(6)
少女はギラギラと瞳を光らせて霧衣を睨んだ。
そして、そちらにめがけて手をかざす。
「おのれ……神子め!」
邪気の塊が周囲を舞った。隣にいたウォータに降りかかる。
「うっ……」
「ウォータ!」
正の塊である七つ神にとって、邪気はその力を奪われる。最大の弱点だ。
全て奪われなければ後に回復するが、今『水』の七つ神を失うわけにはいかない。
霧衣は足早にウォータの隣まで駆け寄る。
「神鬼倒力、去!」
人差し指と中指を立てて胸の前でそう唱えれば、僅かに邪気が弱まった。
「ちっ、天神様の力も、大分弱まっているな」
一言悪態をつくと、ウォータの手を引き、自分の後ろに非難させた。
「霧衣様……」
「喋るな、動くな! 足手まといだ!」
ウォータは岩の後ろに座り込むと、溜息をついて、目を閉じた。
――足手まとい。
霧衣は、おおよそ悪魂をおびき出すのに自分を利用しただけだろう。
普段はふざけたように笑っているくせに、悪魂のこととなると手段を選ばない。
いや、だからこそ、他の七つ神は霧衣に従うのだろうか。
そして、ウォータ自身も、何だかんだで霧衣に逆らう事が出来ないのは、それが彼女の凄さだと、知っているからなのかも知れない。
「ふん。大したことないのね、神子の力って」
悪魂が冷たく言い放った。
その体が黒い靄に包まれ、姿かたちが変わっていく。
刹希の容姿をしていた悪魂は、真黒な長い髪を野放しにし、和の武士のような姿に変わった。
唇は赤く染まり、黒い衣装によく映える。
これが――……彼女の本当の姿か。
「雨が降らないよう仕向けていたのはお前だな」
「そうよ。だって総神てば、私が生贄にされた直後に飢饉を解くんだもの。雨乞い自体には何の意味もないのに、わたしが死んだから雨が降るなんて、不公平じゃない」
「どうして、悪魂になった?」
「……どうしてだったかしらね」
悪魂は空を見上げた。ポツリポツリと語り出す。
「生贄になる、一月前よ。私にお告げが来たのは。最初はね、神様の元へ行ける幸運な少女だって言われたわ。幸運の少女の死は痛くも苦しくもなくて、幸せだけが待っているって。だから、私全く怖くなかったのよ。むしろ誇ってた。神の元に召される少女。私は神様の元に行けるんだって――……」
だけど、恐怖は突如顔を出した。
母上が、その時はやっていた病で死んだ。
「あ……う……っあ」
「母上、苦しいの? 母上!」
「うぅ……っ……こ」
「え? 何? 母上?」
「ああっ……、ああああっ!」
「母上っ! 母上ーーーー!」
あの病は、死ぬ間際に激痛が襲うらしい。母のあの苦しみようが、頭の中から消えなかった。
「そして……、私の生贄の日が来た」
油でまみれた、木造の高台。
ここに火を汲まれて、私は死ぬんだ。
瞬間、母の死に際が脳裏を過ぎった。
――生贄は死ぬ時の痛みも苦しみも感じない。
そんなわけ、ない。
痛いに決まってる。苦しいに決まってる。
死ぬって、そういうこと。
「父上ーー!」
男に腕を引かれた。
痛い。
死ぬ時は、もっと痛いんだ。
「父上、お助けください、父上!」
父は、こちらを見向きもしなかった。
声が枯れるほどに叫んだ。
喉が焼ける。涙も出ない。
何度も何度も叫んだら、腕を引いていた男に、神に失礼だと怒られた。
私は神の元へ行ける、幸せな少女だと。
その時には、不覚にも納得してしまった。
でも、
高台に乗せられて、火を汲まれて
急に襲った嫌悪感。
何で、私なの?
私が死んだら雨が降る?
でも、私は死ぬんだから雨が降ったって、私には何の意味も無いじゃない。母上が生き返るわけでもないじゃない。
嫌だ。死にたくない。
私が死んで、こいつらがのうのうと生きていくなんておかしい。
そんなの、不公平じゃない――……!
「そう思った次の瞬間には、世の理ってのが理解できてた。偶像でしかなかった神の存在も、神子の存在も」
「全てを恨んだのか」
霧衣が小さく、小さく訊ねた。
悪魂が空を仰いでいた視線を霧衣に移す。
「さあ? でも悪魂になったんだからそうなんでしょうね。ねえ神子、私はこの村と村を飢饉にした総神を許す気はないの」
悪魂の目つきが厳しくなる。
殺してやりたい。
神に愛されたこの女を。
「あんたも」
霧衣が目を閉じた。
再び二本の指を立てて呟く。
「私も、これ以上お前に村を傷つけさせるわけにはいかない」
「無駄よ」
そう答えると悪魂も力を込め始めた。邪気が舞う。
「神鬼倒力、束!」
きっぱりと唱えると、悪魂の体に白い靄のような糸が巻きついた。
悪魂の力を吸う。
やった!
ウォータは岩陰から見ながら胸で叫んだ。
だが、まだだ。
悪魂はニヤリと口角を上げると目を閉じぶつぶつと何かを呟いた。
すると、パンっと白い紐が砕け散る。
霊力の虚像だった紐は地について消えた。
「無駄って言ったでしょう? 天神の力が弱まっている事くらい、知ってるわ。ねえ――天命守」
悪魂になって半年にしては、随分詳しいところまで知っている奴だ。
内心焦りを感じたが、ここで我を失ってはいけない。ココロ達が来るまで、霧衣は何とか、時間を稼がなくてはならなかった。
「恨まず死んでいれば、転生できていたのに。不幸な娘だな」
「うるさい」
「お前の魂は、後は消えるだけだ」
「うるさい! 私は消えない。お前を殺して、もっとたくさんの人間を死に追いやって、神を殺す!」
悪魂の後ろに、黒い塊が出来た。
邪気の塊だ。
まずい。あれを受けたら力を全て奪われてしまう。そしたらあの悪魂を倒せず、霧衣は――死ぬ。
「失せろ! 神子ーー!」
一度右手を大きく上げ、思い切り振り下ろす。
その大きさの割に、スピードは速く、霧衣は避け切れなかった。
しかし、それは霧衣には当たらない。
風がやみ、温かさを持たないぬくもりを感じた。
「ナイトっ?」
「大丈夫か?」
真顔で訊ねてくる。
いや、それはこっちの台詞だ。
「私じゃなくお前だ! 今当たっただろう」
「掠っただけだ。問題ない」
それでもあれだけ力を込められた邪気を食らっては、力は大分奪われたはずだ。
ヒーローでもないくせに、何を恰好つけているんだ。
そんな事を胸のうちで思ったが、口には出さない。助けてもらって皮肉を言うほど、霧衣は意地っ張りでも無神経でもなかった。
「すまない。力が思った以上に使えなかった」
悔しげに呟くと、同じくらい悔しそうに悪魂が怒鳴った。
「くそう! 七つ神め!」
悪魂は再び力を込めようとした。
しかしそれは、あえなく遮られる。
『桜子!』
刹希の声だった。ウォータはそちらに顔を向ける。
しかしそこに、少女の姿はない。いるのはココロとナビキの二人だ。
「刹希の声……。何をした……七つ神!」
「私の力で刹希さんの声を届けているんです。あなたの声も彼女のもとへ響いています」
ナビキが言った。
ウォータはなるほどと息を吐く。悪魂にとらわれているのなら、自分達の力で刹希を解放することはできないだろう。
だが、ナビキの属性は『風』だ。その力で互いの声を風に乗せて届ける事はできるだろう。
『桜子……、いるのね、桜子!』
「お……のれ……」
名を呼ばれれば、悪魂の力は弱まる。
それが生前親しいものだったのならなおさら。
『桜子……、ごめんね。私』
謝らないで、刹希。
謝られたら、私は選ばなくちゃいけなくなる。
あなたを許すか、許さないか。
『私……、あなたを裏切った。あなたが死ぬって、どういうことか……考えてなかった』
悪魂――桜子は耳を塞ぐ。
聞きたくない。聞きたくない。
『自分が……生贄に決まるまで』
生贄……。
ああ、そうだった。
次はあなたが死ぬ番ね。
「よかったわね刹希。死ねば私と同じになれるわ。また一緒に居られるわ」
口角が上がり、笑みが浮かんだ。
許さない、――許せない。
私は死んだのに、あんたが生きるなんて。
『桜子……、私、生きたい』
苦しげにはかれた一言。
だけど、その言葉に迷いはなかった。
『ごめんね、桜子』
謝らないで刹希。
謝られたら私は、言わなきゃいけなくなる。
拒絶の言葉を。
「許さない」
許さない。許さない。許さない。
私だって、生きたかったんだ。
その怒りは、刹希から霧衣に向いた。
ぎんと睨みつける。
「何で、何で刹希のときなの? 何で私が死ぬ前に来てくれなかったの? 何で……っ何で私が死ななきゃいけないのよ!」
「……それが、運命だから」
そうとしか言いようが無かった。
人の寿命は魂神によって決められる。悪魂が関わってくればそれもまた別だが、桜子の場合は運命だ。
生贄という形でなくても、桜子は半年前に死んでいた。
しかし、今の桜子が、この言葉で納得するとは思えない。
「そんなの、言い訳じゃない!」
『桜子!』
しばし黙っていた刹希が口を開いた。
『亡くなった命は戻らない。だから桜子、もう恨まないで、私が……、私が桜子の分まで生きるから!』
ウォータはハッとした。
それは、自分が少女にかけた言葉だ。
「私の分まで? 冗談じゃない、そんなの……!」
「恨みは、悲しみしか、生まない」
霧衣が口を開いた。悲しみに包まれた魂は、更なる悲しみをまとい、恨みを増やす。
「でも、その名を呼ばれたお前は、優しさも、愛しさも、嬉しさも思い出したはずだ」
生前の、哀以外の感情。
「そんな……もの」
「恨みを捨てて、生まれ変われ。そして次こそ、幸せに生きろ」
「な……」
「長く生きられなかったお前は、次は幸せになれる」
魂の循環。
短命だった人間は、生まれ変われば長命に。また生まれ変われば短命に。
そうして、人はいつだって公平につくられているのだ。
霧衣は再び、指を立てた。
「天・地、双方の界を彷徨いし魂よ、今神の元へ。昇天!」
叫ぶと同時に、桜子の体が光った。
成仏の瞬間だ。
「私……生まれ変われるの?」
「ああ」
「また、生きられるのよね?」
「ああ」
頬を伝う、一筋の涙。
『桜子!』
心穏やかに成仏しようとしていた桜子を呼んだのは、刹希だ。
『おじさん……桜子のお父さんが、ずっとがんばってたの。雨乞いを止めさせて、あそこに桜子の……、生贄になったみんなのお墓を建てるって。関係ない人に、踏み荒らされないように、ずっと広場を見張って……』
なるほど、だから、あの男は霧衣たちに入るなと言ったのか。
あそこに……、死した少女達が眠っているから。
「うん……。ありがとう、刹希」
そうして、桜子の魂は天に召された。
***
――翌日。
天気は雨。ザーザーと勢いよく降っているにも関わらず、村人は外に出てそれを喜んだ。
「ウォータ」
「霧衣様」
「行くぞ」
ウォータは広場を見ていた。
この雨が上がれば、あの高台も撤去されるだろう。
「あ、そうだ、刹希に会わなくていいのか?」
「はい。昨日、十分話しましたから」
この広場は生贄の少女達の墓場となるらしい。花の種を植え、いつでもたくさんの花に囲んであげたいと刹希は話した。
ウォータたちはこれで村を去る。
悪魂は絶えない。
それは、人間がこの上なく欲深だからだ。
だけど、それは清い上に望んでしまうこと。
「霧衣様」
「何だ?」
「桜子さんの魂は、もう人を恨んだりはしないでしょうか」
一度崩れた傷は脆い。
あの少女は本当に、次幸せな一生を終えられるのだろうか。
「大丈夫だ。折れた骨が治ると免疫がついて強くなるように、魂も強くなる」
人は優しさゆえに傷付く。
そして優しさに癒される。
強く、強く。
「……霧衣様」
「ん〜?」
霧衣が振り返った。
いつものように、穏やかな笑顔が浮かんでいる。
この人が、主でよかった。
だけど、
「本当は桜子さんの名前知りませんでしたね」
「え」
「カマかけたでしょう」
ギリギリの状況になっても名前を呼ばなかったのがいい例だ。
しばらく歩くと、村の入り口で待つ、ココロたちの姿が見えてきた。
「あと、僕をはめましたね? 桜子さんをおびき出すのに」
「あ……あれはだなあ」
「最低です」
「うわああ、ココロー!」
霧衣は泣きながらココロに縋ろうと走り出した。
「ありがとう」なんて言ってやらない。
だけど、彼女ならきっと分かってくれるんだ。
これが『ぼく』だと。
春には、あの広場にも花が溢れるのだろう。
人の心の弱さはなくなりはしない。
でも、支えてくれる友達や家族がいるから、簡単に折れはしない。
それでも、闇にとらわれる人がいるなら、それはぼくらが気付かせてあげよう。
一人じゃないってこと。
だから人は強くなれる。
もっと、もっと。
強く、強く、
強く。