第十一話 五山の送り火 2
「浴衣を着た子、多いね」
「だろ?」
駅に向かうバスに乗ると、浴衣を着た子がたくさん乗っていた。
「いろんな柄があるねー……わ、修ちゃん、大変だ」
自分がいま目にしたものに驚いて、声をひそめながら修ちゃんの腕をひっぱる。
「どうした?」
「今、バスを降りた子、お化粧がすごくてさ、目元がキラキラしてて、まつ毛がめっちゃ長くて、前の人に刺さりそうだった!」
「刺さりそうって、そこまで長くなかったろ?」
修ちゃんが笑った。
「見た?」
「見たような見てないような。そこまで他人の顔なんて見てないよ」
「今まで見た中で一番長かったよ。今時のお化粧って、ああいうのが流行りなのかな?」
自分の目元を触ってみる。自前のままのまつ毛はそこまで長くない。自分がさっき見た人のようなまつ毛にしたら、一体どんな顔になるだろう。一度、試してみるべきだろうか?
「まこっちゃんは今のままでいいよ。刺さりそうだって言うなら、メガネの邪魔になりそうじゃん」
私の考えを読んだのか、修ちゃんがそう言った。
「あ、それは言えてる。あの長さだと、間違いなくメガネにささりそう。……あれ? そういえば修ちゃん、メガネは?」
実は、修ちゃんが帰ってきてからずっと違和感は感じていた。一体なにがそこまで?と思ったら、いつも顔のパーツに含まれているはずのメガネがないのだ。フレームのないメガネ?とも思ったけれど、どこからみても、メガネが存在している気配はない。
「やっとか。いつ聞かれるかって思ってたんだけど、まつ毛ネタになってようやく気がついたのか」
「いやほら、普段はしてるから当然すぎて意識してなかった。それでメガネは? まさか、視力矯正の手術をしたとかじゃないんだよね?」
「ちがうよ。今はコンタクトだよ」
そう言いながら、自分の目を指さした。
「コンタクトにしたの?」
「最近は使い捨てのがあるからさ、それにしたんだ」
「ふーん……」
「ふーんて何だよ」
私の返事が胡散臭げだったのか、修ちゃんは顔をしかめた。
「別にぃ。なんで急におしゃれさんになったのかなあって、疑問に思っただけー」
「あのさ、俺が大学で『おしゃれさん』とは程遠い生活をしているの知ってるだろ? メガネが訓練で飛んだら困るから、使い捨てのコンタクトにしたんだよ」
「ふーーん……」
「まさか疑っているとか?」
「別にぃ」
訓練でメガネが飛ぶと言われたら納得するしかないけれど、なんだかイマイチ信ぴょう性に欠ける。
「メガネが飛ぶほどの訓練なんてあるの?」
「そりゃ格闘技もそれなりに習うし、相手にとっても、メガネをしているよりコンタクトのほうがやりやすいだろ? ああ、目の中で割れる心配はないから。これ、ソフトコンタクトレンズな」
私がなにか言いかけたら、先回りして説明をしてくれた。
「なるほど」
「納得した?」
「まあ、納得かなあ~~?」
完全に納得したわけじゃないと言外ににおわすと、修ちゃんは、やれやれ困ったねと笑った。
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駅ビルの屋上は、ビヤガーデンをしているエリアと、送り火を見るエリアとにわかれていた。ビアガーデンのエリアは、おじさん達でほとんどテーブルがうまっている。
「おじさん達、送り火のほうはどうでもよさそうだね……」
すっかりできあがってしまったおじさん達の様子を、横目で見ながら修ちゃんにささやいた。
「たしかに。だけど点火時間がきたらどうなるかわからないから、できるだけ、あの手の人には近寄らないのが良いかもな」
「あ、それは言えてるね。注意しておく」
点火までまだ時間はある。だけど早めに場所をとっておかないと、送り火どころか、人の頭と背中しか見えなくなってしまう。売店でカップ入りのかき氷を買って、早々に送り火が見える場所に向かった。
「えーと……鳥居はどこかな。私、鳥居だけは実際に見たことないんだよね」
「んー? 鳥居はあのへんらしいけど」
売店のカウンターに置いてあった地図をもらってきた修ちゃんは、その地図をみながら、フェンス越しに指を左のほうへと向けた。
「んー……やっぱり鳥居の山は低いんだね、これだけ高い場所から見ても、他の山や家に囲まれてて、よくわからないよ」
「今は探せなくても、暗くなって点火したら見えるようになるから問題ないさ」
それぞれの山を探していると、持ってきた巾着袋の中の携帯電話が、ブルブルと震えた。
「?」
取り出して画面を見ると、かけてきたのは姉だった。
「もしもしー?」
『あ、出た。真琴、今、駅ビルのどこらへんにいる? 修ちゃんも一緒だよね?』
「一緒だよ。屋上の展望台にいるー」
『了解。今からそっち行くね。見つけられなかったらまた電話するから、携帯はそのまま持ってて』
「わかった」
通話を切ると、そのまま携帯は手に握ったままにする。
「お姉ちゃんが来るって」
「あー、そう言えば、職場、すぐそこだもんな」
修ちゃんは後ろを振り返った。
「今日まで仕事って言ってたのに。もう終わったのかな、仕事」
姉と義兄は駅ビルに入っているホテルに勤務している。ホテル業界は、サラリーマンとは違って休みが不規則だ。だから、キャンプも姉夫婦の休みに合わせ、明日から行くことになったのだ。もしかしたら母親から、私達が駅ビルで送り火を見るという話を聞いて、一緒に見る気になったのかもしれない。
「お姉ちゃんが合流するなら、夕飯、おごってもらえるかも」
「晩飯? どこもめちゃくちゃ混みそうだけど?」
後ろを振り返ってみると、けっこうな人が集まり始めていた。
「お義兄さんのいるレストラン、招待してもらえるかも。修ちゃん、お義兄さんが作った料理、まだ一度も食べたことないよね?」
「俺とまこっちゃんだけなら、どこででも食べられるだろうし、とらぬ狸の皮算用はやめておこうか?」
この口調からすると、ホテルでの夕飯はいまいち気乗りがしないらしい。
「ふむ。だったらここの近くにできた、おうどん屋さんでもいいかな。まだ行ったことないから」
「フレンチからうどんって、めちゃくちゃ振り幅が大きいな」
修ちゃんがあきれたように笑った。
「だって修ちゃんが皮算用やめろって言うから。だったらそこしか浮かばない。ちなみに、そこのおうどん屋さんは一度も入ったことないから、おいしいかどうかわからないよ?」
「うどんかー……」
「あとは、焼肉屋さん?」
「うーん、明日、バーベキューするとか言ってたろ?」
二人で晩ご飯をなににしようかと話し合っていると、後ろから声をかけられた。振り返ると姉が立っていた。
「修ちゃん、ひさしぶりー、元気にしてた?」
「おかげさまで、今のところ脱落せずにちゃんと生きてるよ」
「それは上々」
「お姉ちゃん、まだ仕事中なの?」
姉は私服ではなく、ホテルの制服のままだ。
「そうなの。まだ勤務時間は終わってなくて、ちょっと抜けてきただけなのよ」
「お義兄さんも?」
「河野さんはここには来てないわよ。明日からの休みのために、いま、しゃかりきになって厨房でお鍋とおたまを振り回してると思う。はい、修ちゃん、これ。失くさないでね」
姉が、修ちゃんの手になにかを乗せた。
「なに?」
私が質問をすると、姉は「あらら」という顔をする。
「もしかして、まだ言ってなかったの? ごめん、サプライズだとは思わなかった」
姉が修ちゃんにそう言うと、修ちゃんはバツの悪そうな顔をした。
「いやまあ、そういうわけじゃなくて。最初に言ったら、送り火どころじゃなくなるかなって」
「なるほど、それは言えてるねー。ああ、うちには仕事が終わってから電話しておくよ。二人してうちに泊まって、朝一緒に帰るって。待ち合わせの時間はー……西口に八時で良いかな?」
ニコニコしながら首をかしげる。そのニコニコ笑顔が非常にうさんくさい。この顔は、絶対に何かをたくらんでいる顔だ。
「それでオッケー。まこっちゃんが寝坊しなければ問題ないよ」
そして腹が立つことに、そのたくらみに修ちゃんも一枚かんでいるらしい。
「あー……それが一番不安かも。真琴、夏休みだからって、たるんでたらダメだよ? 着替え、部屋に置いておいたからね。うちのホテル、アメニティグッズはかなり充実してるから、メイクはそれを使って」
「まったく話が見えないんだけど」
「そうみたいねー」
あいかわらず、うさんくさいニコニコ笑顔を浮かべている。
「ねえ修ちゃん、なんのこと話してるの? 私、ぜんぜんわかんないんだけど」
姉に聞いてもダメなようなので、今度は修ちゃんに質問をした。
「送り火を見てから話すよ」
「えー、今じゃダメなの? 気になるー。お姉ちゃん、なんなの?」
どうやら二人とも、私の質問には答えてくれる気はないようだ。
「明日からキャンプなんだから、あまり夜ふかしをしないようにね。遊んでる途中で、琵琶湖に沈んじゃったら大変だから。じゃあ、修ちゃん、ガンバ♪」
姉は修ちゃんの肩をポンッとたたくと、グッドラックと言い残して、その場を立ち去った。
「修ちゃん?」
「とにかく後で。いま話したら絶対に送り火どころじゃなくなるから。ちゃんとご先祖様を送り出してから、話してあげるよ」
「えー……今でも十分に、気になって送り火どころじゃないのにー」
「ご先祖様が先です、そこは絶対」
「えー……」
こうなると修ちゃんは押しても引いてもダメ。送り火が終わるまで、おとなしく引き下がるしかなさそうだ。




