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068:無垢な少女は知らぬ間に汚れる

 遙人さんの母親――姫子さんに、治療をして貰いながら怪我をした経緯などを話した。

 息子が馬鹿でごめんね。と言われたけれど、不法侵入した私がそもそもの切っ掛けなので謝られる程に申し訳ない。

 遙人さんのことを弁明しようとすると――


『自称紳士の癖して女の子に傷をつける馬鹿を庇う必要はないわ。

 遙人、好きだった幼馴染みに振られてから頭が微妙にイカれちゃってねぇ……図書館から拷本の本を借りてきたり、妹に鞭で叩かれてみたり、早朝から鞭を振るトレーニングをしたり。一種の現実逃避だと思うんだけど、そろそろ二年半になるんだから吹っ切れて欲しいと母親としては思ったりしてねえ……』


 そんなことを言われたので、反論をしておいた。


 拷問の歴史について調べるのは鞭が趣味なら当然ですし、威力を確かめるために自己で受けてみるのも良い案だと思いますし、鍛えて熟練するためにはトレーニングは必要不可欠。そして、遙人さんが鞭を好きになったのは初めは逃避だったかもしれないですけれど、現在では完全に趣味で健康健全なライフワークなので、姫子さんが心配しているような精神状態ではありませんよ。それに、私が遙人さんに気遣ってもらっている立場ですから、嫌いになんてなりませんよ、と。そして――――


「私からの主観では何も問題ありませんし、謝って頂く必要性も感じません。お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな――的な状態になっていると思うんです。ですから、普通に息子さんの家に遊びに来た友人として扱っていただければ幸いです」


 説得するための言い回しを意識して行い、”お前がそう思うんなら~”という変態総合スレでよく見かける定型句を華麗に差し込んで上手く〆られた。

 我ながらやる、ということで思わず自己満足に浸り、少し鼻息が荒くなった所で我に返って恥ずかしかった。


 それから連絡先を交換し、家で朝食を食べていくように勧められ、家にカップラーメンがあると伝えたところ栄養価が偏るから朝から駄目よと怒られて、妹さんのジャージに着替えさせられ、お姫様抱っこをされて遙人さんの部屋に連れて行かれ、彼と入れ違うようにベッドに乗せられる。

 布団に体温が残っていたので身をよじって少し位置をズラし、ポケットの中にあったハンカチを枕に置いて頭を乗せる。


「シャンプー、私と同じだ……」


 枕からは嗅ぎ馴れた匂いがしたけれど、私が使っているのは女性用シャンプー……

 妹さんがいるのだから、共用で使っているだろうし普通なのかな? 私の実家だと、父母娘共に別々で年齢・性別に合せた商品を使っているのだけれど。

 男性である遙人さんの香りが私と同じというのは、なんだか不思議な感じがする。


 不躾にならない範囲で部屋を見回すと、掃除が行き届いているのが感じられる。

 換気がしてあり、ほこりっぽさがまったくない。

 遙人さんの部屋にあるのはベッドに勉強机、本棚とシンプルだ。ベッドの手触りが良く、定期的に布団を日光で干しているよなふかふか感があり、気持ちが良いのでシーツを手でスリスリしたりする。


「抜け毛かな?」


 堅い感触があったので、そのまま摘まんで顔の前に持ってくる。

 やけに剛毛だけれど、どこの毛だろう……そう考えると、遙人さんが上半身裸で鞭を振っていた光景が頭の中にフラッシュバックし、彼の体付きを思い出す。乳首の毛ではないはず。


「……」


 何を考えているんだ、私は。

 意識を現実に持ってきて、上半身を起こしてゴミ箱を探す。

 ベッドの直ぐ横に置いてあったので、ベッドに腰掛けるように姿勢を変更してから蓋をあけ、ポイっと抜け毛を捨てて満足する。

 ゴミ箱の中身は何故だか黄ばんだティッシュばかりで、洗剤のような香りがした。

 直ぐ横の台に消臭スプレーが置いてあるので、定期的に吹き掛けているのだろう。


「…………」


 一段落ついて、緊張してきた。

 意識してしまった男性の部屋にいるという状況が、心臓の鼓動を早くさせる。


 深呼吸をしているとノックと共に「入って良いかな?」と遙人さんの声が聞こえたので返事をする。

 自分の部屋だから遠慮せずに入れば良いのに、気を使わせてしまって申し訳ない。


「えっと、どうも……」


 遙人さんは私にぺこりと頭を下げて、何処に座ろうか思案しているように部屋を見渡す。

 その視線は、私の足元にあるゴミ箱に固定されているように見える。

 正解だったようで、遙人さんは「臭うとアレだよねッ!」と私に気を使い、ゴミ箱を部屋の外へと持って行って、戻ってきた。


「ふたたび、どうも……」

「えっと……ようこそ」


 遙人さんは私の向かいにクッションを置いて腰を落ち着かせると、チラリ、チラリと私の方を見てくる。

 もしや、寝癖が残っている? 髪の毛を自分で撫でてみると、特に異状は見当たらないけれど……


「その、色々とすいませんでした」


 膝を付いての土下座。

 いきなり謝罪をされて、私の思考はフリーズした。

 数秒後にハッとなって「頭を上げてください」というと、遙人さんがばつが悪そうな表情をして顔を上げる。

 そのタイミングで「私の方こそすいませんでした」と最敬礼し、謝罪を返した。

 何故謝られているか分からない様子の遙人さんに、姫子さんにしたのと同じ説明をする。


「私は家の庭先で半裸で杖を振ってトレーニングしています。そこに、不審者が現れました。すかさず攻撃を加えると、不審者は塀から落ちて、怪我をしました。不審者は、痛い思いをして泣いてしまいました。この場合、覗かれた側の人間に非はあるでしょうか? 絶対にありません。正当防衛です。私だったら、泣いている不審者の姿を撮影して警察に通報し、社会的に殺す所までやります」

「キミの言いたいことはわかった。だけど、男が女の子を泣かせるというのは僕的には完全にNGで――――」


 お互いの主張は平行線で、私は自分が悪いと。遙人さんは僕が悪いと。そんなことを言葉や例えを変えながら10分程話し、妥協案で二人とも悪かったことにして件の話はこれ以上しないことにした。

 すると、途端に話すことがなくなる。

 共通の話題を考えると、ゲームのことしかない。明日の一緒にゲームの誘いについてメールの返信がなかったので直接聞こうとすると、遙人さんから「何処かで会ったことあったっけ?」という疑問をぶつけられた。


 そういえば、姫子さんにはゲームを一緒にやる仲だと関係を説明したけれど、遙人さんには何も言っていない。

 話の最中は”キミ”と呼ばれていたし。


 ……でも、言わなくても気付いて欲しいと思ってしまう。

 仮想空間での容姿は私の顔つきを柔和にし、高貴な貴族のような気品を付与したような外見。まったく違った自分にするのは抵抗があるので、意図して面影を残している。

 髪色は黒と金で異なるが、身体のラインなどは殆どそのまま。多少、胸は盛ったけれど……


 ひとまず、気付いて欲しいオーラを送信することにした。

 遙人さんの方に手を伸ばし、気功を放出するイメージで何かを送り込む。気付いて欲しいオーラっ……


「なに、やってるの?」


 苦笑した遙人さんに冷静な反応をされ、羞恥で顔が朱くなる。

 バッと背中に手を隠し、何事もなかったかのようにポーカーフェイスを作る。


「……残像だ」


 格好良く誤魔化すと、遙人さんが「ぶはっ」と笑う。

 その反応を見て、私はますます恥ずかしくなる。鞭で叩かれていないほうの耳も、区別が付かないぐらいに朱くなっているだろう。穴があったら入りたい。


「さすがにその切り返しがくるとは思わなかった。まったく、大した奴だ……」

「ありがとうございます」


 褒められて嬉しくなる私は、単純だと思う。


「それで、話を戻しますと私、来栖です。来栖八重」

「なん、だと……」

「そこに気付いていたら天才でしたが、残念ながら遙人さんは天才ではなかったようですね……」

「くっ……何か微妙に悔しいな。完全に妹の友人だと錯覚してたよ」


 頭をポリポリとかきながら、遙人さんは溜息を付く。


「冷静に考えると、おかしかったんだよなぁ。鞭を半裸で振る僕を見て鞭で打たれてるのに、普通に怯えもなく会話が成立してるとか一般人の精神構造じゃないもんなぁ」

「そういうのは心で思ってても言わないでくださいよ」


 遠慮ない遙人さんの言葉にささやかに反抗しておく。

 けれど、内心では気心の知れた関係って良い。そんな風に感動している私がいる。

 学校のクラスメイトにはない距離感だ。心地よくて地味な幸せが……


 私の心情を誤魔化すようにメールの返信がなかった件を尋ねると「昨晩、貧血で倒れたんだよね」と笑う遙人さん。

 だが、何故そのような状態なのに朝から鞭を振っているのか……


「貧血になった原因が思い当たらなくてさ。元気だからまぁ良いかな、と。

 それと……アレだ。昨日、家に来ていた人に秘薬を貰ったんだよ」

「秘薬?」

「うん、試作品の栄養ドリンク。

 曰わく、肉体疲労を回復させ、細胞を活性化させると――二本あるし、来栖さんも一本いっとく? 常温だからちょっと味気ないかもしれないけど」

「なんだか凄そうですね。では、お言葉に甘えて……」


 遙人さんが立ち上がり、机の上に置いてあったドリンクを私へと手渡しする。

 受け取ったドリンクのラベルを見ると、八重桜の花弁をデフォルメしたロゴに来栖製薬の文字。

 蓋を開けると、薬品臭が強くて思わず「うっ」となってしまう。


「なんというドーピング臭。これは身体に良さそうだ」


 それを躊躇いもなく遙人さんは口に含む。

 あっという間に飲み干して「ふっー、元気ハツラツな気分になる」とご満悦だ。

 そんな光景を見て安心した私も、喉の奥へと流し込んでみる。


「あ、美味しいですね」

「うん。……うん?」


 どうしたのかな、と思ったけれどすぐにその理由が分かった。

 ドリンクに即効性があるようで身体がポカポカと暖まって――――火照ってくる。


 遙人さんはスッと座った体勢で180度回転し、私に背中を見せた状態でサッと前屈みに立ち上がる。


「ちょっと排便行ってきます」

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