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闇の剣  作者: 野風 月子
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「ただいま。」

あの日から猫を見ることはなくなった。

佳奈もあのペンダントを再び引き出しの奥にしまい、出さなくなっていた。

あの事件があって以来再び佳奈には平和な日常が帰ってきたのだ。

もう魔物と出会うこともないだろう。

そうあって欲しい。

段々と蒸し暑さがからりとしたものに変わっていくのを感じながら、佳奈は勉強机で宿題に励んだ。

夕食の時間になり、階段を下りていく。

「佳奈、宿題は終わったのか?」

いつもの通り一に聞かれ、佳奈は笑いかけた。

「帰ってすぐに終わらせたよ。」

いつものことなのに、聞かなくては一が落ち着かないらしい。

にこやかに笑っている晴子が台所から料理を運ぶのを手伝う。

「おばあちゃん、明日プールだからお風呂の準備しててね。」

「はいはい、分かりましたよ。」

今日の夕食は佳奈の大好きなカレーライスだ。

辛いものが苦手な佳奈の為に、晴子はいつも中辛と甘口を混ぜて作る。

一緒に出されるサラダは、晴子手製のドレッシングがかかっている。

三人で手を合わせて一緒に食卓を囲む。

もう一緒にいた記憶が薄くなり始めている両親とも、こんなふうに食事をしていたのだろうか。

そう考えながら今日の学校の出来事なんかを祖父母に話しながら楽しく食事は進んだ。

部屋に戻ると、レモネードを飲みながら明美たちとの交換ノートを開いた。

交換ノートは佳奈、明美、麻里子の仲良し三人組で回しているものだ。

淡いピンク色のノートの表紙には、明美の好きなクマのキャラクターがプリントされている。

ノートの項目を埋めていると、不意に引き出しの一つが自然に開いた。

あのペンダントの入っている引き出しだ。

佳奈は急いで宝石箱からペンダントを出してベッドに放った。

案の定ペンダントが薄い光を放っている。

「巫女、仕事だ。」

煙と共に猫が再び現れた。

「あの、私巫女って名前じゃないの。」

佳奈は膨れながら猫に向き直った。

「仕方がなかろう、私はお前の名など知らんのだ。」

「高橋佳奈、それが私の名前よ。」

佳奈は笑いながら猫の前に膝をついた。

「そうか。佳奈、仕事だ。」

猫はまた前と同じように佳奈にポンチョと短剣を渡した。

「言うのを忘れていた。」

猫が振り返えりながら口を開いた。

「私には名前がない。

お前が名付けろ、さすれば本来の姿に戻ることも、いつでもお前の元に飛んでいくことも可能になる。」

「“本来の姿”・・・?」

着替えながら佳奈は聞き返した。

「そうだ。

私は霊族に属す、白狐の妖怪だった。

その名残がこの胸元の毛になっているわけだな。

お前が私に新たな名前を与えることで、私とお前の契約は私からの一方的な状態から正式なものに変わり、私は完全にお前の式神として支配下に入ることになる。

だからお前が望めば私はどんなことも出来るようになるのだ。」

佳奈はよくわからないまま、ひとまずこの猫の名前を考え始めた。

そうは言っても簡単に思いつくものでもなく、着替え終わって玄関に向かう最中も佳奈は考え続けた。

靴を履いて、玄関の扉をすり抜けたところで佳奈は両手を叩いた。

驚いた猫が振り返ると、キラキラした目で佳奈は猫の前にしゃがんだ。

「クロ、あなたの名前はクロよ。」

「安易な考えだな。

どうせ私が黒猫の姿だからクロとでも付けたのだろう。

まあいい、先に言っておくがこの姿は猫じゃない、ケット・シーという海外の妖怪だ。

だから間違っても二度と私を“猫ちゃん”などと呼ばないと約束できるのならば、その名で満足してやる。」

随分な上から目線ではあるが、納得してもらえたと判断した佳奈は笑顔で門をくぐった。

走りだそうとした佳奈に、クロが立ち塞がる。

キョトンとした彼女に、クロは面倒くさそうに言った。

「お前、走るのが遅かったろう。

私に乗って行ったほうがうんと早い。

お前が命じれば私は本来の姿になれると、さっき教えたはずだ。」

佳奈は小さく頷き、クロと呼んだ。

途端凄まじい風が起こり、佳奈は吹き飛ばされないようにとしゃがみこんだ。

その風が収まった彼女の目の前には、真っ白でたくましく大きな足があった。

恐る恐る見上げた彼女の目の前に、真っ白でふさふさとした毛並みの大狐が顔を突き出した。

「佳奈、何を怯えている?

私はクロだぞ。」

今まで聞いていたような少年の声ではなく、太く落ち着いた男の声でそう白狐は告げた。

佳奈は美しい大狐を見上げた。

月の光で真っ白な毛は銀色に輝いて見える。

体の後ろのほうからは3つの尾が、毛を夜風になびかせながら顔を覗かせていた。

「綺麗・・・。」

「そうであろう、よく言われるのだ。」

大狐は嬉しそうに目を細めると、佳奈の前に座った。

「早く乗れ、魔物を祓いに行かねばならん。」

佳奈は小さく頷き、クロの背によじ登った。

首元にまたがり、しっかりと毛を握る。

クロはゆっくりと立ち上がると、天に向かって大きく跳んだ。

クロの体は空へと舞い上がり、そのまま宙を駆けだした。

大きな体が故のスピードと、宙を突っ切る時間の短縮は、佳奈が思っていた何倍も速かった。

懐かしい隣町の古びた小さな病院の前で、クロはひらりと静かに着地した。

佳奈が降りるとすぐに元のケット・シーの姿に戻る。

松本医院、佳奈が小さい頃からずっと世話になった、老人一人が切り盛りする小さな病院だ。

その病院の中から今、小さな女の子の泣き叫ぶ声が聞こえていた。

「どうして周りの家の人は気づかないのかしら?」

そう呟きながら扉を抜けた佳奈に、クロは霊体化することによって五感が鋭くなっていることを説明した。

一番奥の治療室で、佳奈は異様な光景を目にした。

真っ暗な中で松本医師が少女に巨大な注射針を向けていたのだ。

後ろから見る分には彼に何の異常も見当たらない。

「佳奈、気を付けろ。」

肩に乗ったクロが囁いた。

佳奈は小さく頷き、そろそろと医師に近づいた。

もし彼が普通の人間の状態ならば、佳奈の存在には気づかないはずである。

ところが彼は、あと一歩で佳奈の手が届く距離まで来たとき、突如として振り返ったのだ。

その顔は左半分に黒や青のカビのようなものが生え、目は真っ赤に充血して飛び出している。

そして佳奈に焦点の合っていない状態で、気味の悪い声で笑い出した。

「ナンダ、巫女殿ジャアナイカイ?

私ニ何カ用カナ?」

「ここで何をしているの・・・!」

「何ッテ、見テ分カラナイカイ?

孫ガ風邪ヲ引イタヨウダカラ点滴ヲシテヤロウト思ッテネ。」

ひどく丁寧に受け答えする様は、松本医師の普段の様子と全く変わりがない。

何が違うかと言えば、言っていることとしていること、そして彼の見た目だけだ。

「厄介だな。」

クロが舌打ちをした。

「ンォ?オ前サン、巫女殿ノ式神様カイ?

イツモオ勤メゴ苦労様デス。」

そうクロに向かって深々と頭を下げる始末だ。

佳奈は拍子抜けしてしまって、キョトンとした顔でクロを振り返った。

クロは呆れ顔で佳奈を横目で見やり、再び松本医師に目を向け言った。

「こいつはカビ型の妖でな、自身が取り憑いた自覚もないし、離れ方も分からない奴だ。

おまけに潜伏期間が長いが故に、一度取り憑かれると発症するまでに根をとらなければもう助けられん。

厄介なのはこの姿が動族で狙われた奴以外は普通のいつもと変わらない姿に見えていることだ。」

「・・・つまり、今私とクロ、それからあの子にしかこの姿は見えていないの?」

佳奈はベッドで気絶してしまった少女を指さしながら言った。

クロは大きなため息を吐き、松本医師に向き直った。

「お前さん、名は何という?」

「何故名ヲ聞ク?」

松本医師が聞き返す。

クロは椅子の上に飛び降り、佳奈と松本医師にも座るよう勧めた。

「お前さんのようにカビ型の妖が憑いてしまった動族はもう助けることは出来ん。

だがお前さんは悪気があって憑いているわけじゃない、あくまで繁殖のため。

ただ憑いた相手が人間以外なら良かったのだが、人間でありしかも医者ときちゃこちらとしても見過ごすことは出来ん。

しかし、佳奈の性格を考えるとお前さんの取り憑いた医者を助けてやりたいし、悪気がないのならお前も助けたいと言うだろう。

故に、お前さんがその医者の体を明け渡し、次に取り憑く相手さえいればお前さんも医者も助けられるかもしれんのだ。

その為にはお前の真の名がいる。」

松本医師と佳奈は小さく頷きながら聞いていたが、最後まで聞くとお互いに顔を見合わせた。

クロの話の通りなら出来るのだろうが、一つだけ足りないものがあったからだ。

妖が次に取り憑く体だ。

二人の疑問に答えるように、クロは窓枠に飾られていたピエロの人形を佳奈に放った。

松本医師はその人形の体を押したり撫でたりすると、小さく頷いた。

「巫女殿、私ノ名ハ“スン”トイイマス。」

松本医師―いや、スンと名乗った妖は穏やかに笑った。

佳奈は彼の目を見、彼が移る決意をしているのを悟った。

今の彼女には他に助ける手など分からず、こうするしかないとはいえ、物言えぬ人形になどなりたくないだろうにと、少し寂しい思いもある。

それでも、足元に寄って来たクロを見て、佳奈は自分が巫女であることの責任だと、小さな悲しみを打ち消した。

「スンさん、このお人形さんに移ってあげてください。」

「アイ、分カッタ。」

静かに、だがしっかりとスンが頷くと、松本医師の体から緑や青のカビが人形に飛んでいった。

その光景は不思議で、少し奇怪だったが、佳奈にはとても美しく見えていた。

とてもおっとりした性格で、まだ幼い佳奈を巫女殿と敬う姿勢は、きっと誰もが好いてしまうだろうと佳奈は思うのだ。

薄く光る青緑色の虹は、ほんの数分ですっかり人形の中に姿を消し、松本医師は背もたれのある自身の椅子にぐったりともたれかかっていた。

佳奈は未だ気絶している少女にタオルケットを掛け、人形を窓枠に戻しながら囁いた。

「静かに穏やかに暮らしてくださいね、スンさん。」

クロは興味なさげに背を向けたが、佳奈の目にはピエロが少しだけ嬉しそうに笑ったように見えた。


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