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夏の終わりの甲子園  作者: 村咲 遼
1/5

ただ涙しか出て来ないんです。

 あと一歩だった……。

 もう少しだった……。

 私がもっと努力すれば……。

 あの時、あの言葉を言っていれば……明日の決勝戦に出場できたかもしれないのに……。


 涙が止まらない。


 あと一息、もう少し……私が……。


「おい、梨紗」


 負けて席を立ってから、近くの百貨店のトイレに駆け込んだ笠岡梨紗かさおかりさは化粧室で声を殺し泣き続けた。

 後悔、情けなさ……いや、自分の口下手さに自信のなさ……全ての不甲斐なさに恥ずかしく、悲しく、涙が止まらなかった。


 しばらくして、涙をぬぐいながら出てくると、何故か女性用トイレの入り口にもたれて立っていた先輩の粟井原遼一あいばらりょういちが声をかけてきた。


「粟井原先輩!す、すみませんでした!私が……私が、あそこでためらったから、詰まっちゃったから」


 ブワァァっと瞳を潤ませ腰を90度に頭を下げる。


「せっかく、せっかく……先輩たちが頑張ってきたのに!」




 俳句甲子園……正式名称は『全国高校俳句選手権大会』と言う。

 俳句の街、道後温泉の街である愛媛県松山市で行われる。

 1チーム5人ずつで戦い、決められた季語を用いて俳句を詠むだけではなく、自分の俳句のイメージ、そして、相手の作品の批評をする。

 初日は俳句の街の商店街でテーブルに机を並べ、発表し、論戦を繰り広げる。


 梨紗は一年生で初めて出場し、先輩たちと共に必死に俳句を考え、その意味や説明に時間をかけた。

 それだけではなく、先輩たちの句を覚え、あれこれと考えてきたと言うのに……。


「もう泣くな。ほら、行くぞ」


 遼一は手を握り、歩き出す。


「皆、お前がいなくなったと大騒ぎだ。心配してたぞ」

「お、怒ってたらどうしよう……」

「その前に、泣くな」


 きっぱり言い切る2年生の遼一に、ブワァァっと涙がこみ上げる。


「ごめんなさい……ごめん、なさい……」

「あぁぁ……!だから泣くなと言ってるだろうが!」


 遼一は周囲の目を気にしてたしなめる。

 エレベーターで一階に降りると、ポケットからスマホを取り出す。


「もしもし。部長。笠岡見つけました。百貨店の女性用トイレで泣いてました……はぁ、はぁ……俺がトイレに入るわけないでしょうが!入り口で出てくるまで待ってたんですよ!」


 遼一はため息をつく。


「もう、泣きすぎでボロボロなんで、先輩たちに会うとまた大泣きすると思います。家に送りますね……うっさい!何がお持ち帰りですか!うちの父の知り合いに送って貰いますよ。じゃぁ、失礼します」


 スマホを切ると、百貨店の自動扉から出て歩き出す。

 制服を着ている遼一は、17になるのだがひょろひょろと伸びた長身である。

 運動部にと勧められるが、運動よりも実家の手伝いや文芸部だけで満足している。


「で、いつまで泣いてるんだ?」


 商店街の中は予選の為、人が多い上に、観戦客だけではなく、商店街のお客も行き来する。

 その中で、泣いている少女の手を引く遼一はかなり目立つ。

 しかし、そんなことを言っている場合ではなく無表情に徹する。

 人々の間を抜け信号の前で立ち止まると、ギラギラとした日差しが照りつけてくる。


「暑いなぁ……夏だから」

「ごめんなさい……」

「おい、夏の暑さにごめんはないだろう。暑さを梨紗のせいにしたつもりはない」

「ごめっ、ん……すみません……」

「だから泣くなって」


 今年は変な天気である。

 東日本は寒いほど雨が多く日照時間も短い、逆に西日本は雨が少なく、暑い日が続いていた。

 日差しが上からだけではなく下からも跳ね返ってくる。


「あの街は、最高気温は36度位なんよ?」


 と、遼一の母は笑う。


「でもねぇ、日差しと、照り返しがきついけんねぇ……蜃気楼みたいによう見えるわ」


 他の県では40度だのあるが、こちらは体感温度が40度近いらしい。

 今日は33度だが、ギラギラとした日差しは、湿気は低いが痛いほど暑い。


「……嫌になるくらい、暑いなぁ……雨も降らないし」

「すみません……」

「あのなぁ……だからもう一度言うが、夏の暑さまで、お前の責任にする気もないし、あの時、お前は必死に頑張っただろう。たった1人1年生だっていうのに、緊張して手が震えて、それでも、自分の句のことを説明して、相手の句を批評して……頑張っただろう?一歩だけ向こうの方が上手だっただけだ。ここで泣くなら、来年またもっといい作品を持って戻ってくると思えばいい」

「でも……部長たち……最後の年だって……」


 わぁぁ……!


泣きじゃくる梨紗の頭の揃いの帽子を軽く叩く。


「だから、お前だけが悪いわけじゃない。5人で1チーム。その勝利数で勝つ。それに、お前が最後だったが、すでに二敗していた。お前が悪いと言うなら、その前に負けた先輩たちが悪いことになる」

「違う、違います!」

「じゃぁ、お前も悪くない。ほら、泣く暇があるなら歩け。暑いんだ。特にお前、泣きすぎで脱水症状だろう。飲んでから帰るぞ。送る」

「飲んで……こ、コンビニ……」

「泣いているお前連れてコンビニに入るのは嫌だ。ついでに、お前を外で待たせて、どっか行かれるのも困る。もうすぐ近くだ。来い」


 なるべく日陰を選び歩いて行く遼一に連れられ、向かう。

 そして、


「はい、ここの上」


とある高級そうな立地条件の良い、オートロックマンションに入って行く。

 しかも、コンシェルジュも待機している。

 遼一はコンシェルジュに挨拶をするとエレベーターに乗り込んだ。


 そして、上がって降りると、ブザーを鳴らす。

 するとすぐに、


『はぁーい!』

「母さん。俺」

『お帰りなさい。りょうちゃん』


鍵が開けられ、姿を見せるのは梨紗よりも少し背の高いぽっちゃりとした女性。


「お父さんも起きてるわよ」

「あ、母さん、紹介する。後輩の笠岡梨紗。梨紗。俺の母さん」

「は、初めまして、笠岡梨紗と申します」

「あらあら、まぁまぁ……遼一の母のはるかです。彰一しょういちさーん。りょうちゃんが、女の子連れてきてますよ〜」

「母さん!後輩!」


 遼一は食ってかかる。


「はーい。じゃぁ、梨紗ちゃんだったかしら、麦茶とスイカと、アイスクリームとかき氷と、水ようかんとところてんと……どれがいいかしら?」

「母さん!」

「だって、お母さんばっかり食べて、太っちゃうんですもの……りょうちゃんは、お母さんと食べてくれないでしょ?」


 沢山貰っちゃったのよ。


と案内しながら遼はため息をつく。


「冷凍庫も冷蔵庫も一杯だし……それでも、りょうちゃん食べないでしょう?」


 繰り返し上目遣いで訴える母を黙殺する。


「……」

「……小さい頃はあんなに可愛かったのに……大きくなったら、自分1人で大きくなったみたいに……酷いわ……あぁ、はい、どうぞ。彰一さん」

「あぁ、お帰り。遼一」


 ナイスミドルなおじさま……遼一が歳を重ねたらこんな風になるのだろうと言いたくなるような、顔立ちは穏やかだが仕草に色気のある男性がネクタイを締めながら振り返る。


「ただいま。父さん」

「あぁ、お帰り。そして、お嬢さんもこんにちは。遼一の父です」

「こ、こんにちは。笠岡梨紗と申します」

「暑かったでしょう?妻が麦茶を持ってきますから、待っていてくださいね」


 微笑む姿は大人の余裕が見える。


「ほら、そこに座る。濡れタオル持ってきたから顔に乗せとけ」

「は、はい、すみません」


 遼一の言葉に慌ててソファに座り、顔に乗せる。

 ひんやりしていて、とても気持ちがいい。


「梨紗ちゃん。麦茶と水ようかんを置いておくわ。食べてちょうだいね?」

「あ、ありがとうございます」

「麦茶を飲んだら、タオルがなまぬるくなるまでそのまま。そのあと、ホットタオルするから」

「すみません。先輩」

「いい。ちゃんと飲め」


 一旦タオルが外され麦茶を口にすると、ホッとする。


「……ありがとうございます」

「はい。タオル」


 顔を覆われ、目を閉じる。


「で、今日は暑かったねぇ……遼一」

「あぁ、セミはうるさいし、地面からは靄というか蜃気楼というか……あっち見てもこっち見ても、日傘差してる。最近は男も差してるしな」

「遼一……もう少し丁寧に喋りなさい」

「やだよ。姉さん達が言うじゃないか……笑うし。あ、ありがとう、母さん。梨紗。タオル交換するから、驚くなよ」


 遼一の言葉に、今度は温かいタオルになる。


「うぅ……気持ちいい……」

「しばらくそうしてろ。それよりも父さん、もう少し日が陰ってから店に行った方がいい。暑いんだから」

「父を年寄り扱いするな」

「年寄りというよりも、熱中症対策だ!仕事中は水は飲まないが、酒は相伴で飲む。だが、多少の塩分は必要だし、去年熱中症で救急搬送されたのを忘れたか!」


 遼一の父、彰一は仕事柄昼夜逆転の生活をしている。

 それに、店ではエアコンをかけているので、家ではかけたくないと言い、かけずに寝ていたら、去年倒れ、点滴に数日通院を言い渡されたのである。


「酒は脱水症状を悪化させるんだぞ。全く。ここまで育ててもらったのはあのお店で、父さんのお陰だと重々承知しているけどな、老後を考えろ」

「うっ……」


 実際、彰一の同級生は、遼一と同年代の孫もいる。

 見た目は若いが、実際いい歳なのだ。


「まぁ、跡は継いでやるけどさ……って、寝てる……」


 遼一はため息をつく。


「まぁ、あれだけ泣けば、泣き疲れて寝るよなぁ……」

「泣き疲れて?」

「……だから部活の後輩。負けちゃったんだ。そうしたら、いなくなって探していたら、近くの百貨店の女性用トイレで号泣してて……出てくるまで待ってた。明日のこともあるのに……もう、先輩達に任せておこうかと……」

「明日?」


 遼は、ところてんを口にする。

 甘党である。

 しかも幸せそうに食べるので、父が餌付けしている。

 昔から両親のイチャイチャぶりには慣れてはいるが、その年齢でそれかよと言いたくなるものである。


「敗退したチームの敗者復活戦があるんだよ。それで、勝ったら決勝戦。一応即興で句を詠むことにはなっているけれど、ある程度ネタを考えておくべきだろう。けれど、梨紗は負けたからって泣きながらいなくなって、先輩達には先に戻ってもらって、探していたんだ」

「まぁ……りょうちゃん、虐めたりしちゃだめよ?」

「してないって」


 くぅくぅと気持ちよさそうに寝息を立てる梨紗から離れ、1人用のソファに座ると、水ようかんの横の和菓子を口にする。


「これ、『まつのお』の?」

「そうよ。持ってきてくださったの」

「ふーん……これなら食べられる」

「味覚音痴じゃなくて、かなり厳しいのよね」


 ため息をつく。


「ところで……」


 着メロが鳴り始める。

 慌てて梨紗のカバンを確認すると、自宅かららしい。

 遼が電話を取り、少し離れたところで取ると、


「あ、こんばんは。申し訳ありません。私、梨紗ちゃんの部活の先輩になる粟井原遼一の母です。はい、実は梨紗ちゃんが暑さで参ってしまって、息子が家に連れてきましたの。はい、熱はありませんわ。代わりに疲れて眠ってしまいまして……えぇ。お迎えに来られますか?えぇ、私どもの自宅は……はい、はい……そうです。こちらは大丈夫ですわ。先ほど眠ったところですし、何でしたらお預かりしますわ。息子もおりますので。何でしたら、明日の荷物をよろしくお願いします」


などと言いながら切った。


「母さん?」

「家の名前を言ったら、向こうで俺が行くとかうるさかったから、来なくていいや〜って思って。お母さん面倒なの嫌」

「……」


 遼一は頭を抱える。

 父と母は年の差婚だが、それでも、母も高齢出産で、遼一を生んだ。

 母と父の一文字をそれぞれもらったために遼一である。


「あのさ……母さん。俺……学校で、梨紗を家に連れ込んだとか噂になったら困るんだけど?梨紗も」

「両方の親が了解しているのですもの、大丈夫よぉ〜」

「それが済まないのが、学校だろう?どうするんだよ!」

「だって、来て欲しくないし〜、聞いてたら何か嫌なんだもの」

「梨紗の親か?」

「ううん、おじさんだったわ。何か、命令しなれてて、自分が偉いと思い込んでる変な人。お母さん嫌い」


 遼は顔をしかめる。


「あー言う人に来られるなら、梨紗ちゃん預かったほうがマシだもの。りょうちゃん。部活の部長さんに連絡しておいてね?お母さんが、梨紗ちゃん起こすのが可哀想だから泊まって行くようにって言ったんだって」

「はいはい。じゃぁ、今日はおれ、父さんの店手伝うから、母さん、梨紗頼むよ」

「えぇ、行ってらっしゃい」


 遼一は、俳句のノートや季語辞典を手にし、父と共に出勤する。

 ほぼ休日なしの父だったが、遼一が生まれてからは土曜日曜の晩は休みになった。

 今日は予約が入ったのである。


「じゃぁ、梨紗ちゃんのパジャマを探しましょうか……いつも思うけど、女の子っていいわぁ……」


 友人の子供は女の子が多く、遼一が唯一の男の子である。

 友人達は羨ましがるが、


「頑張って、もう1人産んでおけばよかったかしら……」


と呟いたのだった。

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