003:おかえり現実世界
目を覚ますと、見慣れた天井が視界に映った。
MBOの世界で狼にやられた僕は、強制的にログアウトさせられたらしい。
心なしか、呼吸も荒くなっているし手に汗も握っている、比喩ではなく。
仮想空間での自分に感情移入しすぎたからか? たぶん、心拍数の警告だよな。
すぐにプレイ再開する気には……ならないなぁ。
格好良く狼を殲滅しようと思った所で敗北した心の傷は深い。時刻を確認すると11時半だし、昼ご飯を済ましてからプレイ再開といこう。
そう思ってベッドから降りようとすると、妹が床に布団を敷いて寝転がっていることに気付く。
何でココにいるんだ……と疑問が生まれるが、妹の部屋にエアコンがないので僕の部屋に来るのは当然の流れだろうと思い直す。ゲーム案内のメイドさんが温度に気をつけろと忠告してくれたので、律儀に従ったのだろう。
ただ、妹も高校1年。兄の部屋で薄着のパジャマでゲームをやるというのは勘弁して欲しい。
無防備すぎて男性を警戒しろよと言いたくなるのだ。
リアル妹属性はないので、そういった意味ではまったく問題ないんだけど……
妹の部屋にエアコンがないのは、彼女が古風な根性論者だからだ。「文明の利器は身体を弱くするのです」と言って、誘惑に負けないために親に頼んでエアコンを外したのが幼稚園の頃だったか。
それ以来、夏場は扇風機で堪え忍んでいる。
とりあえず、一緒のタイミングではじめた妹と幼馴染みにメールを送信しておくか。
宛先:宍戸姫香、倉嶋芳野
件名:
初戦の狼に負けてログアウト。すまんが合流遅くなる。
今日は僕がチャーハンを作るので、姫香は12時頃には戻ってきてね。
これで良し。母さんが留守の時は、僕の男料理と相場が決まっているのだ。
妹は小さい頃に電子レンジで卵を爆発させて以来、料理をしようとしないからね、必然的に。
お、メールが芳野から戻ってきた。
僕の目の前に『新着メールあります』の文字列が流れるので、受信ボックスを開いて確認する。
送名:倉嶋芳野
件名:Re
わかったよー。私は守っていたら勇者様が倒してくれて勝利をゲット!
昼ご飯はカップラーメンですorz
「なん、だと……」
あの狼戦は守備をして凌ぐと勇者さんが全滅させてくれる展開だったのか。魔法と同時に闘争本能に目覚めてしまった僕にはそんな選択肢は思い浮かばなかったよ。
そういえば、魔力でガードした時にはダメージがあまり貫通しなかったように思える。複数の狼に押し倒された時は焦って魔力のガードが乱れてしまったもんなぁ、悔しい。これは悔しい。
悔しさを噛みしめながら台所に移動して、僕は怒りの卵チャーハン作成に取りかかる。
冷凍庫から残り飯を取り出し、レンジでチン。その間に、サラダのキャベツを千切りにする。フライパンを加熱し、大量の油を敷き詰めた所にご飯を投入。続いて卵を二個入れ、そのままフライパンでかき混ぜる。残念ながら空中にお米を浮かせてクルンとやる技術はないので、とにかく混ぜる。
最後に塩こしょうで味を調整して……完成。
現在の時刻は『11:55』で、なかなかに良いタイミングだ。
正午までに妹が降りてこなかったら、先にご飯を食べてしまおう。
微妙に手持ちぶさたなので、TVでも見ることにする。
チャンネルを付けると、MBOの開発者インタビューが放送される場面が流れていた。
*
『Maid Butler Online』とは、私たち日本の政府と多くの国が協力し合い、心魂を注いで作ったゲームです。
多額の税金を投入して作られたことに反感を覚える人が多いことも承知しています。ですが、言わせて貰いましょう。
私たちが作ったゲームは最高です。
お金を投資した価値があります、期待は裏切りません。是非プレイして下さい。
そこの挙手している記者さん。文句がある、という顔ですね。|不自然に音声が途切れる|意見をどうぞ。
「一部の人しか享受しないゲームのために、税金を使った娯楽を提供するというのはどうなのでしょうか? 納得できる説明をお願いします」
はい、|不自然に音声が途切れる|ゲームを作成する課程で発生した利益を、あなたはご存じありませんか? 病院に導入されるようになった各種医療装置、高度なスーパーコンピュータ。ゲーム本体は全て国内生産し、海外にも出荷。その結果、このゲームを作るという公共事業で私たちは国益に多大な貢献を―――
*
見ていると疲れそうな感じだったので電源を落とす。
インタビューした記者の人の”所詮はゲームだろう”という態度が開発者の逆鱗に触れてしまったのがよく分かる映像だ。
まだ1時間程度したゲームをプレイしていない僕でも、恐ろしいぐらいにクオリティーが高いのがよく分かったし。
ただ、この完成度の高さが問題になってくるワケで……
僕の兄貴は、Maid Butler Onlineのアルファテストに当選し、ゲームにハマりすぎて人生を捨てた。
家族に「会社辞めて実家に寄生する」というメールが届き、両親の口座に1,000万振り込まれ、家に建築会社の人が着たと思ったら庭の地下に兄貴専用の秘密基地が作成された。
四畳の洋室+バストイレ、地上から荷物搬入するための大きめな通路。
そこから、出てこないのだ。必要ならメールは返信してくれるけど、電話は無視するし。
一度、母さんが食料責めを提案し、食事提供を一週間停止。
一切の連絡も絶ったて心が弱っただろうタイミングで「戻っておいで」とメールを送ったのだが、「甘いな」という文面と共に山のように積まれたカロリーフレンズと野菜ジュースの写真が添付されて戻ってきた。
この本気具合に母さんは根負けし、説得を諦めた。「ゲームを飽きたらでてくるでしょう。お金は貰ってるから、好きにさせます」ということだ。
兄貴は普通のIT企業に勤める会社員だったので、正直お金の出所がかなり怪しいのだが……
僕ら家族の予想では、宝くじが高額当選の確立が八割、人様に言えないビジネスに手を染めたが二割である。
社会人三年目だったので、まじめに稼いだという貯金額ではないだろう。
トタトタトタ、と、慌てながらも気を遣い階段を降りてくる音が聞こえる。
妹がゲームから戻ってきたようだ。
「兄さん、遅くなってすいません。
区切りよい所でメールを返信しようと思ったのですが、思いの外盛り上がってしまいまして」
「僕もその気持ちは分かる。まぁ、ご飯を食べながらその辺は話そうか」
「「いただきます」」
手を合わせて、僕らはチャーハンを食べ始める。うん、塩が効いてなかなか美味い。
難易度が高い料理はからっきしだけど、チャーハンを炒めるスキルだけはかなり上昇しているだろうと自負できるレベルだ。
妹も口の中にチャーハンを運び、美味しさを舌で味わっている。
「兄さん、またチャーハンのスキルを上げましたね」
「チャーハンだけだけど。炒めるのとか、分量のさじ加減はかなり上手くなったとは自分でも思っているかな。
で、ゲームのほうはどんな感じ?」
「すごく、楽しいですね。あにきが熱中するのに一定の理解ができてしまいそうです。
戦闘がですね、とても楽しいのです。現実では戦えないような相手と相対できますし、感触もすごくリアルですから。今はゲーム内のレベルが低くて現実より身体の動作が遅く感じますがレベルアップすれば強くなるんですよね。
市場に刀も流通しているようですし、本当に楽しみです」
……僕の妹は予想以上にハマってしまったかもしれません。「布教用。異世界で俺は弟妹を待っている」と兄貴に本体をプレゼントされた僕らの当初の目的は、『ゲーム内で兄貴を発見して説教をする』だったのだが、完全に目的を見失っています。
「狼との戦闘、変態NPCを真似て、私も手刀で切り裂いたんですけどすごく爽快感あります。
大きなボス、すごく迫力がありました。変態が『下がれ、見ているんだ』と小言を言うのを無視して戦闘しましたけど、あの強敵と対峙する感覚はたまりませんね」
古武術を習って、現実で組み手の経験がある妹との絶対的な能力差を感じたよ。
勇者さんのアレは手刀ではなく魔法なので、素手で狼を倒す妹の力量に驚嘆せざるを得ない。というか、僕と同じ≪魔力伝播≫のスキルでそこまでできるのが信じられないな。
それと、勇者さんはなんで変態扱いされているんだ?
聞いてみると「初対面の女性に”手を繋いで、目を閉じて、抵抗せずに受け入れて”ですよ、セリフのチョイスがありえません。渋っていたら触手で左腕を拘束され、無理矢理目を閉じた状態にされますし、魂云々とオカルト話をされますから。振り払おうにも力が強すぎて何もできないし、アレは時代劇でも裏切るポジションの人間ですね」と、遺憾の意を表明した。
「さらに”キミは魔力適正が低いようだね”と私をあざ笑うかのように言って、感じ悪いです」
「僕はべた褒めされたけど、アレって固定で≪魔力適正:C≫のスキル覚えるんじゃないの?」
「違うと思いますよ、私は≪魔力適正:E≫でしたから」
まて、僕の方がスキルのレベルが上位じゃないか。
それなのに狼を倒す妹のプレイヤースキルは半端ないのではないでしょうか……
聞いてる限りでは、現実よりも身体能力が劣化してソレなんだよな。
勇者さんから異世界に召還されたらある程度能力が均一化されるような説明をしていたし。
「他にスキルって覚えた?」
「≪近接格闘:B≫を狼を蹴散らした所で覚えて、ボス狼を倒したあとに≪威圧無効≫≪戦闘中毒≫を入手しましたね。兄さんはどんな感じです?」
「僕は、ボス戦の最中に≪魔力伝播≫を覚えただけだね。すごいな。開始一時間程度でここまで差がでるとは思わなかった。となると、芳野も僕らとは違うスキル構成になってるんだろうなぁ。ゲームで会うのが楽しみだ」
「そうですね。早くご飯を済ませてログインしましょう!」
現状のスキル考察に熱中し始め食事がおろそかになる僕であるが、妹が普段はやならいような早食いをしてゲームの続きをやろうとしているの見て現実に戻ってくる。
危ないな、兄貴と同じ血筋なんだから、気をシッカリ持たないと現実が侵食される。
のんびりチャーハンを口に運んでいると、食事を食べ終わった妹が僕をそわそわしながら見ていることに気付いた。
昼ご飯は僕が作ったので妹は律儀に皿洗いをするつもりなのね。仕方ない。
ガツガツガツと無理矢理チャーハンを口に詰め、空いたお皿を渡すと妹はパァっと笑顔になって「さすがです兄さん、すぐに洗うから待ってて下さいね」と、キッチンの奥へ消えていった。
妹という存在は卑怯である、甘やかしたくなるからね、まったく。
≪ 『新着メールがあります』 ≫
送名:叉木亮平
件名:買ったのか!
少し前にフレンドリスト見てたら、MBOプレイ中になってたからな。
森本、土屋とパーティ組んでるんだけど、昼飯済ましたら一緒にやらないか?
お、亮平も買ってたのか。「何でベータテストが有料なんだよ! 無料テスター枠あたらなかった糞ォォォ」と悲痛な叫びをしていたので、金欠で本体が買えないと思っていたが……
しかも、普段連んでる連中じゃなくて、ゲーム好きの森本くん、土屋くんを誘うところが本気すぎる。学校でそんなに話をするような仲じゃないだろうに。
宛先:叉木亮平
件名:Re:買ったのか!
すまん、今日は自分、妹、芳野と三人でやるから、ちょいと無理だ。
明日で良ければ一緒にやるので誘ってくれ。
返信っと。これで良し……お、着信が戻ってきた。
≪ 『叉木亮平より着信』 ≫
『よぉ、遙人。まさかオマエが高額のゲームを買うとは思ってなかったよ。
知ってれば初めから声かけてたのに』
「兄貴が僕と妹にプレゼントしてくれたんだよね」
『羨ましい、どれだけ金策に苦労したか……オマエの兄貴は社会人で金あるもんな。昔から兄妹仲良いし』
「ハ、ハハハ。そう、社会人、社会人(の時に稼いだ)マネーで奢って貰ったのさ。羨ましがれ」
『くっそー、この恨み、PvP(対人戦)で晴らしてやるよ。適当に慣らしたらやらないか? 丁度こっちも三人だしさ』
「俺と妹は問題ないけど、対人は芳野は嫌がるかもしんない」
『そこは説得をしてくれ、頼む。俺の格好良い所を妹ちゃんに見せたいんだよ!』
「恨みは建前でそっちが動機かよ。まぁ、了解。説得に失敗しても勘弁してくれな。
あと姫香は好きなヤツがいるからな。兄としてはそっちを応援しているので、オマエは砕け散れ」
『おう。ところで、遙人は従者に何を選んだんだ?』
「まだそこまで進んでない」
『ああ。ってことは、デカ狼と戦ったあたりで中断してんのか』
「サービス開始から始めようと思ったんだけど、HMEの設定を見直してたら開始が遅れたんだよ。あと、説明書を流し読みしてた」
『あれは、VRMMOの基本注意事項とマナー的なもんしか書いてないだろ』
「うん、だから流し読み。まぁ、進んだら一緒に対戦でも何でもやろうじゃないか」
『おう。俺たちは昼を抜いて通しプレイしてるから、17時に時間制限で強制ログアウトだ。
PvPやれそうなら、15時頃までに連絡をくれ。そっから時間の都合をつけるからさ』
「了解、んじゃなー」
『ういー』
≪ 通話を終了しました。 ≫
「兄さん、誰かと話していたようですが……」
皿洗いから戻ってきた妹にPvPのコトを伝えると「血湧き肉躍りますね! 私の刀の錆にしますから、期待してて下さい」とますますゲームに対するモチベーションをアップさせた。
早速、二人でログインしてプレイ開始することにする。あ、その前に……
「姫香、僕の部屋で一緒にやるなら、薄手のパジャマは艶やかするぎる。もう少し色気がない服に着替えてくれ」
「……私は気にしませんけど。兄さんがそう言うなら」
着替えてから再び僕の部屋に来た妹は、学校の体操服を着ていた。
兄としては色気が増したようにしか思わないが、コメントするとや藪蛇になりかねないので「いざ、出陣!」と誤魔化しつつMBOの世界へ旅だったのであった。