第三十一話 ある年のGW 4
「もう、修ちゃん、寝なきゃ、駄目なのに!!」
我が家のわがままなエロい人は、ただいまお夜食中だ。いくらここが官舎で、目の前が職場だからといって、こんな時間まで夜更かしして良いわけがない。そう言っても、まったく聞く耳を持ってくれなかった。
「ラッパが鳴る前に行かなくちゃいけないんでしょ?」
「ちゃんと起きるから問題ないよ」
「私、もう寝たいのにぃ……」
「寝てたら良いじゃないか」
「こんなことされてたら寝れません!!」
一回だけの条件、もう少し話し合っておけば良かったと後悔中だ。お互いに満足できたらお休みなさいだと思っていたら、なんと修ちゃんは、俺が気が済むまでが一回だから♪と、ニッコリとほほ笑みながら言い放った。
―― もう信じられない! 満足と気が済むの違いってなに?! ――
「寝る」という単語を口にしなかったことを譲りはできても、この一回の定義はどう考えてもおかしい。誰に聞いても、絶対に違うというに決まっている。もちろん、こんなことは誰にも聞けないけれど。
「俺、いつもよりおとなしいから、頑張れば寝られると思うんだけどなあ……」
「むーりー。修ちゃんがうにうに動くから眠れないー……」
そう言いながら、修ちゃんの肩をゲンコツでたたく。
「うにうにって……なんだか、ナマコかウミウシになった気分だ……」
「こんな固いナマコやウミウシなんてないですー! だいたいナマコやウミウシは、人の体の中で動いたりしませんー!」
私の言葉に、修ちゃんがニヤッと笑った。
「まこっちゃん、けっこう言うことがエッチだね」
「一体どこがどうエッチなの。事実を言ったまでです。ってかさあ、修ちゃん、私、本当に寝たいんだってばあ……」
実際のところ、私の眠気はマックス状態ではあった。こうやって目を覚ましているのは、どう考えても私の上でお食事をしているエロい人のせいだ。
「だから、寝ても良いって何度も言ってるだろ?」
「ふえぇん、だからあ……」
「だからなんなのさ」
たしかに修ちゃんはいつもよりずっとおとなしい。激しくすることなく、ゆっくり動いてくれているのは間違いない。ただそのせいで、気持ちいい時間もいつもより長いわけで……。
「だから眠れないの!! はっきり言わせてもらえば、修ちゃんがそうやって動いている限り、気持ち良すぎて眠れないの!! いいかげんに、修ちゃんも修ちゃんの息子さんも、おとなしく寝てください!」
なんでこんなことを説明しなくちゃいけないの、と自分が情けなくなる。
「なにごとも鍛錬だよ、まこっちゃん。そりゃあ、気持ち良すぎて眠れないなんて、男冥利につきるけどね」
「うあー……鬼だあ……」
「こんな優しい鬼さんなんていないでしょ」
そう言いながら、修ちゃんがいきなり、耳に息を吹きかけてきた。
「うにゃあ?!」
不意打ちに変な声が出る。やった張本人は笑い声をこらえているみたいだ、否、こらえていない、この顔は間違いなく笑っている!
「修ちゃん!」
「明日には俺んち、猫を密かに飼っているって、噂になっているかも」
「そ、そんなに大きい声出してない!」
それでも、部屋の窓が開いていないか、確かめてしまった。そんな私の様子に、修ちゃんはおかしそうに笑い始めた。
「もー……笑うかエッチするかどっちかにして……」
「あいかわらず耳が弱いのは良くわかった。でもさ、こういうまったりとエッチをするのも、楽しいと思わない?」
「眠たい人間になんつーことを……っていうかこれ、まったりしてるー?」
「いつもにくらべたら、まったりしてるでしょ。楽しくない?」
「イチャイチャするのが楽しいのはわかるけどさあ……」
「だろ?」
「でも寝たいの!」
私は本気も本気で眠たいのだ。修ちゃんは、夜更かししても平気なのかもしれないけど、とにかく私は一分でも早く眠りたい!!
「わかったわかった。じゃあ、最後にガッツリ気持ち良くさせてあげるから、そのまま寝ちゃいなさい」
「それどういう……」
「そのかわりと言っちゃなんだけど、火曜日が休みなんだよ俺。だから、明々後日の夜、正確にはもう明後日だけど、ちゃんと付き合ってくれよな」
「……どーゆーこと?」
「そーゆーこと」
って言うかガッツリって……なに?
+++++
「でもまあ、昨日はこんな感じになっていたのは、俺達だけじゃないと思うな」
「どういうこと?」
朝、修ちゃんが活動開始と同時に私も目が覚めた。夜のガッツリのせいで、睡眠時間が足りてなくて目がチカチカするけれど、せっかくの連休をゴロゴロすごすのはもったいない。私もそれなりに計画を立てていたから、一緒に活動を開始することにした。
「家族がこっちに来てたり、彼女が来てたり。そういうヤツが、俺達の他にもいるってこと」
「ふーん……」
「なんだよ、その疑ってる目は」
「疑ってるから!」
「少なくとも、俺以外に一人はいるから安心して良いよ」
なにをどう安心したら良いのかサッパリだ。だけどまあ、今日は目がチカチカするだけで、体のどこかが痛いわけでもないので、特別に許してあげようと思う。
「ところでまこっちゃん」
「なに?」
「なんで俺と一緒に起きたのさ。まだ寝てても良いんだぞ」
朝ご飯を食べている修ちゃんの横で、テレビをつけて天気予報を見ていると、そんなことを言われた。
「わかってるよ。だけど目が覚めちゃったんだもん。二度寝するとお昼ごろまで寝ちゃうから、このまま起きてる」
「あれだけ眠い眠い言っていたくせに……」
「誰のせいですか」
「誰のせいでしょう。祝日を決めた人のせいかもな。それとさっきから気になっていたんだけどさ……もしかして、今その手に持っているものが、朝ご飯だって言わないよね?」
私が手に持っているもの。それは昨日の夜、駅からここに帰ってくる途中のコンビニで買ったヨーグルトドリンク。
「ダメなの? けっこうな量だし、お腹いっぱいになるよ、これ」
私の返事に、修ちゃんは大きく溜息をつく。
「まこっちゃんの食生活は、あいかわらずなのか」
「朝ご飯だけじゃん。ちゃんとお昼も夜も食べてるから心配ないよ」
「だと良いんだけどねえ……」
「これだってお腹に入れてるだけマシでしょ? それより修ちゃん、そろそろ着替えないと時間」
ヨーグルトを飲みながら、壁にかかっている時計を指す。そろそろ出なければいけない時間だ。
「わかってる。だけどまこっちゃん。ちゃんと食べないと、低血糖で倒れても知らないぞ?」
「お昼はちゃんと食べるから平気!」
「頼むよ、まったく」
着替えに立った修ちゃんについていき、そのままベッドに座って、着替えているところを見物させてもらうことにした。そんな私の様子に、修ちゃんはちょっとだけ困った顔をする。
「あのさ、なんでそこでスマホを取り出すのかな。俺の着替えなんて写しても面白くないだろ?」
「エロい人から自衛官に変身する様子を、ちゃんと記録しておこうかと」
そう答えて画面をタップ。シャッターの音に、修ちゃんが顔をしかめた。
「あのさ、パンツ姿の俺なんて誰得なわけ?」
「だから記録なんだってば。スマホにも慣れてきたから、きれいな写真を撮れるようになったよ。あ、動画のほうが良かった?」
「そういうことじゃなくて。まさかそれ、お姉ちゃんやお義母さんと一緒に見るとか言わないよな」
「パンツ姿ぐらい、なにをいまさらだと思わない?」
なんといっても私達は幼なじみで、小さいころから一緒にプールに行ったり温泉に行ったりする仲なのだから。
「いやいや。さすがにこの年でパンツだけな姿はまずいでしょ」
「そう? だったら途中経過は私とお姉ちゃんだけで見ておく。お母さんとお婆ちゃんには、パジャマ姿と制服姿だけを見せるよ」
「……おい、お姉ちゃんには見せるのか」
ここの姉妹はおかしいと、ぼやく修ちゃんを無視して写真を撮り続ける。
「それで? 俺の着替えを撮るのは別として、今日の予定は?」
「んー? お洗濯して干し終わったら、そのへんをブラブラしてみようかなって。ほら、湾内めぐりの遊覧船が出ているってネットで見たから、それに乗ってみる予定。ここから近いよね、たしか」
ここの来る前に、このあたりでなにか見たいものはないかと調べてはみたけれど、特に見つけられなかった。そういう点では、いま住んでいる場所が観光地なんだなと実感する。まあここも、駅のほうに行けばショッピングモールもあるし、特に生活に困るわけではないのだけれど。
「ああ、あれね。うちのОBが説明してくれるやつだろ?」
「そんなこと書いてあったかな。それから近くの海軍博物館も行きたいし、あ、もちろん、桟橋にも見学にいくつもり」
「……やっぱり来るのか」
修ちゃんは少しだけ顔をしかめた。
「行くよ、当然じゃない。ここまできて見学しないで帰るなんて、ありえないじゃん。お姉ちゃんからも写真を撮ったら見せてって言われてるし、パンツ姿の修ちゃんはともかく、護衛艦の写真は見せてあげるつもりでいるから」
本当は、姉もこの連休の間に見学に来たいと言っていたのだ。だけど姉の職場は駅ビルのホテル。連休に有給休暇をとるなんて、どう考えても不可能だった。
「何時ごろに来るつもり?」
「さあ、何時にしようかな」
「教えないつもりか」
「だって、教えたら待ち伏せするつもりなんでしょ? そんなの面白くないから、観光の人の中にまぎれて行く。修ちゃんは私のことは気にせずに、仕事してくれてたら良いよ。別に誰に挨拶したいとかそんなんじゃなくて、普通に護衛艦を見たいだけだから」
「ふーん」
なんとも不穏な「ふーん」だ。これは釘をさしておかなければと思った。
「変なサプライズはやめてよね。他にも見物に来る人達がたくさんいるんだからさ」
「わかってるよ。連休中に停泊している護衛艦の任務は広報活動だから、ちゃんとお行儀よくしてます」
そんなわけで、エロい人から自衛官さんに変身した修ちゃんは出勤していった。もちろん玄関を出る前に。「行ってらっしゃいのキス」をねだることも忘れなかった。ちょっとキスが長すぎて、ゲンコツで殴っちゃおうかなって思ったのは、私だけの秘密だ。




