第二十六話 数年後の二人
「ヒノキ、ヤナギ、今日は修ちゃんが帰ってくる日だよ」
猫砂の掃除をしながら、私の横でちんまりと座っている二匹に声をかけた。ヒノキとヤナギは、私が自分達のトイレをきちんと掃除しているか、見張っているらしかった。そして掃除が終わったとたん、トイレに入っておしっこをする態勢に入った。
「ちょっと、なんで掃除をしてからするの? するなら掃除をする前にしてよー」
シャーという音がして、二匹がそれぞれのトイレで用を足す。いつもなら砂をかけるのに、私がスコップとゴミ袋を持っているのがわかっているせいか、そのままにしてトイレから出た。
「もー、砂ぐらいかけなよ、二人とも!」
二匹はやる気のない声で鳴いて返事をする。
「まったく……どんどん変な知恵をつけてくんだから」
スコップで砂をすくってゴミ袋に入れた。
ピンポーン
ドアチャイムの音が鳴って、ヒノキとヤナギが飛び上がった。この音が鳴るといつもこんな調子だ。きっと私達が思っている以上に、猫達にとってドアチャイムの音は衝撃的なんだろう。きっと今頃は、マツ、タケ、ウメも飛び上がってウロウロし始めているに違いない。
「ほーら、修ちゃんが帰ってきたよ、お迎えしなきゃね」
猫砂の入ったゴミ袋を専用のゴミ箱に放りこむと、玄関に急いだ。私達が玄関に顔を出すと、制服姿の修ちゃんが、ドアを閉めているところだった。手には大きな荷物が二つ。一つは紙袋のようだ。
「修ちゃん、おかえり!」
「ただいま」
「制服のままで帰ってくるなんて珍しいね」
いつもなら私服で帰ってくるのに、今日は制服のままだ。
「当直の引き継ぎでちょっと問題があって、ギリギリまで艦に残ってたんだ。着替える時間ももったいないからさ、そのままで帰ってきた」
「そうだったの。お疲れ様。ってことは、洗濯する時間もなかったんだよね」
「あたり。持って帰ってきたから、洗濯をたのめる?」
そう言って、靴を脱いであがりながら紙袋を差し出した。中には衣服がギッシリと詰め込まれている。ただ、整理整頓がしっかり身についているせいか、詰め込まれてはいたものの、きちんとたたまれているようだ。
「旦那さん、あんたは実に運がいい。洗濯機、新品のすげーヤツが今日の夕方に来たばかりなんだよ」
ゲームに出てくる武器屋の商人みたいな口調で言うと、修ちゃんは愉快そうな顔をした。
「あー、とうとう壊れちゃったか、前のヤツ」
「お亡くなりになりました。しかも毛布を洗ってる時にだよ。もうどうしようかと思った」
「ずいぶん頑張ってくれてたのに、最後の最後でか」
洗いかけの毛布相手に奮闘した私としては、できることなら洗い終わるまで、なんとか持ちこたえてほしかったというのが本音だった。
「てなわけで、修ちゃんの洗濯物が洗い初めってことになるね」
紙袋を受け取ろうと手をのばすと、なぜか修ちゃんがそれを遠ざけた。
「ちょっと、洗濯、するんだよね?」
「するよ。だけどその前に、ちゃんとただいまとおかえりをないと」
「ただいまって言ってたじゃん? 私もおかえりって言ったよね?」
「そうじゃなくて」
その場に荷物を置くと、修ちゃんが私を引き寄せて抱きしめる。そしてキスをした。
「帰ったらまずは、ただいまのキスとおかえりのキスをするのが我が家の決まり、だろ?」
顔をあげるとニカッと笑う。修ちゃんが帰ってきたら、ちゃんとお帰りのキスをする。そんなことを決めた覚えはなんてないのに、いつの間にかそれは、我が家の決まりごとになってしまっていた。
「もー、こんなところ、絶対に部下の人達に見せられないよね? 幹部様の威厳はどこへ?」
「幹部と言ってもまだ下っ端だから、威厳もクソもないよ」
笑いながら足元の荷物を手にすると、私の肩を抱く。廊下を歩く途中で、ヒノキとヤナギが声をあげた。すっかり存在を忘れられてご立腹のようだ。私達を見あげながらニャーニャー鳴くと、修ちゃんのズボンに遠慮がちに前足をかける。
「ああ、ごめんごめん。ヒノキ、ヤナギ、留守番ご苦労さん。元気にしてたか? 俺の顔、ちゃんと覚えてくれてるか?」
「ヒノキもヤナギも賢いから、大丈夫だよねえ?」
「だけど、まこっちゃんみたいに毎日ってわけじゃないから、帰ってきたら警戒されないかっていつも心配だよ」
「大丈夫だよ、うちの猫達はみんな賢いから。ほら、来た」
かすかに床を爪がこする音がして、マツ達が顔をだした。三匹も修ちゃんを囲んで、ニャーニャーと鳴き声をあげる。
「ほらね。みんな、ちゃーんと修ちゃんのこと覚えているから安心して?」
「そうか。マツ、タケ、ウメ、ただいま。お義母さんとお婆ちゃんには明日、挨拶をするから。それで良いよな?」
「うん。それで良いよ。遅くなりそうだからって、お母さんとお婆ちゃんにもそう言っておいたから」
猫達を引き連れて寝室に向かう。
「夕飯の用意できてるよ? それとも制服を脱ぐついでにお風呂はいる?」
「んー……そうだな、まずはまこっちゃんを食べたいかな」
「え」
修ちゃんの笑みが少しだけ黒いものになった。
「制服のままってことは、途中でご飯、食べてきてないよね? お腹すいてない?」
「すいてるよ。だから、まこっちゃんを食べる」
「まずはお風呂にはいって、次にご飯を食べるって選択肢はどうかな?」
「風呂、一緒に入ってくれるなら妥協する」
「えー?」
どのへんが妥協なのかサッパリだ。
「そうでなかったらこのまますぐベッドに直行で食べちゃうよ?」
「……一緒に入る」
「よろしい」
だけど私は修ちゃんの空腹度を甘く見ていた。
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お風呂から出ると案の定、私はフラフラになっていた。のぼせたわけではなく、これはすべて横でニヤニヤしている修ちゃんのせいだ。居間に行くと、お気に入りのソファに倒れこむ。
「もうやだぁ、修ちゃんてば手加減なさすぎる」
「そんなこと言ったって、久し振りに帰ってきたんだからしかたないだろ? 帰ってくるまで、ずっとまこっちゃん不足だったんだから」
「にしても激しすぎる~~、もうご飯の用意しなおす体力ないよ……」
「俺は適当に食べるから、まこっちゃんはそこで休んでれば良いよ。夜はまだ長いんだから」
その言葉にギョッとなった。
「無理! これ以上は絶対に無理だからね!!」
「明日、休みなんだろ? ゆっくりしたら良いじゃないか」
修ちゃんのニヤニヤした表情が、悪人のニヤニヤ顔になる。
「修ちゃん、帰ってきたら腕時計の電池、交換しに行こうって話してたよね?!」
「うんうん、行けたらな♪」
冷蔵庫から出してきた缶ビールをパコンと開けながら、ニヤニヤ笑っている修ちゃん。あの顔は絶対に出かけるつもりが無い顔だ。もうこの二日間の連休を、どうするか決めてるって顔をしている。
「わーん、行く気、全然ないでしょ~?!」
「まこっちゃんの体力しだい♪」
「うっそだぁぁぁぁ!!」
絶対に嘘だ。体力があったら、それが尽きるまでベッドでなにかしようと思っている顔だ。そこは間違いない! どうしてまるまる二日間、休みが重なってしまったのだろう。いつもなら嬉しいのに、今回ばかりは恨めしく感じてしまう私だった。
「ひーん、修ちゃんのいじわる! エロ魔人!!」
「なに言ってるんだよ、俺が誘えば喜んで抱かれてるくせに」
「ぎゃー、そんなこと言うなあ!!」
「だって事実だし」
「ぎゃー、だまれーー!!」
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そして気が付けば次の日、お日様はすでに頭の真上にあったわけで。
「ありえない……」
私は目を覚まして真っ先にそう声をあげた。久し振りのことで足も腰もガクガクで、体の奥には違和感がありまくりだ。なんとか起き上がってパジャマのまま居間に出ていくと、修ちゃんはヒノキとヤナギとならんでソファに座り、テレビを見ていた。私がソファに近づくと、ニヤニヤしながら振り返る。
「おはよう、っていうにはもう日がかなり高いけどな」
「誰のせい?!」
「さあ?」
わざとらしく首をかしげる。洗濯機を回してくれているのは評価する。だけど、やりすぎは良くないデス!!
「修ちゃん! そんなにヒマそうにしてるなら、猫砂を買ってきて!!」
「それは命令ですか、奥様?」
「命令です!」
「了解しました。藤原二等海尉、猫砂を買いに行ってまいります」
立ち上がると、わざとらしく敬礼をする。
久し振りの休暇なのだから、のんびりとすごしたいと思っているだろうけど、これぐらいは奥様権限で命令しても良いと思う。自転車のカギを持って出ていく修ちゃんの背中を、ため息まじりに見送った。
「まったくもう……休みのたびにこれじゃあ、こっちの身がもたないよ……」
あきれた気分半分、腹立たしい気分半分。洗濯機が止まったことを知らせる音が鳴ったので、そんな微妙な気分のまま、洗濯物を干すことにした。
「ただいま、まこっちゃん。今日はペット関係の商品、10%引きだってさ」
洗濯物が干し終わる頃に戻ってきた修ちゃんは上機嫌だった。猫砂5袋とマツ達のカリカリが5箱。とても自転車に一度に乗る量じゃない。もしかして往復でもした?
「修ちゃん、めちゃくちゃあるけど、自転車で往復したの?」
「いや。自転車で行こうと思ったんだけどさ、もしかしたらって予感がして車で行ってきた。どうせならもっと買えば良かったかな。ああ、閉店までにもう一度ぐらい買いに行っても良いか。ん? なんだよ、まこっちゃん」
「え? ううん、なんでもない。猫砂は重たいから助かったなーって」
罰を罰と感じていないところがなんともムカつく。だけど、重たい猫砂をこれだけ買ってきてくれたことに対しては、感謝しかない。うん。修ちゃんは本当によくできた旦那様だ。たまに腹が立つこともあるけれど。
「だろ? 俺って本当に気のきく旦那さんだよな?」
「うん」
「だろー?」
私は修ちゃんの言葉にうなづいた。
「だったらさ、まこっちゃん、ご褒美ください」
「ドウシテソウイウ思考ニナルンデスカ」
油断大敵とはまさにこのこと。うっかりうなづいてしまったのがまずかった。
「洗濯物は干してくれたんだね。助かったよ」
「ナニガドウ助カッタンデスカ」
「そりゃ、洗濯機の中で放置するのは良くないだろ? シワになるし、生乾きでくさくなるし」
真面目な顔をしてもっともらしいことを言っているけれど、修ちゃんの魂胆はお見通しだ。
「あのさ、修ちゃん……」
「二人そろって休みで良かったよな、まこっちゃん♪」
「…………」
…………とにかく、やり過ぎは良くないデス。ええ、本当に。




