2.中世ファンタジーのそのほかの魔法
ファンタジー魔法には神聖魔法だとか精霊魔法と呼ばれるものがあるらしい。神や精霊に祈るとそれらが力を貸してくれるというものだ。これらの魔法を扱うならば神や精霊についての設定も考えられていなければならない。(これらを扱うなろう小説は大体が転生モノで、転生自体が空想でしかないので論ずるのは無粋ではあるが)そこで神や精霊を現実的に捉えてみよう。神といえばキリストだとかヤハウェやオーディンが挙げられる。彼らの力を借りるためには何が必要だろうか。・・・まっっっっっっったくわからない。神に祈って実際に助けれらた人はどれほどいるのだろうか。少なくとも私は神に助けられたことがないのでこれ自体に懐疑心を覚える。つまり「神などいない」といった無宗教的考えが(私にとっては)現実的と思われる。とはいえ中世は宗教勢力が強い権力を持っていた時代であることは事実である。カノッサの屈辱とか検索したらその時代の宗教のすごさがわかると思う。
余談はさておき、もしもの話になるが、神聖魔法が存在する世界ではどのような扱いになるべきなのかと言う話を聞いてもらいたい。そういう世界にではまず、神が存在しなければならない。そして神は人間を愛す絶対的な存在であるとともに慈愛に満ちた者でなければならない。そうでなければ、ひ弱な人間に力をお貸しになられるはずがないからだ。また、人間に仇なす存在は神聖魔法を扱えない。これは説明不要であろう。こんな世界ではもしかしたら神に対する強大な存在がいるかもしれない。言葉が思いつかないが仮に『悪魔』と呼称しよう。悪魔が存在するとしたら彼が人間に仇なす存在に力を貸していてもおかしくはない。神聖魔法と愛対するように邪悪な魔法があっても面白いだろう。
続いて精霊だがこれは神よりもファンタジー寄りの考えなので難しい。wiki調べによると日本でいう付喪神のようなものだろうか。それならば現実的でないと一笑に伏すのもやぶさかではない。もちろんファンタジーとしてそれらが存在する理由付けができるのであればあってもおかしくはない。問題は精霊が唯一個体であるかどうかだ。その個体の力を借りるのであればそう簡単に貸してくれるような力ではないはず。力が有り余っているとしても、そう軽々しく貸してくれるほどお人好しなのだろうか。そうなると「一般に普及している精霊魔法」というのはなかなかに胡散臭い。扱えるとしても世界に何人かくらいだろう。もし同じ精霊に力を貸してもらっている人間同士が戦い始めたらどうなるのだろうか。精霊自体が消滅したらどうなるのか。そもそも精霊に寿命はないのか。精霊が人間に反旗を翻すことはないのか。色々と破綻しそうな魔法である。もし精霊がたくさんいるのなら、それこそ人間との間に争いが起きそうなものだ。そうした時、誰かに貸すほどの力を持っている精霊が勝利するのは明白であり、人間はこの世に存在しないだろう。人類が繁栄する世界を思い浮かべる時、精霊は祈りの対象であると同時に畏れの対象でもある。
数ある魔法の中でもチートすぎる能力といえば時間操作だろう。
これはとても扱いが難しい。現実で確認されていない事象を扱うには繊細でなければならない。リアリティーのないファンタジーを書くならば上記の考察も全く意味のないものになってしまうからだ。実際に時間が止まった時、自分だけが動ける状況とはどのようなものだろうか。その時点のエネルギーはどうなるのだろうか。自分が動くためのエネルギーはどうなっているのだろうか。そう考えたところで現実的な時間停止とは何かという問いに悩まされる。よって私の小説では使わないこととする。
では時間遡行はどうだろうか。これはSF小説では度々登場するし、遡行するための理論をブラックボックスにしてしまえば簡単に物語に組み込むことができる。しかし、中世ファンタジーの人々が時間遡行の理論を生み出すというのはなかなかに非現実的だ。それだけの理論を完成させることができるのであれば中世どころか近未来ものになってしまう。よって私の小説では無いものとする。