059:距離感は適切に
着衣は乱れていないので、女の子同士のお遊びな乳揉みだろう。
『鞭使い』――――異名を呼ばれて、僕の精神的な動揺は即座に回復して正常な判断を下した。
「……何故僕が『鞭使い』だと知っている?」
「フレンドリストに異名が追加で表示される仕様になっていたからです」
この場での理想的な言葉を選ぶとしたら「逆に問おう。私が気付いていないとでも思っていたか?」のような格好良い返答になる場面なんだけど、相手は迸る情熱的な要素を理解していない来栖さん。普通に仕様変更を教えてくれました。
フレンドリストを表示させると、確かに名前上部に異名が表示される仕様へと変更されていた。
来栖さんの表示を確認すると――『異世界人』になっているな。
名乗る異名を思い浮かばなかった感じだろうか。ロールプレイから脱却して堅実なプレイスタイルなので、自己主張する”コレ”ってヤツがないように見えるものなぁ。
「二人とも、こんばんは。
なんか、仲よさそうにしていて僕はお邪魔でタイミング悪かった感じかな?」
「その通りです。こんばんは。
女性には色々と準備があるので、到着時刻が早すぎるのは良くありませんね」
無難な返答をするなら「いえいえ。そんなことありませんよ」という社交辞令になる場面だと思ったけど、相手は僕に厳しいサクラさん。時間前行動をしていたというのにご指摘を頂きました。
そういえば、以前にも似たような出来事が……確か、芳野とデーt……映画を見に行った時に――――
『おはよう! 遙人くん。到着早いね~』
『遅刻しないように30分前から来ていたからね』
『その時間は早すぎだよ。映画、楽しみにしすぎだね?』
『うん。芳野と二人で見るのがすごく楽しみだったから……デート的な?』
『変な冗談言わないのー。
あと、女性を前に○分前から~とか言うのは駄目だよ。気を使わせちゃうから。
ちゃんと、「僕も今来た所だよ」って使い古されたセリフを言わないと!』
『くっ……でも、芳野と僕はそんな気を使うような間柄ではないハズだ』
『確かにそうだねー。早く来てるとは思っていたし。
遙人くんは遠足の前に眠れなくなる可愛い子だもんね、ふふふっ』
――――勘違い状態だった時の嫌な記憶がフラッシュバックした。
僕は地面に膝を付き、「くっ……」と嗚咽を漏らして項垂れる。
「フハハ、フハ……」
「遙人さん、大丈夫です。厳しい態度の裏には巧妙にツンデレが偽装されています」
「なん、だと……」
来栖さんがキャラに合っていないフォローを僕にする。
というか、女の子同士で乳揉みする時点でキャラじゃない光景だよな。初対面の時は女王様的なロールプレイをしていた存在が、どうしてこうなった……
まあ、気を許してくれているなら悪いことではないよね。
「……クルス様は何か誤解しているようですが、私とハルト様は、戦闘以外では駄目な主と普通なメイドの関係です。好意については、仕事だから一緒にいるのが許容できる、という程度しかありません。
そういった側面で言うならば、ハルト様よりクルス様のほうが仲が良い――友達的な……関係ですし」
少し照れた表情をしながらも、来栖さんの目を見て、口説くようなセリフを言う自称普通のメイドさん。
言われた本人は驚いた、といった感じをしながらもギュッとサクラさんに抱きつき――胸の谷間に顔を埋め、スリスリしながら「嬉しいです」と喜びを表現していた。
「……」
当然、僕の視線はスリスリされているサクラさんの胸へと注がれるワケで。
それに気付いたサクラさんは、胸に埋もれたままの頭をよしよしと撫でながら僕へと零度の視線を寄越してくる。
素直に目を逸らすのが紳士的な対応だけど、今日の僕はひと味違う。サクラさんは言った。『駄目な主と普通なメイドの関係です』と。
つまるところ、僕は駄目な主として普通なメイドの普通な仕事を見守る義務があるのだ。
……大義名分はさておき、サクラさんの胸から視線が離せない。
キャラメイクするときに自分好みのスレンダー巨乳的にした僕を褒め称えたいよ。
しばらくそうしていると、サクラさんの目が蔑みから恥じらいへ。
僕に背を向いた状態になるように移動して、そういえば……と誤魔化すようにカーラが同行していない理由を聞いてきた。
「カーラは犠牲になったのだ。仕様の犠牲にな……
死んではいないけど、遠いところに逝って戻ってこないと認識して欲しい」
「経緯はわかりませんが、パーティから抜けたと考えてよいのですね?」
「その通り」
「そうですか……少し寂しく感じますね」
簡単に納得してくれたようでなにより。
来栖さんが疑問符を頭に浮かべているので、今回のアップデートに含まれていたバグの修正で消えたことを説明する。
救済措置としてカーラの犠牲の上で誕生するNewカーラがいるけど、王都の魔王城でしかキャラメイクをすることができないのでしばらくは保留だ。
「それでは、宿の部屋割りを変更しないといけませんね。払い戻しが効けば良いのですが……」
「それだったら、私が部屋を引き払って同じ部屋に宿泊します!
良いですよね。サクラさん、遙人さん」
「う、うん」
「私も問題ありません」
勢いよく手を挙げての発言だったので、何も考えずに肯定してしまった。
そして、僕の聴力は「友達できた。初めてのお泊まり会……」と小声で呟いた来栖さんの声を拾ってしまった。
「戦わなきゃ、現実と」
「何か言いました?」
「い、いや。何も」
「?」
無垢な顔して頭を傾げる本人に、僕が言えることはなにもない。
彼女が置かれた境遇をしらないし、下手に突っ込んで地雷を踏みたくないし、ゲーム内で知り合った人の現実に干渉するなんて野暮なことはしない。
今更ながら、来栖さんが友達や同性とMBOをやらずに偶然知り合った相手と一緒にゲームをやっているという現実に気付く。気付かなければよかったよ……
悪い子じゃない、というかむしろ良い子なので邪険にはしないけど、距離感は考えようと思います。仲良くなると粘着質、そんなきらいがあるように感じる。
「私、早速手続きにいってきますね」
「いえ。雑事はメイドにお任せください。私が行って参りますので」
サクラさんは、返答をする間を与えず華麗な身のこなしで部屋から出て行った。
結果、距離感を考えようと思ったばかりの来栖さんと部屋で二人きりになる。
女の子とベッドがある部屋で――というシチュエーションだが、今の状況だと浪漫も何もないね。
「素早いですね……」
「さすが訓練されたメイドだと思ったよ」
「……」
適当に無難な話題を。そう思っていたら相手から話しかけてきた。
「そういえば、遙人さんは称号を『鞭使い』にしたんですね。
もっと奇をてらう感じにするかなと思っていました。『鞭の貴公子』とか『鞭の奇術師』とか」
「誰も使っていないような異名を設定しようと思ったんだけどね。
これが、実際悩める仕様なんだよ――――」
世界で唯一の異名を設定すれば、格好良いし愛着も出来る。
でも、普及している異名の中で序列の順位を競うというのも捨てがたい。
僕が設定している『鞭使い』は、鞭を装備しているプレイヤーに運営側から与えられる武器自体の基本的な異名なので、鞭を使っていて異名に悩んだ人間はおそらくコレにしているだろうし。
それと、悩んでいる理由には僕の鞭使いとしてのスタイルが試行錯誤で確立されていないというのもある――鞭という要素に、何を絡ませるのか。
鞭の炎を纏わせて戦うような戦闘スタイルをメインになるなら『灼熱の鞭使い』だとか。
状況によって鞭を使い分けるなら『鞭の貯蔵庫』みたいな感じに。
鎖鞭に特化するなら『銀鎖の鞭使い』のような。
「――――そういったのがパッと思い浮かばないから、現状では只の『鞭使い』を名乗ってる。
序列を確認したら132位だったし、少し悦になってるというのもあるけど」
「遙人さんより鞭を愛する人間が131人も存在することに驚愕を隠せません」
真剣な表情で、来栖さんが生唾を呑み込む。
「序列は愛情レベルだけじゃなくて、設定したプレイヤーの活躍度合いを示してるから。
上の順位の人に会ってみたけど、鞭使い自体が少ない感じで見かけないかならぁ。誰かさんも少し前までは鞭使いだったのに、今では杖なんかに浮気してっ……」
「鞭は、その……遙人さんを見ているだけでお腹いっぱいなので」
「くっ。なんという言い訳の仕方だ。嘆かわしい。
そんなキミには、僕からこう異名を送ろう――『鞭使え』と」
僕の言葉に、来栖さんが吹き出して笑う。
至極真面目に言ったのだけど、まったくもってけしからん。
結構な時間僕の鞭布教トークを聞いているハズだというのに、こうなったら肉体的に鞭の素晴らしさを理解させるしかないか――――
「何も思い浮かばなかった私が言うのもアレですけど、それはないです。
もう少し、私に名付けてくれるなら紳士的な――女の子が使うような感じだと嬉しいです」
期待した素振りで、僕を見つめる瞳。
何故か僕が来栖さんの異名を考える流れになってやがる……そんなことを期待されても、すぐには思い浮かばない。
……どうせ考えるなら、異名よりも来栖八重教育計画にしたいのだが。
「うーん」
5分程経過。
返金して貰えたという報告と共に、うちのメイドさんが帰還。
結局、来栖さんの異名は思いつかなかった。今晩、変態紳士スレでも見ながら考えておこう。
「それじゃ、所用も終わったしモンスター退治に出かけようか」




