴ちゃんの様子見てると、幼なじみっていうより、カレシに近いよね、修ちゃんさん」
「そう?」
「うん。最初はそんなこと思わなかったんだけど、ここ最近、急にそんな感じになってきたように思う」
「修ちゃんのこと、なにか話したっけ?」
私が意識していないだけで、あれこれと家族の話として口にしていたんだろうか。
「たいていは猫とセットになった話だけどね。だけど、そんなふうに写真を送るのって、幼なじみにするようなことじゃないよね」
「そう? せっかく新調した浴衣を着たんだもん、着た写真、送らない?」
「これが女の子同士の幼なじみだったら送ると思う。けど、相手は同い年の男の子だよね? やっぱりなんか違うかなあって、感じるかな」
そう言いながら、私の顔をのぞきこんだ。
「ふむ」
「ふむ?」
「もしかして、真琴ちゃんが綺麗になったのって、その幼なじみ君が関係あるのかなーって。いま思いつきました」
ブヘッと変な息がもれる。私の顔をのぞきこんでいた友達の顔が、ニンマリとなった。
「あ、図星なんだ?」
「え、いや、どうなんだろうね……」
自分と修ちゃんとの間で、あーだこーだと話している分には感じなかったけど、あらためて誰かに言われるとかなり恥ずかしい。本当なら知らぬ存ぜぬでシラを切りとおすところだ。だけど「ブヘッ」と反応してしまったあとでは、もう時すでに遅しな気がしないでもない。
「図星なんでしょ? こらあ、白状しろー? いきなりの急展開がおきたってことなのかー?」
「まだそういう段階じゃないと思うけど……」
たしかに、ゲーム中にキスされたことは、急展開だったと思う。でもそれ以降は、電話で話すだけでなにも起きていないのだ。だから白状することなんて、ほとんどない。……ないはずだ。
「まだ?ってことは、進展する余地があるってことでは?」
「どうかなあ……小さい頃から知ってる相手だと、異性としてなかなか意識しずらいっていうか」
修ちゃんが聞いたら、小一時間ぐらい謎の念仏を唱えそうな返事をする。修ちゃんのことは好きだ。だけど、この『好き』がはたして異性としての『好き』なのか、それとも幼なじみとしての『好き』なのか、私の中ではまだはっきりと形になっていなかった。
「小さい頃は、一緒にお風呂にも入ってたからねえ……」
「じゃあ、今でも入れる?」
「いや、まさか。いくらなんでもそれは有り得ないでしょ。私達、いま何歳だと思ってる?」
わりと真面目に答えてしまった。
「でもいいなあ、幼なじみのカレシなんて」
隣に座っていたもう一人の子が言った。
「いまも言ったけど、まだカレシと言い切れるほどじゃないんだよ」
「しかも、自衛官になるんでしょ?」
「こら、人の話をちゃんと聞こうか」
思わずツッコミをいれる。この子はいつもこんな感じだものねと、他の子達があきらめたように肩をすくめた。
「でも、そうなんでしょ?」
「最後まで挫折することなく進んだらね。でもさ、それってうらやましがるようなポイントじゃないと思うけど」
もしかして自衛官ではなく、公務員というところがうらやましいんだろうか?
「制服、かっこいいじゃん?」
「そこなの?」
「かっこよくない?」
なるほど。これも世に言う制服五割増し効果というやつなんだろう。つまりこの子は、制服を着た誰かと付き合うのが、うらやましいってことらしい。
「私は、着ている服で判断してるわけじゃないから。そりゃ、だらしない服装をされたら困るけど」
「そうなの? 自衛官の制服を着たところを見たら、かっこいいって思わない? テレビや映画で映ってるのをたまに見かけるけど、やっぱり制服を着ている姿ってかっこいいと思うけどな」
この子って、こんなに制服好きだったっけ?と心の中で首をかしげた。今までそういう話題を話すことがなかったから、気がつかなかっただけだろうか? それとも、私と修ちゃんの話を聞いて、急にその趣味が開花したとか?
「そりゃ、映画なんかで見るとかっこいいかもね。でも、修ちゃんが自衛官の制服を着たところを見たとして、同じようにかっこいいーって感じるかどうかは、今のところわかんないかな。あくまでも私が見ているのは修ちゃん本人だし」
「あ、それ、のろけだ」
「え?! そうなの?!」
いきなり別の子に指摘されてあわてる。
「今のは間違いなく、のろけです」
「真琴ちゃんの初のろけ、いただきました!」
そこで拍手がおきた。まさかこんな話でのろけ認定されるとは。
「とにかく、修ちゃんはまだ学校で勉強している最中で、自衛官になるのはもう少し先だから。制服を着た姿がかっこいいかどうかについては、まだまだ先の話だね。もしかしたら、自衛官にはならないかもしれないし?」
これで話はおしまいと笑ってみせた。
「防大の制服は見たことないの? あれもなかなか、かっこいいらしいよ」
おしまいと思ったのは私だけで、彼女の話はまだ終わっていなかったらしい。恐るべし制服五割増し効果。まさかボーダイの学生さんの制服にまで波及するとは。
「んー……写真でしか見たことないからイマイチわからないなあ。今年の開校記念祭で見られたら良いんだけど」
「行くの?」
「来ないかって話なんだけどねー」
「えーー、いいな、いいな、私もいきたーい」
「え、いやあ、どうかな、まだ行くかどうかは決めてないし、予定は未定だし……」
思わぬところに食いつかれ、どうしたものかと考える。なんとか話を打ち切りたくて、他の友達に目を向けて無言で助けを求めた。
「そういうのって、普通の学校と違って家族とか関係者でないと入れなさそうだね。もし行けたら、どんなところだったか、教えてね」
その子がなにか言い出す前に、他の友達が口をはさんでくれた。
「うん、行けたらね。うっかりバイトが入ってたり、予定外のテストがあったりして、行けずに終わりましたーってオチになりそうで怖いけど」
行けませんでしたと報告するのが、私にとって一番平和な気がする。
「一番ありえそうなのは、真琴ちゃんがうっかり忘れることだね」
「あー、それ、ありえすぎて笑えないね」
「ちょっと、なにげに私に無礼ではないですか?」
無理やりに話をそらせ、みんなでわざとらしく笑いあう。その子はまだなにか言いたげだったけど、他の子達が会話に加わり話題をそらしてしまったので、それ以上は何も言わず、少しだけつまらなさそうに口をとがらせるだけだった。
そこでタイミングよく、講義が終わった友達がやってきて、お店の窓越しに「お待たせー」と私達に手をふる。
「全員集合だね。じゃあ行こうか!」
これでやっと完全に話を打ち切って出かけられると、ホッとしながら、ママさんにジュース代を払い、お店をあとにした。