(5)
翌朝も、やっぱり晴天。まあ、悪魂を倒していないのだから当然だが。
カン、カン、カン!
数日前、燃え尽き炭化した建物が放置された広場には、新しく高台のようなものが造られている。
「何してるんだ、アレは?」
「何も、何も、雨乞いの準備だろう」
霧衣の呟かれた疑問に、答えたのはナイトだった。
「……無意味な行動になるといいですね」
ココロが願うように呟いた。
霧衣が頷く。
「なるさ。悪魂はもう当に、私の存在をかぎつけているはずだからな」
生贄を阻止されないよう、必ず何か手を打ってくる。
霧衣には自信があった。
「またお前たちか」
高台の建設を眺めていると、後ろから声が掛かった。
声の主は、いつかの此処で出会った男だ。
「あなたも。奇遇だな」
「フン。よそ者がいつまで居座っている。雨乞いまでには村を出て行け」
「何故?」
「見てて気持ちいいもんじゃねえ」
男はそう言うと、持っていた紙袋を持ち直し、広場へと入っていった。
意外だ。雨乞いを良く思っていない男がいるとは。まして、彼は先日、此処は神道がどうとか、散々怒鳴っていたのに。
不思議そうに首をかしげると、再びナイトやココロとは違う声が聞こえる。
「彼の娘が、最初の雨乞いの生贄だそうです」
声のする方に、霧衣は目をやった。
白色長髪の美青年がそこに立っている。
「ナビキじゃないか。登場が久しぶりすぎて、誰か分からなかったぞ」
「離れていた間よりも長期間一緒に生活していたんですから、忘れないで下さいよ」
呆れた顔でそう返してきた。
まあ、この会話自体にたいした意味はないのだから、この発言はスルーだ。
「……で、調べてくれたな?」
「はい。雨乞いを始めたのは半年前です」
「総神が飢饉を解除した頃と同じだな」
「総神様とおよびください」
どこまでも、目上の者に律儀なナビキは、そんな些細な事まで忠告してくる。
言葉に似合わない丁寧な敬語がこそばゆい。
「それは、まあいい」
よくないです! とナビキが返す。
いちいち相手にしていては、日が暮れてしまうではないか。
「あの男の娘が、生贄の一番手か」
「はい。あと、その少女は今回の生贄の少女と親友だったそうです」
「親友……」
「はい。全て、一番最初に生贄にされたという少女の祖母が話してくれました」
「そうか」
さて、どうするべきか。
神子として霧衣が活動し始めて、暫くがたった。悪魂の行動パターンは大体見当がついている。
「三人とも、こちらへ来い」
手を振って、合図してやる。三人は、霧衣を囲んで、円をかいた。
「いいか、これから私の言う事を――」
時刻は酉の刻の一時間ほど前。
少女は一人川原に佇んでいた。
「何をしているんだ?」
不意に掛かった声に、顔をそちらに向ける。
「あ……」
そこにいたのは霧衣だった。
ふいっと頭を背ける。
まあ、霧衣と話したくないのも当然だろう。
「隣、座るぞ」
返事を待たずに少女の隣に腰を降ろした。
少女は横目で一度霧衣を見ると、無愛想な顔つきで唇を尖らせる。
その表情を見れば、霧衣は苦笑して口を開いた。
「ウォータと待ち合わせているのか?」
「だったらなんですか?」
つっかかる言い方。
ウォータによく似ている。
「初めてこの村で雨乞いを行った時の生贄……、お前の親友らしいな」
唐突に本題を切り出すと、少女の目が大きく見開かれた。
「はい……」
「どんな子だった?」
「普通の子ですよ。髪が綺麗で……。それだけが自慢の」
少女は目を閉じて、思い出すように呟いた。立てた膝の下で組まれた手が固く結ばれている。
「雨乞いの日は……、お前もそこにいたのか?」
「はい」
「どんな気持ちだった?」
「……憎かった」
低いトーンで声を発する。
閉じていた目をカッと開いた。
「初めは……、生贄は神様の元へ行けるんだから、とても幸福なことだと思いました。だけど、火を次々と汲む村人達を見て、なんであの子なんだろうって」
辛かった。苦しかった。
父親の名を何度読んでも、彼は下げた顔を上げなかった。
惨めだった。
「誰も……、誰も、助けなかった」
「お前も、か」
「そう……。刹希も」
瞬間、少女の瞳が冷たく光る。
その瞬間を見れば、霧衣は立ち上がり、先日のように大きな穴と化した地上の穴へと入った。
「次はお前の番だな」
「はい。……でも、あの子……、『ウォータ』は、私を守ると言いました」
「信じてるのか?」
訊ねられれば、少女は口角を上げて笑った。
「無理だと思います。雨は降らないもの」
そう言って空を見上げる。
なるほど、やはりそこは真っ青に染まった快晴だ。
「たしかに。降る気配が一向にないな」
「でしょう?」
霧衣が苦笑気味に言うと、少女はにっこり笑って答えてくれた。
初めに隣に座った時とは、ずいぶんな変わり様だ。
「降るわけない。神様なんて……、いないもの」
「神はいるぞ」
少女の声を遮るように声を発した。
霧衣を見ると、しゃがみこみ、何やら体をもぞもぞと動かしている。
「何して……」
「この村には川が多いな。魚も多かったのか?」
「……元々、漁業が盛んなむらだったから」
そうか、と相槌をうつ。
霧衣は再び、魚を地に還していた。
「葬ってるつもり?」
「土に還すんだ」
「そのこの魂は、本当に還れるかしら?」
「還れるさ。そして生まれ変わる」
「死ぬ瞬間に総てを恨んだかもしれないのに」
「お前のようにか?」
淡々と交わされていた会話が、そこでプツリと切れる。
ポンと、最後に土を固めると、霧衣は少女へと振り返った。
少女はこちらを激しく睨んでいる。
「言っている意味が分かりません」
先程までの笑顔は、もう名残も残っていない。
ただ、恨むように霧衣を睨んでいた。
「そのままの意味さ。お前は死ぬ瞬間に総てを恨んだ」
「私は生きてます」
「違う」
たった一言呟いただけなのに、少女は口を噤んでしまう。
それだけ、今の霧衣には威圧感があった。
「霧衣様っ?」
日は既に傾いていた。
酉の刻が近づいたのだろう。
そこには、目を見開いたウォータの姿。
何故だ。何故この人が今、ここにいるのだ? 自分は刹希と、酉の刻に会う約束をした。まさか、また、
「昨日のぼくを、つけたんですか?」
「そんなまどろっこしいことはしない」
そう言った霧衣は、いつものようにふざけるでも、茶化すでもない。至ってまじめだ。
「……っ、ウォータ!」
少女は唇を噛み締めると、苦しそうにウォータに泣きついた。
「刹希さん?」
その彼女は、とても普通じゃない。
一体二人はいつからここにいて、どんな話をしたのだ。
「その女が……、わたしを、もう、生きてないって……」
「は?」
――生きてない?
何を言った。霧衣は彼女に、何を言ったのだ。
「霧衣様っ!」
属性は『水』なのに、今のウォータの瞳は、燃えたぎるようにギラギラと光っていた。
「刹希さんに……、何を言ったんですか」
「刹希には何も言っていない」
「は?」
「その女に事実を言っただけだ」
何なんだ……?
ウォータの頭はごちゃごちゃだった。
霧衣の言葉には全く統一性がない。
刹希に何も言っていない……って、じゃあ今まであなたが話していた相手は誰だ。
「……だから、彼女が刹希さんでしょう」
「馬鹿か、お前は」
霧衣はこの上なく冷静で、一言、そう言う。
「なっ……」
「見極めるべきものを間違えるな」
見極める、べきもの。
今自分が会っているのは誰だ。
――刹希さんだ。
じゃあ彼女は誰だ。
――刹希さんだ。
――刹希さん?
――――本当に?
彼女は、こんな人か。事前に霧衣に何を言われていたのかは知らないが、傷付いたからといって自分に縋りつくような人か?
違う。
この女は刹希じゃない。
それは予感じゃなく
――確信だった。
「あなたは……誰ですか」
「誰って……刹希よ」
刹希を名乗る少女の肩が震えている。
信じたものに裏切られるのは、この上なく辛い事だろう。
彼女がもしも本物の刹希なら、ウォータは彼女を二度裏切った事になる。
だけど、「もし」はない。
ウォータは縋りつくようにしがみついた少女の手を冷たく切り離した。
同じくらい冷たい声で言い放つ。
「じゃあ、どうしてあなたは、“生きていない”んですか」
人間が人間を見分けられるように。
強い動物が恰好の獲物となる弱い動物を見分けられるように。
生きていない七つ神には生きていないものを判断することができた。
だから迷いなく言える。
――この少女は刹希ではない。
見開かれた少女の瞳が震える。
その表情はいつしか険しくなり、憎しみすら窺える。
「刹希さんは何処です」
けれど、そんなものに屈する七つ神ではなかった。
ウォータが訊ねるが、少女は答えようとしない。
「あなたは誰ですか」
その質問にも、少女はだんまりだ。
しかし、それには変わって霧衣が答えてくれた。
「初めて生贄にされた少女だ。名は――」
「黙れ!」
漸く口を開いたかと思えば、それは制止を促す言葉。
悪魂は生前の名を呼ばれるのを嫌うと言う。
それは、恨み以外の感情、優しさ、愛しさ、嬉しさ、総てが蘇ってしまうから。
ああ、つまり、この少女が――……。
***
「もう五つ目ですよ」
ナビキが疲れたように呟いた。言われなくとも、そんな事は分かっている。
「本当に、いるんですかね。こんなところに」
――こんなところ。それは暗く冷たい洞穴の中だ。外界とは違い、冷気のこもったそこはとても寒い。
それでも村人が此処にこないのは、先の見えないこの闇がその不安を煽るからなのだろう。
「ナビキは霧衣様の言葉を疑うつもり? それに悪魂が暗くて狭いところを住処に選ぶのは、既に立証されてるんだよ」
「分かってますよ。それに、私が霧衣様の言葉を疑うわけないでしょう」
ココロは溜息をついて向けていた顔を前へ戻した。
確かに。「超」がつくほど主に忠実なナビキが、霧衣を疑うわけはないか。
前を歩く少年の背を見ながら、ナビキは言葉を続けた。
「ただ、調べた結果この村にある洞穴は全部で六つです。もう四つも見てきたのに、いた様子もないんじゃ、不安にもなるでしょう」
言われてみれば……。ココロも少し不安になってきた。ここと後一つ。その洞穴の中に目的の人物がいなければ、今のこの行動は全くの無駄、それどころか、霧衣に危険が及ぶ事になる。
「その心配はない」
二人の会話に割って入って来たのはナイトだ。冷静に、言葉を紡ぐ。
「この奥に、間違いなくいる」
「何故言い切れるんです?」
ナビキが訊ねる。
振り向いたナイトに、背筋に電気のようなものが走るのを感じた。
「俺が“闇”だからだ」
なるほど、この威圧感は、光のない世界だからこそ発揮できる能力の賜物と言うわけか。
七つ神は元々、自然の一部を実体化させ、天命守――つまり霧衣によって命を与えられ、守り神とされた者たちだ。本来は自然なのだから、その属性と意思疎通できたって不思議じゃない。
闇一色のこの場所で、ナイトの言葉を疑う理由もないだろう。
先頭を歩くナイトについていくと、少女はいた。
ココロが駆け寄る。
しかしココロは、寸前で止まった。
「どうしました?」
ナビキが言う。
「行けないよ。恨みの念が、邪気の壁を作ってる。進めない」
まずい。時間がないのに。
早く少女を――刹希を助けて、霧衣の元へ行かなくては。
刹希は気絶しているようだった。冷たい石畳の上に臥せって、ピクリともしない。
「刹希さん!」
名前を呼んだ。
時間がない。
霧衣が……危ない。
「刹希さん!」
ピクリと刹希の指が動いた。
「ココロ、もう少しです!」
「刹希さん!」
「刹希さん!」
ココロとナビキが同時に叫ぶ。
少女の目が僅かに開いた。
上体を起こし、辺りを見回す。
暗闇に目が慣れていない刹希には、此処は黒一色だ。
何も見えない。
「刹希さん!」
「だれ……?」
見えない相手に不安はあおられる。
此処はどこ。
「僕です! ……覚えているか分からないけど、昨日あなたの家の前にいた……」
家の前……ウォータ?
でも声が違う。
「分かんない、誰?」
「……っ、ウォータが危険なんだ!」
悪魂は神子より弱い存在。
神子は神より弱い存在。
悪魂は神より強い存在。
神から力を分け与えられている神子にとって神の力の残り具合が、悪魂を倒せるかを決める。半年も大地の力を受ける事の出来なかった神は、今はもう大分衰弱しつつあるのだ。
今の霧衣は不利だ。
だからこそ、刹希に頼るしかなかった。
彼女が、霧衣のたった一つの切り札なのだから。
「ウォータが?」
「雨を降らせるには、あなたの力が必要なんです!」
「……私の力……?」
刹希は状況を飲み込めずに混乱しているようだった。
これ以上、説明に時間はとれない。
ナイトが口を開いた。
「誰に此処に連れてこられた」
「誰?」
「早く答えろ。誰にだ」
誰に……。
あれは……、誰だっただろう。
長い髪、優しげな面持、大好きな笑顔。
ああ、あの子は……
私の親友――……。