第四話 猫に袖の下
猫達に見送られ、私達は出かけることになった。
「なんだかなあ……」
バス停に向かって歩きながら、修ちゃんがため息まじりの声をあげる。
「なに?」
「なんか、めっちゃ待遇が変わってなかった?」
「待遇って? いつも通りじゃないの? 朝ご飯も普通に皆で食べたし、修ちゃんが帰ってきてるからって、なにも特別なことしてないよ? あ、逆になにかしてほしかった?」
最近はそれぞれの生活リズムがあるので難しくはなっていたけれど、できるだけ一緒にご飯を食べようというのが、我が家の決まりなのだ。修ちゃんが帰省した時も、あれこれすると居心地悪いだろうと、あえて普段通りにしている。逆にそれが物足りないんだろうか?
「いやいや、そうじゃなくて。人間じゃなくて猫のほう」
「マツ達? なにか変わったことしてた? いつも通りだったと思うけど」
私達がご飯を食べている間、マツ達も自分達に用意されたおやつのカリカリを食べていた。たまに私達のほうを見て、自分達が食べられるものはないかと、鼻をひくひくさせるのもいつものことだ。特に変わった様子はなかったように思う。
「五匹そろって玄関に出てきてたじゃないか。あんなの初めてなんだけどな」
「んー……見送りも出迎えも、いつもしてるからなあ……」
たいていの場合、気が向いた子だけが玄関に出てくるのが常だった。だから五匹がそろって玄関に並ぶのは、かなり珍しいかもしれない。
「あれは絶対、俺にプレッシャーかけてたよな……」
「なんの」
「え、あー、まあ色々と?」
修ちゃんはなんとも言えない顔をして、明後日の方向に視線を向けた。
「じゃあ、マツ達にお土産を買ってかえれば良いよ。そうすれば喜ぶから」
「飼い猫に袖の下とか」
「なに?」
「いや、こっちの話……」
映画館が入っているショッピングモールは某鉄道の駅隣にある。建物の入口にさしかかった時、駅の改札口から、自衛隊の制服を着た人が何人か出くるのが見えた。
「あ、修ちゃん、自衛隊の人だ。あれって海上自衛隊の制服?」
「そうみたいだね。海自の基地からこっちに出てきたのかな」
「市内に海上自衛隊の施設なんてないよね?」
私が知っている限り、市内にあるのは陸上自衛隊の駐屯地ばかりだ。もしかしたら私が知らないだけで、小さな施設でもあるんだろうか。
「市内の地本に配属されてる人もいるし、仕事とは限らないんじゃないかな。基地から休暇で帰ってくる人もいるだろうし」
「チホンって?」
「地方協力本部。広報と採用をかねた、事務方の出先機関みたいなものかな。陸海空の自衛官が配属されてくるんだ」
私達の前を、制服を着た人達が通りすぎていく。
「へえ。私、自衛官て戦車とか船に乗ってる人ばかりだと思ってた」
「どんな会社でも財務経理とか人事の部署はあるだろ? 自衛隊も基本的には会社と同じだよ。仕事の内容が営業か国防かってだけで」
「ふーん」
「あんまり、わかってないね?」
修ちゃんが私の返事に笑う。
「うん。いまいちピンとこない。でもさ」
「ん?」
「やっぱりかっこいいよね。制服五割増し効果って本当にあるんだ」
遠ざかっていく制服の背中を見つめながら言った。
「なんだよ、その五割増しって」
「だから、制服を着ているとかっこよく見えるってこと。自衛官だけじゃなくて、お巡りさんとか飛行機のパイロットさんとか。白衣もそれに入るかな。あ、そうだ、それで思い出した」
「なに? もー、まこっちゃんの頭の中は忙しすぎて、話についていくのが大変だな」
「ほっといて」
まるで私が、落ち着かない子どもみたいだと言われたように気がして、ムッとなる。
「修ちゃん、明日には東京に戻っちゃうんだから、今しか話す時間ないじゃない。思いついたことは今のうちに話しておかないと、次にこっちに帰ってくるのは夏休みのどこかでしょ?」
「それで? 今度はなにを思いついた?」
笑いをこらえるような口調にますますムッとなりつつ、言いたかったことの続きを話すことにした。
「修ちゃんのボーダイの制服。私、ちゃんと見れてないよ」
「写真、写メして送ったろ?」
「でも、自分の目で見てない。帰省する時に着てくるのかって思ってたんだけど、いつも私服だし。たしか出かける時は、制服じゃないといけなかったんじゃないの?」
そんな話を聞いたような気がして、その点を指摘する。
「出かける時は基本的に制服だよ。だけど、まあ色々と抜け道みたいなのがあってさ。遠方に行く時は、途中で着替えることがほとんどだ」
「どこで着替えるの?」
「先輩の実家」
「それ、どういうこと……」
どういうことかさっぱり理解できず、首をかしげてしまった。
「制服で学外に出て、真っ先に向かうのは都内にある先輩の実家。そこで着替えさせてもらってる」
「部活の?」
「そう」
「それって良いの? 校則違反にはならないの?」
考えてみたら、それは校則違反なのでは?と、思わないでもない。
「少なくとも敷地から出る時は制服なわけだし? 色々ととらなきゃいけない手続きはあるんだけど、制服でうろうろするよりは楽だからね。まあ理由はそれだけじゃないけど、うっかり汚しでもしたら大変だし」
「つまり、校則の抜け道はいろいろとあると」
「代々受け継がれている抜け道ってやつだね」
修ちゃんは悪戯っぽく笑った。
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「えーと、マツはこっちのサーモン味が好きなんだよ。で、ヒノキはチキン味がお気に入り。それからウメは……」
映画を観終わった後、ショッピングモール内のお店でお昼ご飯を食べた私達は、同じフロアにあるペットショップでキャットフードを選んでいた。それぞれがお気に入りのキャットフードを、修ちゃんが持っているカゴに入れていく。
「……」
「どうしたの、修ちゃん。なんか、魂が抜けたような顔してるよ。映画、ハズレだった?」
「え、いや、映画は予想以上に面白かった。そうじゃなくて、これ」
そう言って、カゴの中のキャットフードを指さした。
「これって、キャットフード? 買いすぎ?」
キャットフード代を修ちゃんが出すと申し出てくれたけど、そんなに安いものでもないし、人の財布だからってちょっと調子に乗りすぎただろうか?
「そうじゃなくてさ、五匹ともそれぞれ好きなのが違うって、どうやって区別するんだよって話」
「普段は五匹とも、このミックス味を食べてるよ」
そう言いながら、棚に置かれている普段のカリカリをさす。
「ただ、おやつだけは何故かそれぞれ違う味をほしがるの。別々の入れ物に入れたら、ちゃんと自分達が好きなのが入っているのを食べてる。ケンカも間違えることもなし」
「……賢いって言って良いのかな、それ」
なんとも言えない顔でぼやいている。
「多分?」
「エンゲル係数的には?」
「おやつで食べる程度だからね。一箱かったらかなりもつよ」
「なるほど」
猫砂を五匹分買うのはさすがに重たいので、それはやめてやおくことにした。猫砂に関しては通販で頼んで、運送屋さんのお兄さんにヒイヒイ言ってもらうことにしよう。
「ところでさ、まこっちゃん」
「んー?」
バスを待っている間、修ちゃんがなにかを思いついたのか、話しかけてきた。
「制服の話だけど、見にくれば良いんじゃないかな」
「ボーダイまで? でも、学校には関係者以外は入れないんだよね?」
「十一月の開校記念祭なら問題ないだろ?」
「ああ、そっか。それがあったね」
大学祭のようなものがボーダイでもおこなわれている。それが開校記念祭だ。去年は、誘われていたのに風邪をひいて行きそびれてしまい、そのせいもあってすっかり存在を忘れていた。
「観閲式や訓練展示もあるし、それなりに見応えがあると思うよ。どう?」
「うん、行く。泊まるところを調べておかなくちゃ。やっぱり新幹線の駅に近いほうが良いかな」
すっかり行く気モードになっている私を見て修ちゃんは笑った。
「ちょっと気が早いと思うよ。まだ半年先のことだし」
「でも半年なんてあっという間じゃないかな。あ、バイト代もしっかり貯めておかないとだね」
「どうせなら、みんなで来れば?」
「お父さん達ってこと?」
「うん。その日は家族が来る学生もたくさんいるよ」
考えてみたら、修ちゃんの本当の家族が開校記念祭に来ることはない。去年の開校記念祭、本人はなにも言わないけれど、家族が遊びにきた同級生さん達の姿を見て、やっぱり寂しかったのかもしれない。
「それに」
そんなことを考えていた私に、修ちゃんが悪戯っぽい笑みを向けた。
「おじさん達も一緒だったら、交通費と旅費、まこっちゃんは出さなくてもすむんじゃないかな?」
「家族旅行を兼ねるってやつね。それ、いい考えかも!」
ただ、うちの両親はなかなか抜け目がない。そっち関係の負担はせずにすんでも、猫達をペットホテルにあずける料金ぐらいは、出させられるかもしれない。
「今度は風邪をひかないようにしないとね」
「そうだね。健康管理をしっかりして、遊びに行けるようにする!」
私がそう言うと、修ちゃんは嬉しそうに笑った。今年こそは絶対に行こう、ボーダイの開校記念祭!
そして家に帰ると、五匹の猫達がそろってお出迎えをしていた。それを見た修ちゃんは、かなりドン引きした様子だった。ただ、猫達の目は修ちゃんではなく、キャットフードの入ったレジ袋に釘付けだったようだけど。