第二十三話 幼なじみから旦那様に 3
少なくとも姉と顔を合わせるまでは、両親と祖母、そして修ちゃんが喜んでくれるなら、姉にあれこれ指図さしずされるぐらい、きっと我慢できるだろうと思っていた。だけどそれは間違いだった。
「お姉ちゃん、これで良いじゃーん」
「良くない」
「えー……」
「まだ三着目じゃない、こんなの試着のうちに入らないわよ」
「えーー……私がこれで良いって言ってるのにぃ……」
三着目を着せられて鏡の前に立っていた私は、なにが気に入らないのか不満げな顔をしている姉に言った。
「じゃあ聞くけど、今まで、自分に似合う服をちゃんと選べてた自信はある?」
姉が鏡越しに質問をする。そこを突かれるとかなり痛い。いまだに自分になにが似合うのかわからなくて、いつも母親か姉の意見を参考にしているからだ。
「……ないです。たいていは、お母さんかお姉ちゃんに選んでもらってた」
「ってことは?」
「……ドレス、もう一着試着します」
「そういうこと」
いきなりの早朝からの試着なのに、届けられたレンタルのドレスはちょっとしたものだった。よくもまあ、これだけの数をいきなり持ち込めたものだと感心してしまう。姉はブライダル担当の人達の弱味でも握っているのだろか。
「でも、若いって良いですねー、うらやましいです」
試着の手伝いをしてくれているスタッフのお姉さんが、ニコニコしながら言った。
「そうなんですか? 一体どのへんが?」
「お肌の状態も髪の状態も、見る限りまったく問題ないんですもの。お式の準備、ドレスもですけど、ブライダルエステもすごいんですよ。もしかしたら、披露宴のメニューを決めることより熱心にされてるかも」
「はー……」
そう言えばいつか見た雑誌の特集で、そんなことが書かれていた。それを読んで、世間の女性の結婚式に対する意気込みは、並々ならぬものがあると感心したものだ。そういう意気込みが自分には無さすぎるのかもしれないけれど。
「妹が誤解するから、あまりほめないで」
姉が顔をしかめながら、私がいま脱いだドレスをハンガーにかける。
「でも、こうやって見ても、お肌の状態も髪の状態もすごく良いですから。ぶっつけ本番なんてどうなんだろうって思ってましたけど、これならエステにいかなくても大丈夫ですよ」
「それはね、今まで無頓着でなにもしてないからなの。これからはそうはいかないわよ、真琴? 髪はともかく、ちゃんとお化粧も肌のお手入れもしないと、年をとってから大変なんだから。わかってる?」
そう言われてウンザリした気分になった。面倒くさくて故意に忘れがちではあったけれど、自分でもわかってはいるのだ。
「めんどくさいんだよ……それに塗ったらかゆくなるし……」
「それは、なにも考えずに適当に買うから。あんたみたいに、肌の弱い人が使えるメーカーをちゃんと教えてあげるから、これからは面倒くさがらずにしなさい。わかった?」
「はーい」
これ以上なにか反論するとヤブヘビになりかねない。だからここは、おとなしく姉の言うことに従うことにした。
「なによ、急に静かになっちゃって」
私が黙りこんだせいか、姉が面白がっているような顔をしてのぞきこんでくる。
「もー、お姉ちゃんに口答えすると、十倍ぐらいになって返ってくるんだもん」
「でも、私が言ってることは間違ってないでしょ?」
「間違ってるかどうかは問題じゃなくて、十倍になって返ってくるのがイヤなの!」
ヤブヘビになりかねないからおとなしくしていようと決めたのに、ついうっかり反論してしまった。そしてその反論に、姉とスタッフのお姉さんが声をあげて笑う。
「まあ気持ちはわかりますけどね、ドレスの試着は大変ですから」
「せっかくウエディングドレスを着るのよ? 一番似合うドレスにしたいと思わないの?」
「そりゃそうだけどさあ……」
とにかく普通の服と違って、脱ぐのも着るのも大変なのだ。普通の服ですら試着が面倒なのに、ドレスを四着とか。もう二度とこんなことはしたくないと、わりと本気で思ってしまっていた。
「せっかく写真を撮るんだから、素敵な写真にしたいでしょ?」
「んー……ここまで大変だってわかってたら、もっと簡単にしたかも」
「またそんなこと言って」
姉は私のおでこをピシャリとたたく。
「お父さんに見せてあげるんでしょ?」
「そこは理解してるんだよ?」
今回の無茶ぶりは姉の暴走でもなんでもない。あえて誰も口にしないけれど、それだけ父には時間的な猶予が残されていないということなのだ。
「お父さんのためというのが一番ではあるけれど、それと同時に、これは修ちゃんと真琴のためでもあるんだからね。……うん、やっぱりこれが一番ね。私の見立ては正しかった」
四着目のドレスを着た私を見た姉は、満足げにうなづいた。どうやらこれで決まりらしい。
「え、だったら最初からこれを試着すれば良かったんじゃ?」
「色々と着てみたいでしょ? だから最後にしたの」
「私は色々着なくても良かったよ」
そんな時間があるなら、もう少し寝ていたかったというのが本音だった。
「さて、じゃあドレスはこれね。あとはメイクをと髪のセット。終わる頃には修ちゃんがくる時間になるわよ」
「義弟さん、制服なんですよね。スタジオでの撮影、見せてもらっても良いですか? 今後の参考にもしたいので」
「今日は無理を聞いてもらったものね。どうぞ、見ていって」
「ありがとうございます」
いったんドレスを脱ぐと、ホテルで用意してもらったガウンを着せてもらった。そして色々な髪型をした女性が写っているカタログを渡される。
「今のドレスだと、この髪型が似合うんじゃないかなって思いますよ。髪の長さからすると、こっちのほうがおすすめかな」
お姉さんが一つ二つ候補をあげてくれて、おすすめも教えてくれた。
「だったらそれで」
「ちょっと、少しは悩みなさいよ」
私が即答すると、姉があきれた声をあげる。
「もー、ドレスの試着だけでお腹いっぱい。おすすめで間違いないんだろうから、これでいい」
「まったくもー……あんたって子は」
「これじゃダメなの?」
私の言葉に、姉は両手をあげて笑った。
「わかったわかった、それで良い。ついでにメイクもお任せよね?」
「うん」
「じゃあ、そういうことでお願いして良い?」
「わかりました。撮影もあるので、心持ち厚めに塗りますね」
「塗る……」
その言葉にイヤな予感しかしない。そんな私の気持ちを察したのか、お姉さんはニッコリとほほ笑んだ。
「大丈夫ですよ、厚化粧ってほどじゃないですから」
「お願いします……」
私が鏡の前のイスに座ると、お姉さんはメイク道具が入っているであろう箱をもってくる。かなり大きな箱だ。
―― なんでお化粧道具だけなのに、そんなに大きな箱?! お婆ちゃんのお裁縫箱より大きいじゃん! ――
「さっき、お化粧するとかゆくなるって言ってましたよね。だったらうちが使っている化粧品は大丈夫だと思いますよ。私も使ってますけど、無香料ですし匂いも気になりませんから。そんなにお高くもないので、新社会人さんにもおすすめだと思います」
お姉さんがそう教えてくれる。
「そうなんですか」
「もちろん例外もあるので、もしお肌に異常を感じたら、遠慮なく言ってくださね」
「じゃあ、こっちはお任せして、私は撮影の準備のほうを確認してくる。真琴、文句は言わないのよ? 相手はプロで、あんたより間違いないセンスをもってるんだから」
メイクが始まると、姉はそう念押しをして部屋を出ていった。
+++
私の用意が終わる頃になって、姉が修ちゃんをつれて戻ってきた。
「おはよー、修ちゃん」
「おはよう。まこっちゃん、めちゃくちゃ綺麗じゃん」
「化けたと思ってるでしょ」
「んなこと言ってないだろ?」
部屋に入ってきた修ちゃんは、私のところにくると、じっくりと観察をはじめた。ジロジロと見られて落ち着かない気分になってくる。
「あんまり見ないでよ、なんかもー、自分が自分じゃないみたいで変な気分なんだから」
「せっかく頑張った私達の成果を、変な気分だなんてひどいわね」
「ま、皆さん、同じようなことをおっしゃいますけどね」
お姉さんがすました顔でそう言った。
「さあ、修ちゃんも着替えないとね。服にマツ達の毛がついてるかもしれないから、ブラシは用意してあるわよ。それと靴みがきとブラシも。時間はどれぐらいみたら良い?」
「十分もあればじゅうぶんだから」
それを聞いて心の底からうらやましいと感じてしまう。私は時間単位で苦労したのに、修ちゃんの着替えは分単位で片づくらしい。
「それと、あなたも着替えるだけじゃないんだからね」
「え?!」
姉にそう言われて、修ちゃんがギョッとした顔になった。
「メイクはしないまでも、髪型はちゃんとしないと。記念写真なんだから。ここ、ちょっとはねてる」
姉の鋭いチェックが入った。たしかに頭のてっぺんあたりに、いつもは存在しないはねた髪の毛がある。
「制帽をかぶったら寝ぐせがあってもわからないと思うけど……」
「ダメです」
「えええ……」
修ちゃんは私に助けを求めるように視線を向ける。
「ダメです。私も苦労したんだから、修ちゃんも少しは苦労するべき」
「えええええ」
そんなわけで、修ちゃんも着替えの後に髪をセットしてもらうことになった。
「こんなところ、わからないじゃないか……」
姉とお姉さんが部屋を出ていき、修ちゃんが着替えを始める。それをながめながら、修ちゃんの文句に付き合った。
「私なんてずーーっとそんな感じだったんだからね。そのぐらいで文句を言うのは贅沢だと思う。着替えだって十分とか言ってるし」
「急げばってことだよ。あ、ヒノキ達の毛はついてないと思うけど、背中、見てくれる?」
私に背中を見せたので、手に持っていたメガネをかけて注意深く確認をする。
「うん、大丈夫っぽい」
「ならOKかな。撮影の時、メガネをはずすつもり?」
「そのほうが良いからって、お姉ちゃんが」
「なるほどね。ああ、まこっちゃん、めっちゃ綺麗って言ったかな?」
「さっき聞いたよ」
「そっか。本当に綺麗だよ」
「ありがとう」
ご満悦な修ちゃんの様子に、そう言ってもらえただけでも、早起きして苦労したかいがあったかなと思った。




