表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢幻漂流記  作者: 衿那
3/6

(3)

 霧衣は橋の上にいた。手すりに肘をつき、思い切り体重を預ける。

「霧衣」

「やっほー。ナイトじゃん。昨日ぶりだな」

 片手を上げて軽やかに挨拶をしてくる主に溜息をついて近づく。

「なぜ眠っていない?」

「ん〜? 寝た寝た。眠りましたよ」

「嘘をつくな。見れば分かる」

「ありゃりゃ。心配してくれてんの?」

 霧衣はぽんとナイトの肩を叩くなりニカリと笑った。

「でもそれも仕方ないんだって。だってこの暑さに、昨日の寝床は木だぞ? もう背中とお尻が痛いのなんの……」

 言い出したら霧衣の言い訳は止まらない。いちいち真に受けていても埒があかないので、ナイトは適当に聞き流した。

「――で。ウォータはどうだ?」

「昨晩一人の少女と知り合った。その日のうちに別れ、今は村をあちこち回っている」

「へえ。可愛い子だった?」

 ナイトはだんまりだ。まあ霧衣以外の女とは滅多に会わない彼には、意地悪すぎる質問だったろうが。

「じゃあ引き続きウォータの様子を見てくれ。頼んだぞ」

 そう言われれば、軽く頭を下げてナイトはくるりと背を向けた。コツ、コツと足音を立てながら去ってゆく。

 彼の背を見送り、霧衣は橋の下を見た。

 水は干上がり、今となっては単なる大穴のそれを見つめる。

 頬杖をつきながら、目を細めた。

「困るんだよなあ……。あんまり一般人と馴れ合われるのは」


***


 ウォータは市場に来ていた。普段は人で溢れ返っているだろう「そこ」は、今となっては静かな住宅街のようにも見える。

 それでも開いている店はいくつかあって、ウォータはそこに回ってみた。

「あの」

「いらっしゃい」

 店主は小さな背に小さな体の老婆だ。腰が少し曲がり、手を後ろで組みながら、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。

「旅の人かい?」

 あまり見ない背格好の少年に、老婆はゆっくりと訊ねた。

 ある意味違うが、ある意味正解。

「はい」

「この村に来たって何もなかったろうに。つまらないところだろう?」

 ああ、つまらない。暑さは自分の天敵だし、悪魂を倒して雨を降らせたからといって、自分達にはなんの利益もないのだから。

 だけど、そんなことが言えたものか。

「いえ……」

「これでも半年ほど前までは活気溢れる明るい村だったんだよ。だけど雨乞いにたくさんの生贄を出し……。若い娘は次々といなくなった」

「えっ?」

 思わず声を上げてしまった。

 生贄に出されたのは若い娘? 未だに日照りの続いているままなのだから雨乞いは必ず再び行われる。

 ――だったら、次の生贄は?

「なんて……君のような子供に言って分かるのかねえ」

 どうやら老婆は、ウォータの容姿が幼子だったので洗いざらい話してくれているようだ。

 なるほど。意外な特権。

「また……、雨乞いは行われるんですか?」

「ああ、次は……明後日だと言われていたかな」

「……生贄は――」


***


「刹希?」

「はい。次の生贄の宣告を受けている少女です。雨乞いを行うのはあさってだと」

「そうか」

 霧衣はまだ、あの橋の上にいた。

 情報を入手したココロが、霧衣に駆け寄り用件を伝える。

 ――少女、と呼ばれるのならその女はまだまだ幼いのだろう。

 降らない雨の為だけに、明後日には命を絶たれてしまうのか。

「霧衣様……」

「ココロ、私をその少女に会わせろ」

「え」

 会ってどうするんです。

 その言葉が喉元まで出かけた。

 もし会っても、霧衣はその少女にはなにもしてやれない。

 神の存在を伝える事も、生贄になる少女を救ってやることも。霧衣が悪魂を倒さない限り、少女は救われないのだ。

「会うだけだ。別にとって食いやしないさ」

 黙り込んでしまったココロに苦いものを感じたのか、霧衣は肩を竦めて笑った。

 はあ、と頷くとココロも会わせたくない理由があるわけではないのだから、こちらですと案内を開始する。

 橋は熱に焼かれ、色はすっかり荒んでいた。どこを歩いても砕けた砂が地にまかれ、風が吹けば汗ばんだ肌にまとわりつく。

 草木は枯れ果て、落ち葉を踏めばぱりっと音がする。まるで葉っぱのミイラだ。

 きっとかろうじて立っている家々の柱も、すでにミイラ化したのもがあるのだろう。

 そんな立ち並んだ家の中に、刹希の家はあった。

「ここです」

 一つの家の前でココロが止まる。

 そこは他の家と何ら変わらない、ごく普通の建物だ。

 霧衣はジャリッと足を地にこするように踏み出した。家に近づき、ドアへと手を伸ばす。

「何してるんですか!」

 扉を開く前に、怒鳴る少年の声がした。

 ウォータだ。

「お前こそ、何やってるんだ」

「何って……。あなたには関係ないでしょう!」

「だったら私のことも、お前には関係ないはずだ」

 ウォータは口を噤む。

 まったくその通りだ。自分が干渉を望まないのなら、自分も他人に干渉してはいけない。

 だけど干渉せずにはいられなかった。

「……刹希さんに用事なんでしょう?」

「生贄の少女を知っているのか?」

「! 生贄なんて言わないでください!」

 ウォータは必死だった。

 霧衣は目を細めて彼を見る。

 ああ……、そうか。

「お前が昨晩会った少女は……、刹希なのか」

「え……」

 無意識に霧衣が呟いた一言。それに、ウォータは目を見開く。

 あまりに驚いているウォータに、霧衣は首を傾げた。

「……僕を、つけていたんですか?」

 途端に霧衣はハッとする。ようやく自分が何を口にしてしまったかに気付いたらしい。

 ココロが困ったように二人を見回していたが、それにも気付かず霧衣は目を泳がせた。

「いや、つけていたわけではなくてだな。その、なんだ」

 しどろもどろに言葉を捜す主に、溜息が出た。先程までの威圧感は、一体何処に行ってしまったのだ。

「最低です」

 その行動も、今の情けない姿も。

 我が主として、恥ずかしいかぎりだ。

 当の霧衣は、ウォータに最低呼ばわりされて、目と口を大きくぱっくりあけている。――よほどショックだったのだろうか。

「うわぁぁ! ココロぉーー!」

 しまいにはココロに泣きついた。情けなさ倍増だ。

「霧衣様……」

 ココロも、半分は呆れたように霧衣をなだめる。本来は僕である七つ神に慰めてもらうなど、恥だとは思わないのだろうか。

「ウォータのバカ! うましか! 私は心配してやっているんだぞ!」

「はあ?」

「お前が人間の娘なんかにうつつを抜かしているというから、いつかお前が傷付くんじゃないかと……」

「霧衣様」

 名を呼んだのはココロだ。霧衣が自分より十センチほど身長の低い彼に目線を変える。

 ココロの目線は上を見ていた。

 まるで一本の線をなぞるように視線を追うと、建ち並ぶ家の窓から人々が白い目でこちらを窺っている。

 その目は――まるでまったく別の生物を見るような冷たいものだった。

「あんた達、誰」

 次に掛かった声は上ではなく同じ高さから。

 再び顔を刹希の家の扉に向けると、そこには色素の抜けた薄茶の髪を一つに結った、浅黒い肌の少女がいた。

 他の村人と同じ、冷たい目でこちらを見ている。

 まあ、それもそのはずだが。

 何処の誰とも知れない人間が、何の悩みのないようにじゃれあって(いるように見えたはず)いれば、飢饉で苦しむ村人からしてみれば、恨めしいに決まっている。

 霧衣は一点に少女の瞳を見た。彼女ほどではないものの、少女の瞳も吸い込まれそうなくらい黒い。

 一方ウォータはしばし少女に魅入っていた。昨夜出会った少女は暗がりで色がなかった。だからウォータは少女の顔をしっかりは見ていない。それでもウォータには分かる。その声を聞き違えるはずは無い。

「刹希さん?」

 少女の瞳がこちらを向いた。大きな瞳が、さらに大きく見開かれる。

 その水色の瞳には見覚えがあった。

「ウォータ? なんであんたが此処に……」

 あんたの言い方まで、昨日のままだ。当然のことだが、それがウォータには嬉しい。

「あの、ぼく、もう一度あなたに会いたくて」

 ウォータは震えそうな声を叱咤して絞り出した。息と声が、上手く合わない。

 霧衣が今、どんなに冷たい目で自分を見ているのかにも、ウォータは気付かない。

「……どうしたの」

 優しい声音だ。最初に霧衣たちを見た瞳の冷たさはもうない。

「僕……」

「ウォータ、はっきり言ってやったらどうだ」

 霧衣が会話に割り込んできた。何だ、この女は……、一体何を言うつもりだ。

「生贄の少女に同情しているのだと」

 は?

 この女は今、何を言った。

 あわてたように勢いをつけて刹希に振り返る。

 黒い瞳が綺麗に丸を作っていた。

「霧衣様!」

 とがめたのはココロだ。

 それでも霧衣の瞳は、冷たく光る。

「だってそうだろう? 私たちにこの村の人間を気にかけてやる義理などない。もてる感情は、同情以外にないじゃないか」

 まただ。また霧衣の言葉が、ウォータの核心をついてくる。

 そう、自分には彼女に対して同情以外に持てる感情がないのだ。

 だって自分は彼女を知らないのだから。

「……全部、知ってたのね。ウォータ」

「はい」

 ――はい。

 戸惑いなく答えると、刹希が震え出したように見えた。

 「バカが」と小さく呟いた霧衣の声が、耳を掠めたような気がする。

 ウォータは知らなかったのだ。

 人間が、どんなに強欲で、我儘で、孤独な生き物かを。

「最低……」

 ズシン、と心に鉛のような重いものが乗っかった。この台詞は、ほんの少し前、どこかで聞いたような気がする。

 ああ、自分が言ったのだ。敬うべき主に対して。

 あの時、霧衣はわざとらしくココロに縋ってみせたが、本当は傷付いていたのかもしれない。

 気がつけば刹希が勢いよく扉を閉めた後だった。

 バン! という音は風に流され、いつしか静寂と太陽の照りつける暑さだけが残る。

 ああ……。だから。

 ――太陽は嫌いなんだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ