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銅潔のエリート奇譚  作者: 雨乃月夜
1/16

episode.01 元”悪魔” 銅潔①

「………………」


 非常に居心地が悪い。


 4月の朝。通勤、通学の時間帯。

 住宅街を通る私鉄の車両内は混雑しているというほどでもなく、一駅待てばすぐに座席を確保できた。平坦な椅子に腰掛けると、心地良い振動が一定のリズムを刻みながら体を揺らす。窓に流れる景色は平凡な家並みで、良いとも言えないが悪くもない。

 (あかがね)(いさぎ)は、この平和な空間に身を委ね、ぼーっと電柱の数を数えでもしていればよかった。……ついさっきまでは。


「ほら、やっぱそうじゃね?」

「え、まじで……?」

「もっとよく見てみろよ」


 扉の前で繰り広げられる二人の男子高校生の会話に、潔は否が応にも意識を向けなければならなかった。

 全く見覚えのない、ごく普通の男子高校生。彼らは一つ前の駅で乗車してきた。一人が「はぁねみ~」とかなんとか言いながら大きなあくびをした瞬間、「え」と声を発して静止。続いてもう一人が乗ってきた時、そいつは小声で確かに言った。


「おい、アレあいつだよ! あの…………“悪魔”!」


 ……と。


「……………」


 さっきからチラチラと飛んでくる視線がとにかくうっとうしい。気付かれてないとでも思ってるのだろうか。早く降りろ。


「あの制服って、明園(あけぞの)だよな? なんであんな名門行けるんだよ」


 一人が言う。なんの変哲もない学ランを着ている彼らに対して、潔の纏う臙脂色のセーラー服はなんとも上品な高級感を醸し出していた。

 私立明園学園。中高一貫校で、学業や部活動など、あらゆる分野で優秀な生徒を輩出している名門校、らしい。

 この学校の客観的な評価は正直どうでもよかった。潔が明園を選んだ理由は別にある。

 とはいえ、高等部の編入試験に受かるためにもちろん死ぬ気で勉強した。その結果、ちゃんと実力で合格。平凡な高校生にとやかく言われる筋合いはない。あたしだってやればできるんだよ。なめんな。早く降りろ。

 潔は邪念を送るが、彼らが降りる気配はない。


「ほらあれだよ。あいつも明園だから」

「あぁ、脅しで入ったってことか」


 グククッと声を殺して笑い出す二人。丸聞こえなんだよ。気付けよ。

 電車が次の駅に到着すると、潔はすっと立ち上がった。別に彼らの視線に晒され続けてやる必要なんてないのだ。奴らのためにせっかく確保した座席を手放すのは癪だが、はた迷惑な口からいつ爆弾が投下されるか分からない。それだけは絶対に避けなければならなかった。

 別にお前らのために動くんじゃないからな、という感じを装いつつ早足で通路を突っ切る。二人がこっちを見ているのがわかったが、気にしない。

 車両連結部分の扉に手をかける。二人の声はもう聞こえない。これでようやく平和な空間が──


「やっぱ(くろがね)イズマの弟子は違うよなー」


 その言葉だけがやけにはっきりと聞こえた。聞こえてしまった。

 “鉄イズマの弟子”──。そのフレーズが何度も頭の中に響く。

 あぁ。ダメだダメだ。忘れろ。

 あたしは違う。もう違うんだ。

 否定しようとすればするほど、全身の血が騒ぐ。


「………………」


 一瞬、ほんの一瞬だけ、我を忘れてしまった。

 扉に手をかけたままゆっくりと振り返った潔の眼は、まさに血に飢えた獣。今にも二人を食いちぎらんとする凶気に満ちた猛獣のそれだった。

 睨まれた男子高校生二人は「ひいっ」と情けない悲鳴を上げ、全力で目を逸らす。今更逸らしたところでもう遅いのだが、潔もそこでハッと我に返り、無言で扉をくぐり抜けた。


「……や………やっぱり悪魔だ………」


 男子高校生は力なく手すりにすがりつく。きっと数日は悪魔の睨みにうなされることだろう。


「……でもさ」

「ん?」

「あんまり認めたくないけど………超カワイイよな、顔は」

「…………確かに。あんな顔しなけりゃな」


 二人はまたグククッと笑った。



 ***



 銅潔。15歳。今日から明園学園高等部の1年生。母親は日本育ちのフランス人で、天然のブロンドヘアーに銀色の透き通った瞳、シャープに整った目鼻立ちは、その昔フランス人形ともてはやされた母親の遺伝子を色濃く受け継いでいる。

 だが実際のところ、潔の外見を人形に例える者は誰一人としていない。その理由は目付きの悪さだ。

 本気モードの睨みを炸裂させれば、二人の男子高校生を一瞬で震え上がらせるほどの威力。通常モードであっても「え、なんでこの人めっちゃこっち睨んでんの?」と他人に思わせることくらいはできる。

 もうちょっと愛想よく笑ったほうが絶対可愛いのに。とは、潔を見た誰もが思うことだろう。

 しかし潔も好きでこんな睨みスキルを手に入れたわけではなかった。


「はぁ………」


 初日からこれでは、先が思いやられる。

 明園学園へ続く通りを歩く、潔と同じ制服を着た生徒たち。自分は彼らの中に自然に溶け込まなくてはならないというのに。


 何を隠そう、潔は半年前まで“悪魔”と呼ばれ恐れられた不良少女だった。

 一度喧嘩を売られれば、相手が逃げようが隠れようが地の果てまでも必ず追い詰める。たとえ相手が負けを認めたとしてもボコボコにするまで絶対に許さない。それがポリシー……いや、あの男の教えだった。

 鉄イズマ。そう、あの男こそが全ての元凶なのだ。


『潔、一度狙った獲物は絶対に逃すんじゃねえぞ』

『潔、俺とお前以外の人間は虫ケラだ。ゴミ以下だ』


 最強の名を欲しいままにし、伝説と呼ばれた不良にして潔を悪の道に導いた張本人。それが鉄イズマだ。どんなに自分に恨みを持っている人間がいたとしても、全てはあの男のせいだ、と言いたい。

 イズマは約1年前──中2の終わり頃、突然潔の前に現れた。

 あれは、学校をサボって昼間から近所の公園をうろついていた時だった。当時潔の通っていた中学はバリバリの進学校で、その雰囲気がどうしても肌に合わなかった。やる気が出ず早退を繰り返すうちに、いつの間にか学校へ行くフリをして街をうろつくことが多くなっていた。

『お前、俺の弟子にならないか?』今思えば、そんなふざけた発言をした時点で、早々に立ち去るべきだった。最初こそ「はぁ?」とは思ったものの、名門明園学園を1年足らずで退学したというこの男に、潔はだんだんと惹かれていってしまったのだ。これぞ最大の黒歴史。

 潔はイズマの弟子となり、みるみるうちに成長を遂げた。他校の不良たちにひたすら喧嘩を売って回り、悪名を轟かせた。一人を倒すると芋づる式に次々と出てくる敵を全員倒し、気付けば最強の悪魔と呼ばれるようになっていた。

 その後イズマは姿を消したが、潔はイズマの教えを忠実に守り続けた。半年後にはもはや喧嘩する相手すらいなくなっていた。そんな時、学校から退学を言い渡された。

『潔ちゃん、どうして…………』あの時の両親の顔は一生忘れない。今まで散々潔を甘やかしてきた両親が、初めて目の前で泣き崩れた。失望されたのだ。潔は道を踏み外したことに気付いた。全ての元凶はあの男……あいつは気まぐれで、一人の人生を狂わせようとしたのだ。そんな男にまんまと心酔していた自分を心から恥じた。

 それから一転、潔は悪魔を卒業し、勉強に心血を注いだ。名門校に合格することを条件に卒業することを認めてもらえたのだ。潔は迷うことなく進学先を明園学園に決めた。あいつが退学した高校で、エリートになって見返してやる。その一心だった。

 死にものぐるいで勉強した結果、見事明園学園の編入試験に合格。奇跡だと言われた。でも、まだスタートラインに立っただけだ。

 ここでのし上がって、悪魔だった自分の過去を、全部なかったことにする。

 もう誰にも、鉄イズマの弟子なんて言わせはしない。


「………………」


 目の前には、「明園学園高等部」と書かれた校門。

 戦に立つような思いで、潔はその一歩を踏み入れた。

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