第三十四話 ある年のGW 7
「ねえ修ちゃん」
「なに?」
「こういうさ、映画の中だけでも、自分のところの護衛艦がこっぱみじんになっちゃうのって、イヤな感じしないの?」
遊びに来て三日目、私達は修ちゃんが録画しておいた映画を観ていた。
その映画の中で、アメリカの戦艦や日本の護衛艦が、宇宙人に攻撃されてこっぱみじんになるシーンで、ふと疑問に思ったので質問をしみる。艦の名前もしっかり出ていて、その護衛艦がここの所属だったから気になってしまったのだ。
「んー、しょせんは映画だし。怪獣映画で戦車が戦闘機が吹っ飛ぶのを観て、あららーって思うのと同じぐらいかな。なんせこの場合の相手は宇宙人なわけで、ここでこっぱみじんにならないと、話が進まないだろ?」
「何気に現実的だね修ちゃん。こんなにツッコミどころが満載な映画なのに」
「現実的もなにも。聞いてきたのは、まこっちゃんじゃないか」
つまりは、相手が得体の知れない宇宙人や怪獣だったりすれば、修ちゃん個人としてはそれほどイヤな気分にはならないということらしい。公式的に自衛隊が国内で撮影協力する場合には、爆発するのは駄目とか沈没するのは駄目とか、取り敢えずかっこよければ問題なしとか、陸海空でそれぞれ線引きがあるらしい。
「だいたいさ、映画で自分が所属している基地の艦が、こっぱみじんになったぐらいで腹を立てていたら、アメリカ人なんてどうなるのさ。しょっちゅう映画の中で、国内の街が吹っ飛んだり空母が吹っ飛んだりしてるだろ?」
「それはそうなんだけどさあ……」
そんな話をしている間も、アメリカ軍の戦闘機が宇宙人の戦闘機に撃墜されていく。
「なに、まこっちゃんはイヤなわけ?」
「なんとなくー? だってさあ、これに修ちゃん乗ってたらとか考えると、なんだかものすごくイヤーな気分になる」
「これ、だだの映画じゃないか。しかも、ツッコミどころ満載」
「でもイヤな感じなの! わわわ、なんなの?!」
修ちゃんがいきなり頭をワシャワシャしてきて、それからハグされた。
「かわいいねえ、まこっちゃんは」
「なになに、髪をぐしゃぐしゃにしないでー」
「俺のこと、心配してくれているんだ? ただの映画なのに」
「想像力過多ってのはわかってるんだよ?」
それでもイヤな気分になるのはしかたがない。じゃあこの映画を観なければ良いじゃないかという話になるのだけれど、そこがまた難しいところなのだ。ツッコミどころ満載なストーリーではあったけれど、この映画を気に入っているから特に。
「修ちゃんのことだから、こんなことになっても、シレッと無傷で生き残ってそうだけどね」
「それって、ほめられてるのかな」
「もちろん。ねえ、ちょっと。どさくさにまぎれてくっついてくるのやめて。映画、まだ観てるんだから。そんなにくっついたら、落ち着いて観れない」
「この映画、一度見てるんだから、そんなに真剣に観なくても大丈夫だろ?」
修ちゃんは笑いながら私を抱き寄せ、私が着ているパジャマの裾を引っ張った。
「しかしこのパジャマ、とうとうまこっちゃんのものになっちゃったなあ……」
最初の日に抱き枕にしていた修ちゃんのパジャマは、私のお昼寝の枕になったり、抱き枕になったりしているうちに、とうとう私のパジャマになってしまった。もちろん帰る日にはちゃんと洗濯をして返す予定だ。洗濯したら、まこっちゃんの匂いが消えちゃうじゃないかと、修ちゃんは文句を言っているけれど、さすがに洗濯しないのはダメだと思う。
「この映画での、まこっちゃんの微妙ポイントはそこなんだな。俺の場合、この映画を観ていて微妙な気分になるのは、最初のほうにあった、艦長と主人公がトイレで殴り合ってるシーンかな」
「そうなの?」
「こっぱみじんより、自分の上官がトイレで殴り合っているほうがずっとイヤだぞ。しかも相手は、どう見ても自分より年下の若僧だろ? ああ、年下ってのは、艦長から見てってことだけど」
「ああ、そっちのほうがイヤなのね、なるほど。こんなことって普通はないってこと?」
「……」
なんだか変な沈黙が流れた。なんでそんな微妙な顔をするのだろう。
「……もしかして、あるの?」
「艦長が下の連中と殴り合うのは見たことないよ。けどほら、同い年ぐらいの者同士だと、たまにはケンカもするだろ? 男同士だからどうしても殴り合いになるからなあ。ああ、もちろん艦内ではそんなことないよ。だいたい、航海中にそんなことしているヒマなんて普通はないから」
そう言ってから悪戯っぽい目つきになる。
「それに、普段は怖い怖い鬼の先任伍長様が、常に艦内で目を光らせているからね」
「ってことは、この映画みたいに、隠れてトイレで殴り合ったりしないんだ?」
「なんでトイレにこだわるのさ」
「え、だって……映画にもなってるから、そこが海軍伝統の殴り合いの場所なのかなって」
「そんなわけないだろ」
速攻でツッコミが入った。
「まさかまこっちゃん、トイレでの殴り合い、経験があるとか言わないよな?」
「私はトイレで殴り合いなんてしたことないよ。そりゃ、高校の時には気に入らない子を呼び出してネチネチやってる子はいたけど、そういう時の場所って、どっちかと言えばトイレより校舎の最上階のおどり場とか、体育館の裏とか、人があまり来ない場所だったと思うよ?」
「ジョシコウコワイ……」
これって女子校に限ったことではないと思うんだけど。
「私はそんなことしたことないよ。そういうおっかない子から、逃げまわってたほうだから。で、もう、邪魔なんだってばー」
わざとらしくプルプル震えている修ちゃんを押しのける。
「まこっちゃん、なんか俺のあつかいがひどくない?」
「そんなことないでしょ? 邪魔する修ちゃんが悪い」
「ちょっと長く一緒に居ると、とたんにあつかいが軽くなるんだからなあ」
そう言いながら再びギュッと抱きついてきた。もうすぐ三十だというのに、こんなふうに甘えているところなんて、他の人には見せられない。今の修ちゃんには、幹部の威厳とか風格とかそういうものの欠片も感じられない。トイレで殴り合うのを見るより、こっちのほうがずっと微妙な気持ちになるのでは?と思わないでもない。
「そんなことありませんー。いつもこんな感じじゃない」
「俺より映画が大事とか。しかも何度か観たやつなのに」
「修ちゃんだって家に帰って来た時、私のこと放って録画したやつ観てる時あるでしょ?」
「だけど俺は、まこっちゃんのこと、邪魔とか言わないじゃないか」
「だって私は、修ちゃんが映画見ている時、邪魔したりしないもん」
どっちかと言えば、今のように修ちゃんが私を離してくれないことのほうが圧倒的に多い。途中で映画を観るのをやめて膝枕で昼寝を始めたり、耳かきをねだったり。さらにはその場でイチャイチャしてて、その気になってしまいベッドに行くぞーとなったり。結局は修ちゃんのペースな気がする。
「修ちゃんがワガママ大王になってることのほうが、圧倒的に多いと思うんだけどなあ……」
「それはしかたない」
「なんで?」
「俺が、まこっちゃんのこと愛してるから」
「私だって、修ちゃんのこと愛してるよ。だけど今はこの映画を観たい」
「……」
修ちゃんは大きな溜め息をついた。我ながら、今の返しはなかなか良かったかもしれない。
「……ま、明日は休みなんだから一日ゆっくりできるんだし、あと一時間半ぐらいどうってことないけどね」
なんとなく負け惜しみっぽい口調でそう言うと、わたしに抱きついたまま、テレビ画面に目を向けた。
「ねえ、なんでくっついたまま?」
「そのぐらい良いだろ? 映画を観るのを邪魔してるわけじゃないんだし」
「うーん……」
「なんだよ、邪魔してほしいの? だったら、いくらでも邪魔してあげるけど?」
そう言いながら、パジャマの下に手を入れてきた。その手をバシッとたたく。
「ダメです! 映画、最後までちゃんと観るんだから!」
「だろ? だったら、くっついてるぐらい我慢しなさい」
邪魔してあげるとか、我慢しなさいとか。絶対に言葉遣いが間違っている気がする。
「ねえ、修ちゃん」
「なに?」
CМに切り替わったところで、それをスキップせずそのままにして台所にお茶をいれにいった。お湯呑を二つテーブルに置いたところで、ソファでゴロゴロしている修ちゃんに声をかける。
「明日、修ちゃんも休みなんだよね? どこかに出かけられる予定なの?」
「遠方は無理だけど、せっかくの休みだから、天橋立でも見に行こうかって考えてるけど」
「ほんと?」
「ああ。そのぐらいの距離なら問題ないから。まこっちゃんだって、ここでオサンドンしているだけじゃつまらないだろ?」
特にどこかに行きたいと思っていたわけではないから、別に主婦業に専念していても問題はなかった。だけど、修ちゃんが出かける計画を立ててくれていたことが嬉しくて、それは黙っておくことにする。
「天橋立、小学校の修学旅行で行ったっきりだよ。もう、うっすらぼんやりしか覚えてない」
「ならちょうどいいね。それと、れいの魚の店に行って、お姉ちゃんちとお婆ちゃんお義母さんに、おいしい魚を送るってのはどうかな?」
「うんうん。それ良いね。お母さん達もだけど、お姉ちゃん、きっと喜ぶよ、魚好きだから」
「どっちもここから一時間ちょっとだから、明日はのんびり出発すれば良いと思う」
そう言うと、修ちゃんはふたたび私を抱き寄せて、映画を観る態勢になった。
この時は、今の修ちゃんの言葉を深く考えていなかった。久しぶりに二人で出かけられるのが嬉しくて、「のんびり」の意味まで考えていなかったのだ。まさか二人で、ベッドの中で「のんびり」することだったとは。まったく油断した!
まだまだ、まこっちゃんは修行が足りないねと言われたけれど、なにをどう修行をすれば良いのか、まったく理解できなかった。




