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夢幻漂流記  作者: 衿那
2/6

(2)

 霧衣の住む社から馬車で三時間ほど走った先に、磯羽村はあった。

 そこは普段はのどかな村で、市場は人で溢れ返り、子供は外で走り回って遊んでいる。しかし、今の磯羽村は、外には誰もおらず、人に踏みしめられる事のなくなった地面は緩み、風が吹けば砂が舞って最悪目に入る始末だ。

「静かですね」

 ナビキが言った。

 霧衣は大人数での移動を嫌う為、任務先が遠い時は、大抵四人を連れる事にしている。

 今回連れてきたのは、ナビキ、ココロ、ウォータ、そして『闇』に属する七つ神のナイトだ。

「……暑い」

 霧衣が唸る。

 飢饉が続いた村に来るのは初めてでは無いが、さすが悪魂の力が加わっていると違うようだ。

 暑さが半端ではなく、普段は薄いと言われがちな服が汗に濡れてシミをつくった。

「霧衣様……。村人の前で同じ台詞を言わないでくださいよ」

「む〜……。暑いぃ〜〜」

「少しは黙れないんですか! 暑いのはこちらも同じです!」

 そう怒鳴ったのはウォータだった。七つ神は人間ではないのだから、暑さなど感じないくせに、と霧衣は目を細める。

 といっても、水に属するウォータは話が別で、暑さには弱いのだが。

「だったら水を出せ、ウォータ。このままでは私は溶ける」

 手を差し出し、せがむように振った。それをバカにしたような目でウォータの水色の瞳がとらえる。

「あなたが飢饉を解かない村で、どうやってぼくに水を出せと?」

「天神様の命を受けていない村の飢饉を、どうやって私に解けと?」

 また、始まった。霧衣とウォータ以外の三人がそんな目で二人を見た。ウォータの精神年齢は、おそらく十八程度だが、見た目から、ムキになる心を抑えることが、なぜ霧衣には出来ないのだろう。

 まったく……。これでは一体、どちらが大人か分からない。

 しかし、霧衣の言う事も一理あった。たとえ悪魂の仕業と分かっていても、神の命なしに神子が行動することはできない。悪魂を倒し、神の命を神老へと渡らせる事しか、磯羽村の飢饉を止める方法はないのだ。

「二人とも、もうやめてください。まずは悪魂の存在を明確にしないと」

 ココロにそうなだめられると、霧衣は怒りを静めた。

 彼には何処となく癒しの力があり、それは七つ神の力ではなくココロの性格の賜物だろう。

「そうだな。とりあえず、外にいる村人を探すか」

 気持ちを入れ替え、七つ神たちへと呼びかけた。さっさとやって、さっさと帰る。これが霧衣の信念だ。



 磯羽村は小さな村だ。しかし小さな村でも、一日かけて歩き回るにはなかなか体力を使う。しかも、五時間は歩きっぱなしだというのに、未だ一人として村人には会わない。

「疲れた!」

「……霧衣様……」

 大木のふと根に腰掛、歩く気力を失った霧衣に、七つ神たちは溜息をついた。

 確かに歩きっぱなしは人間……まして女には堪えるだろう。それでも神子としての命を受けている事を分かって欲しい。

「霧衣様、立ってください。このままでは日が暮れてしまいます」

 ナビキが言った。社を出たのは辰の刻限の真ん中だったから、既に申の刻限をまわっている。

 しかし、霧衣は立とうとしない。

「嫌だ。私は疲れた」

「そうやって駄々こねてる間に悪魂がぼくらの存在をかぎつけますよ」

 ウォータがナビキのあとを継いでそう言ったが、やはり効果はない。

「悪魂から現れれば、好都合じゃないか」

 確かに。逆に核心をつかれ、ウォータは黙らざるを得なくなる。

「でっ……、でも、霧衣様、これは天神様からのご命令ですし……」

「ココロぉ〜……。私の足はデリケートなんだぞぅ?」

 ココロに対しては涙まで浮かべてくる始末だ。

 そこで霧衣は、ん? と首をかしげた。自分を説得すべき輩が、明らかに一人足りない。

「……そういえば、ナイトは何処に消えたんだ?」

 思えば、霧衣がへたり込む少し前から姿が見えない。元々無口で一人が好きな奴だから、あまり同行もさせない七つ神だが、連れたら連れたで、消えられてしまったらこちらなりに困る。

 仕方なく霧衣は立ち上がり、三人を連れてきた道を戻っていった。

 来た道を事細かに見回すと、脇に広場があった。ナイトはそこで、何か黒い大きなものを眺めている。

「ナーイトっ」

 霧衣はナイトの名を呼びながら駆け寄った。彼は横目で霧衣を確認すると、再び黒い物体を見上げた。

「何を見てるんだ?」

 一言訊ねて、同じくナイトの視線を追った。

 ――なんだこれは。

 霧衣は目を見開く。黒いものは元から黒かったものではないようだ。その黒は光を持たず、深い闇の色を秘めていた。さらにそれは今にも崩れそうで、下には既に崩れた黒いものが、細かく散っている。

「焼け跡だ」

 そう言ったのはナイトだった。霧衣の瞳が重くなる。

 霧衣がナイトを連れてくるのだろうと、広場の入り口で待っていた三人だが、霧衣までもがそこで留まってしまった為、溜息をつきながら駆け寄ってきた。しかし三人も、その黒いものを見た途端に言葉を失う。

「……雨が降らないから……太陽に焼かれたのかな」

「そんなわけないでしょう」

 僅かな望みからココロが呟いたが、ウォータがあえなく否定した。「だよね」と切なそうな笑顔で言葉を返す。

「まだ新しいですね」

 誰一人近づかないそこへ歩み寄ったのはナビキだ。黒いもの――炭化した建物をさすって確かめている。

 誰もそこに近寄らなかったのは、五人にはそこが何をした場所かが分かったからだ。

 飢饉の村へ来るのは初めてではない。その風景を見るのも。

「雨乞いをしたのは最近のようです」

「……そうか」

 これは自然の理だ。だけど、悪魂のせいで犠牲になる命が増えているのなら、それは至って「自然」ではない。

 霧衣は空を見上げた。

 太陽がさんさんと降り注ぐ。

「このままでは……次の犠牲者が出るな」

「そこで何をしているっ!」

 それは七つ神の声ではなかった。磯羽村に来てから初めて聞く身内外の声に、霧衣は首を後ろにやった。

「ここは村と神道しんどうが繋がる聖なる地! 部外者が立ち入っていい場所では無い!」

 神道……。それは一般民たちのみが信じる、死する者が神の元へと向かえる道のこと。だが実際にそれは存在せず、死んだものの魂は生命守により、転生か破滅への道を歩む事になる。

 まあ我々神に仕えるものたちは、それを天国や地獄と呼んだりもするのだが。

「悪いな。初めてだから知らなかった」

 作り笑いを浮かべながら、霧衣は動こうとしないナイトの腕を強引に引っ張り、広場を出た。

 霧衣たちの怒鳴り散らした男は五十五前後に見えた。足早に立ち去る霧衣を、未だ睨み続けている。



 霧衣たちは再びあの大木の下に戻った。日は段々と落ち、辺りは薄闇に染まる。

「どうするんですか? 霧衣様」

「な〜にを?」

「何じゃなくて! 早くしないと、村はきっと次の生贄を出しますよ」

 ウォータが必死になって叫んでくる。七つ神として村の存亡を気にしているのか。いい心構えだ。

 だが、彼はいちいち神経質に考えすぎる。もう少し肩の力を抜かなくては、その小さな身には重いのでは無いだろうか。

「霧衣様、聞いてるんですか?」

「ナビキ」

 霧衣が呼んだ。ナビキが顔を上げる。

 ウォータはやはり聞いていないなと眉を潜ませる。

「村が雨乞いを始めた時期を調べてくれ」

「はっ」

 胸の前に拳を沿え、ナビキは頭一つ分顔を下げた。長い白髪を翻して、歩いていく。

 そんな時期を調べて何が分かると言うのだろう。ウォータは霧衣に対して嫌悪感しか持つことが出来なかった。

「霧衣様」

「何だ?」

「ぼくはあなたが分かりません」

「だから?」

「ぼくのやり方で勝手にやらせて頂きます!」

「ウォータ!」

 ココロが咎めの声を上げた。

 しかしウォータはナビキが行った方とは逆側を向き、決別するように去っていった。

「……ココロ、ナイト」

 ウォータの小さな背中を見送ると、霧衣は残った二人の名前を呼ぶ。

 二人が顔を上げたのを確認して、ゆっくりと口を開いた。

「ココロは次に生贄になる人間をつきとめてくれ」

「はい……」

「ナイトは……」

 視線を黒尽くめの青年に向ける。黒髪に黒いマントまで羽織った姿は、太陽の注ぐ磯羽村ではとても暑そうだが、当の本人は汗もかいていない。

「ナイトはウォータを追ってくれ。見つからない程度にな」

 そう言った霧衣は穏やかに微笑んだ。まるで怒って家出した息子を心配しながらも信じる母のようだ。

「分かった」

 これから夜になる。闇はナイトの好環境だ。見つからずにウォータを追うのはお手の物。

 命を下されれば、ナイトはさっさとウォータを追った。

「……どうした、ココロ?」

 皆がそれぞれの命についたところで、ココロのみが、霧衣の傍を離れようとしなかった。漆黒の瞳と、翡翠の瞳がぶつかる。

「霧衣様は、どうなさるんですか?」

「私には私のやることがある」

 ココロから見た霧衣は、男勝りで、面倒くさがりで、適当で。確かにどうしようもない人だし、神子という感じでもないが、どこか頼りになる存在だった。

 確かな力を持っているということもあるが、それにプラスして、霧衣は全てを見極める目をもっている。

「僕は……霧衣様のことを信じています」

 俯きながら言ったので、霧衣の顔は見なかった。

 そうして霧衣の返事を待っていると、不意に視界が暗くなり、さらに暖かいものに包まれる。

「むっ……霧衣様?」

 ココロは目を見開いた。自分は今、確かに霧衣に抱きしめられている。

 見た目は十二歳でも、ココロの中身は立派な大人。こんな状況になれば、どうようするし、混乱する。

「ココロ〜……。やっぱりお前は私の心のオアシスだ」

 背中を撫でながら頬を摺り寄せた。全くの子供扱いに、ココロは目を細めて呆れる。

 次の瞬間には笑みが零れた。



 いつしか辺りは完全に闇に包まれた。太陽の光を存分に浴びた大地は、月明かりに照らされても、どこか暑くらしい。

 水を属性とするウォータにとって、暑さは天敵だ。日を浴びすぎると溶けるような気がしてくる。

「大体。霧衣様には誠意というものがなさ過ぎるんだ。このままでは、もっとたくさんの人間が死ぬことになるというのに……」

 主への悪態を口にしながら、ウォータはずんずんと歩きつめた。

 まったく……。イライラが収まりやしない。

 瞬間、木々がざわめいた。生暖かい風が肌をかすめる。気のせいか、腕がべたべたと湿ってきた。日が完全に沈み、気温が下がって湿気が増えてきたようだ。

 ああ……、もう。

 ウォータは頭を抱えた。だから飢饉の村になど来たくないのだ。まあ、悪魂を退治し、雨を降らすためには、ウォータが必要不可欠なのだから仕方ないが。

「ん?」

 ウォータがやってきた先は大きな穴の目立つ草原だった。と、いっても、草は枯れ果て、細かく砕けた砂が風にのって宙を舞う。

 ――そこに、彼女はいた。



「何をしてらっしゃるんですか?」

 声をかけると、ウォータより頭一つ分高い女の肩が揺れた。

 驚かせてしまったかと、つい顔が下がって上目遣いになってしまう。

 女が振り返った。

 ウォータは目を見開いた。女はまだ少女だ。年も十五、六といったところだろう。長い黒髪を野放しにし、薄茶色の質素な浴衣をまとっていた為、後ろ姿はその表情よりも大人びて見えた。

「あ……、ごめんなさい」

 無意識なのか、少女が一言謝ってきた。

 いや、違う。言葉には理由があるものだ。

 ――少女は泣いていた。

「あの……」

「あっ、これは……。ごめん、舞う砂が目に……」

「えっ?」

 ウォータは慌てたように少女の手を引き顔を近づけた。

 驚かれたように見開かれた瞳の下瞼を、そっと親指で引く。

 少女は目を見開くと、腰を引いて抵抗した。

「動かないで下さい。こんな乾燥した砂が入ったとあっては、目によくないです」

「ちが……。大丈夫だから」

 少女が体に力を込めると、あっけなくウォータの体は押され、二人は離れた。

 後になって、無神経な行動だったと自分を叱咤する。

 しかし、いくら異性だといっても、自分は見た目十歳の子供だ。少女が身をもって抵抗するほどのこともないと思うが。

「すみませんでした。ぼく……」

「あっ、これは違うの。あなたの目が、水色だったから」

「は?」

 どうやら少女には、この暗さのせいでウォータの顔が良く見えていないようだ。てっきり村人の誰かだと思っていたため、その瞳の青さに困惑したらしい。

「それも失礼ですね。すみません」

 また少女が謝ってきた。暗闇に沈みながらも、その顔に笑みが浮かんでいるのがわかる。はにかむような笑顔は、少女らしさを物語る。

「気にしないで下さい。突然声をかけた僕も悪かったんです」

「……座る?」

 少女が隣を進めてきた。潔癖なところのあるウォータは、一瞬困ったように足を固めたが、どうせ野宿になるのならどこかに尻をつかなくてはいけない。ウォータは意を決し、少女の隣に座った。

「君いくつ?」

 ウォータは顔をしかめた。年を聞かれるのは好きではない。

 自分は人間ではないのだから年はとらないのだ。ウォータ自身は自分を立派な大人だと思っているのに、外見から、子供としか言いようはなくなる。

「ま、いいけど」

 しばし待ったが答えることのなかったウォータに少女は向けていた視線をそらした。

「じゃあ、名前は? それも言えないの?」

 言えないわけではない。自分にはきちんとした名前がある。

 だが……。

「……あなたは?」

「私? 私は刹希せつきっていうの。十五よ」

 十五。年相応の顔つきだ。

「で、あんたは?」

 あんた、ね。

 その呼び方は相手を見下したものが使うものだ。実際ウォータが霧衣を筆頭とする仲間たちから「あんた」と呼ばれたことはないのだが。

「……ウォータです」

「は?」

 刹希はウォータを見ながら瞬きを繰り返した。

 自分の聞き違いかと耳を疑う。

「よく聞こえなかった。もう一回言って」

「ウォータ! です」

 今度は言い切るように強く言う。もう聞こえなかったとは言わせてやらない。

「……それ本名?」

「はい」

「君って外人?」

「違います。その……水っぽいですから」

 人間たちにとって神は偶像に過ぎなかった。

 だから神子の存在など知る由もないし、神道なんて、どこから出てきたのか分からないようなものを作り出したりする。

 しかしそれは心神によってつくられた人間の心理というやつで。

 神の関連者が、そこに介入することは許されない。

 だからウォータが七つ神だということは、絶対の秘密だ。

「水っぽい? あー、確かに。目の色とかね」

 ウォータの名前に、刹希は心底楽しそうに笑った。

 しかし笑われれば笑われるほど、ウォータの眉はハの字に寄って行く。

「でも、水っぽいからウォータって、あんたの親も安直ね」

 全くだ。反論する言葉もない。

 だから名乗りたくなかったのだ。

 これからそれを名乗っていかなくてはならないこちらの意をまるで気にしない。そういう人間なのだ。ウォータたちの生みの親であり名付け親――霧衣は。

「どうとでも言って下さい」

 半分投げやりにウォータは言った。

「でも、きっと素直でいい人なんだ」

 ウォータは刹希を見た。

 少女は目を細め、大きく開いた穴の向こうを見つめる。

 その先には闇しかない。

「別に……自己中心的で勝手な人です」

「ひどい言い方」

 そう言って刹希は苦笑いをこぼした。

 不思議な少女だ。普段はとてもあどけない年相応の表情をしているのに、時折見せる笑顔は全てを悟ったように大人びている。

 人間の女というものは、みんなそうなのだろうか。霧衣にも、刹希と似たような節があった。

 月が二人を照らす。

 今夜は満月だ。


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