5.ヒロインなんですが朝から罵倒されました
「おい、起きろバカ。いつまで寝てんだ」
いつもの「アイリス様、おはようございます。今日もとても良い天気ですよ」というの私の侍女デイジーの鈴のような声の優しい声掛けから始まるはずの穏やかな朝とは打って変わって、野太い声で罵倒され雑に掛布団を引き剥がされた。
何が起きているか全くわからないまま、目をこすりながらゆっくり起き上がると、そこには小さくてにこにこ可愛らしいデイジーではなく、大きくて怪訝な顔をしたヴィオレが立っている。
「うわぁ、ヴィオレ! なんでここに」
「なんでって、今日から早速特訓だろ」
「え、今日からだったの? 夏休み初日だけど、あんた予定は……」
「あぁ、アイリスの体力知力諸々の向上とダイエットのコーチっていう予定があるよ。夏休みぎっしりな」
「……すみません」
ベットの上ですぐさま土下座をした。
夏季休暇に特訓する、とは言ってくれていたけども、まさか初日からとは思わず。少々驚いたけども、きっと弟が私を思ってくれたからこそだろう。
そんな気合の入り方というのに、当の本人がのんびり寝ていて申し訳ない。
胸ポケットから懐中時計を出して、ヴィオレは深いため息をつく。
「そもそも10時でまだ起きてないってどういうことだよ」
「いや、おやすみだし。たまにね! ほんとたまに! 最近大好きな作家さんの恋愛小説の新作が出てさ」
「ま~た夜遅くまで本読んでたのか……まず、生活リズムの立て直しからだな。どうせ夜遅くまで本読む習慣が抜けてねぇんだろ、やめろそれ。夜は寝ろ、朝はさっさと起きろ」
「はい、頑張ります!」
ビシっと敬礼すると、返事だけは良いんだよなと憂鬱げにそっぽを向くヴィオレ。
前世からの繋がりがあるせいで私に対する信頼がないのはよくわかる。それは大変申し訳ない。だけど、乙女ゲーム……しかもフルグレが関わるとなるとそんな私だって一味違う。
せっかく私の為に頑張ってくれるヴィオレの為にも、幸せな転生ヒロイン生活の為にも、とにかく言われた事をこなしていこう! そして、ヒロインとしての堂々たる恋愛ストーリーを満喫したい!
私が決意新たに静かに燃えていると、「アイリス様!」といつも私を起こしてくれるデイジーが私にかけより、ベットの傍に跪いた。どうしたのかと私もベッドの上からもぞもぞとデイジーの傍に近づくと、デイジーはパッと私の手を優しく握って目をうるうると潤ませた。
「アイリス様、私ヴィオレ様からお伺いいたしました! そして、感動いたしました。アイリス様は今でもとても十二分に素敵ですが、向上心を持たれて努力されると決めただなんてとても素晴らしいことです! 私たち一同、協力させていただきますね!」
跪いたままうるうるとした瞳で私を見上げるデイジー。
本当にどういう状況なんだろうとベッドから少し身を乗り出して扉の方を見てみれば、ずらっとメイド達や執事、シェフ、庭師の姿が見えた。ベッドからだと良く見えないが、おそらく屋敷中の皆が私の部屋の前に並んで立っており、デイジーと同じようにうるうるとした瞳で私を見ているのだろう。だって目に見えている範囲の皆が同じ表情をしているんだもの。
「が、頑張ります」
想定外に強くかけられたプレッシャーによりこれは絶対に成功させなければならないという圧迫感で既に胃がキリキリと痛い。いや、元より頑張るつもりではあったけどもここまでの事態になるとは思っていなかった。チラリとヴィオレを見てみれば、私を見てニヤリと笑っている。
これはきっと私が絶対に逃げないように、スキル上げをやり切れる方向で追い詰めているのだろう。さすが弟。作戦はバッチリ大成功である。しかし、皆にこんな表情にさせるなんてコイツは一体皆に何を言ったんだろう……。
朝の一騒動も一段落し、身支度を整えてブランチを食べにダイニングルームへ向かう。
ダイエット前にいつもの美味しいご飯を食べて英気を養ってからたくさん頑張ろうっとるんるん気分で椅子に座ると目の前の席にヴィオレが座っていた。
「あ、一緒に食べてくれるの?」
「あぁ。あと、今日から俺が食事内容についても口出しさせてもらったから」
「へ!?」
「なんだよ、食事はダイエットの基本だろ。ここからやるに決まってるだろ」
言われてみればそうだ、だから朝からヴィオレが来てくれていたのかと気付く。朝ごはん楽しみにしていたんだけどな、とがっくりと肩を落とす。
何が出てくるんだろう、味の薄い野菜スープや雑穀系の固いパンとかだろうか。嫌いなんだよな、あれ……独特の匂いがするし固いし。
食卓の前で落ち込むなんて生まれて初めての経験だ。
しょぼん、と項垂れているとコトンと目の前に彩りの美しいサラダが置かれた。その次はパン、スープ、鶏胸肉のローストと次々とお皿が出てきた。
パッと見ていつもより少し野菜が多いけど、ドレッシングも美味しいし。パンだって普通だ。鶏肉とかタンパク質もしっかりあって、スープもしっかりと味がついている。どれも美味しい。なんというか思ったよりも普通の食事だ。
「あれ……普通に美味しい。こんなに食べちゃって良いの?」
「あぁ、バランス良く食べることが大事だからな。特定の栄養を減らしたり増やしたり量自体を減らしたり極端な食事をしても、健康に悪いからな。筋力もつけてほしいし」
「わぁ~良かったぁ! 何食べても全部美味しくて幸せ! 沢山おかわりしちゃお!」
「おい、腹八分目にしとけよ」
あまりの美味しさにうきうきと浮足立って調子に乗っていると、ピシャリとヴィオレにたしなめられる。冗談よ冗談、と軽くいなしてみれば、まったくと言ってふぅとため息をつかれた。
そのままヴィオレが説明を続けた。
「あと、本を読むなら今度から寝る前じゃなくて食事のあとな。落ち着いたら運動を始める……けど、ここで出来ることも限られそうだな……うーん……」
案内頼めるか、とメイド達の方へヴィオレが投げかけると、かしこまりましたとデイジーが綺麗にお辞儀をした。
うちも一応公爵家でそれなりに立派な騎士の訓練場ならあるけど、私も剣の素振りをしたり走り込みをしたり、ヴィオレと組み合ったりでもするのだろうか。帝国の剣とも言われる武系名門のデュランダル公爵家で騎士スキルをあげまくっていたというヴィオレの鍛え方、正直少し恐ろしい気すらする。
しかし、幸せなヒロイン生活の為に頑張ると自らが決めたんだ。きっとデイジー達も励ましてくれることだし、精一杯頑張ろうと少し怯えながらも前を向く。
ヴィオレが先に食べ終わり、口元をさっと拭いてナプキンをテーブルに置くなり立ち上がった。
「ま、何か考えておくからそれまで本読んでろ。ごちそうさまでした」
食事も早々に、ヴィオレとデイジーが部屋から出て行く。
私はのんびり食事をして、おそらく特別メニューを作ってくれた料理人たちにお礼を言いに顔を出してから部屋に戻った。それにしても、改めて食堂で盛大に皆から激励をされると本当に何を言ったんだろうヴィオレは……とベッドでごろごろと寝返りを打ちながら、本を開いてはいるけれど大好きな本の内容が頭に入ってこない程度には気になる。
しばらくするとコンコンと扉がノックされた。どうぞ、と返事をすればヴィオレが入ってきた。
「おかえり! 準備は出来てるよ! 気持ちだけは!」
さっとベッドから滑り落ちるようにして降りて、ぶんぶんっと腕を回して張り切って答える。
ヴィオレはあー……と少し言い淀んだ後、私に衝撃発言を投下した。
「やっぱり今日から俺の家に泊まり込みだな」
「……へ!?」
「ここにも立派な騎士用の訓練場はあっても、正直今のアイリスじゃ体に負担になりそうなことしか出来なさそうだし。母上のサロンも併用させてもらいながら設備が整ったうちでやるのが一番なんだよ」
「え、急に伺って……しかもお母様のサロンを使わせていただくだなんて大丈夫なの?」
「あぁ~……ある意味面倒くさいことになりそうだけど、まぁ大丈夫だろ。てことで、夏季休暇中何か予定入らない限りはうちで」
ある意味面倒くさい、とは!? と子ウサギのように怯え震える私。
武家で歴史ある厳格なデュランダル公爵家にぷくぷくの私が行ったりなんてしたら、どうなるのか。それにヴィオレの事は知っているけど、デュランダル公爵家の人間については未知だ。ゲームでも家の情報なんて殆ど触れなかったし、この世界にいる今は社交に疎い私ですら知っているほど厳しさに有名な騎士団を持っているというくらいの情報しか聞いたことがない。そんなところ、恐ろしすぎて正直行きたくない。
朝、たしかに『私の為に頑張ってくれるヴィオレの為にも、幸せな転生ヒロイン生活の為にも、とにかく言われた事をこなしていこう!』なんて思っていたけれど、こんなのは想定外も想定外。頑張るは頑張るけれど、それは優しいデイジーや屋敷の皆がいるからであってこれは話が違う!
思ったよりも非常に私にとって厳しい方向で進んでいく話にどうにか抵抗はできないものか、と公爵家令嬢にしては知力低めの冴えない頭を使ってぐるぐると考えながらヴィオレに交渉をした。
「あ、あと! お父様も夏季休暇だと私とゆっくり過ごせる時間ができるかもって喜んでいたし、私が屋敷から離れるのはどうなのかなぁ~って。せ、せめて通いにしない? 私、毎日デュランダル公爵家にお伺いするから」
「いや、正直この屋敷にいること自体がダイエットに不適というか。言葉を選ばずに言うと、皆お前に甘すぎる」
ピシャリと言うヴィオレ。扉の近くで所在なさげに小さく「申し訳ございません、アイリス様」と頭を下げるデイジーの姿があった。
私の心の支え、デイジーの居ない中厳しいダイエットだなんて恐ろしすぎる。私は泣きながらデイジーに駆け寄った。
「うぁぁぁぁ、デイジー! デイジーだけでも一緒に来てぇぇぇ」
「アイリス様、私もお傍にいたいのですが……」
デイジーは朝と同様にまた私の手を優しく手で包み、うるうるとした瞳で私を見た。
「アイリス様は今も十分愛らしくて素晴らしい方です。ですが、向上心を持たれたとのことお仕えしている者としてとても喜ばしいです。お力になれず申し訳ございません。デイジーはアイリス様の事を心から応援しております、帰ったら美味しいケーキをご用意しておりますから……」
「あ、ケーキはやめましょう。せめて旬の果物にしてください。しばらくは」
「かしこまりました、ヴィオレ様。アイリス様! 最上級に美味しい果物を用意しておきます!」
ケーキNGを出されて私の顔も青ざめる。デイジーは既にヴィオレの管理下に置かれてしまったようだ。
ということは帰ってもいつもの楽しい日々とは少し違った日になってしまうのかもしれない。
窓の外からも既にヴィオレと打ち合わせをしていたのか私の荷物らしきものをまとめて馬車に詰め込んでいるメイド達の姿が見えた。たった数時間で何故これほどまでに我が家を掌握しているのか、ヴィオレ……恐ろしい子。これはもう逃れられない。
「アイリス!」
そんな中、私を呼ぶ大きな声と共に扉がバンっと大きく音を立てて開いた。
「お父様!」
声の主はお父様だった。
目を合わせるなりお父様と私は駆け寄り、力強く抱き合った。
今世での私の父、フルール公爵家の当主であるシプリアン・フルール。
大恋愛の末結婚されたらしいお父様とお母様なのだけど、お母様と妹のカメリアの体が弱く領地の端に位置する静養地でほとんど別居状態になっていた。私もカメリアとお母様についていって魔法学園の入学前に合わせて本邸に戻ってきたし、静養地にいる間も公爵としての仕事があるからお父様とはなかなか会えなかったんだけど、忙しい中暇を作り顔を出してくれては沢山遊んでくれた優しくて大好きなお父様だ。
久々にお父様と会えて夕食だけでも一緒にと、入学してからほとんど毎日のように顔を合わせられていたのにまた私と引き離されてしまう事はお父様も辛いだろう。ここはお父様に頑張っていただかないと。
私は期待を込めて目を潤ませながらお父様を見上げる。お父様はそっと私の頬を両手で包み、優しく話し始めた。
「話は聞いたよアイリス。とても立派な決断をしたんだね。少しでもゆっくりアイリスと過ごせると思っていたからとても残念だけど、父様もアイリスを応援しているよ」
「……へ!? あ、いえ……あの、お父様?」
「いいんだ!……それ以上言うと、別れが辛くなる。最上級のステーキを用意して夏季休暇最終日、お前を待っているからな」
「いや、最上級のステーキもやめてください。魚にしましょう、カルパッチョとか大好きですよアイリス」
「世界各地の魚の輸入ルートを構築しておくからなぁ!くぅぅう!」
別れを惜しみ強く強く私を抱きしめるお父様。
しかし、さすがお父様。ステーキNGをヴィオレから出されても、スケールが大きい代替案だ。それにしても、公爵家当主のお父様すらも既に説得済とは一体何を話したんだうちの前世の弟は。
私が恨めし気にヴィオレを見れば、またニヤリと不適に笑いながら小さく私にだけ見える位置でピースサインをしている。
すべてこの前世の弟の計算通りということらしい。恐ろしい。
ヴィオレがパンっと一度手を叩き、場の空気を変えた。
「と、言うわけで。さ、行くぞ。アイリス。そんな怯えなくても、取って食うような事しねぇから。ちょっと食事管理がされて、勉強の量が増えて、運動の量が増えて、いろいろするだけだから安心しろよ」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
ヴィオレに引きずられるようにして馬車の方へと向かわされる私。
お父様とデイジーを始め、使用人の皆がずらりと門の前に並んでうるうるとした表情で私に手を振っている。血気盛んな庭師や騎士達は「頑張れ!」と後ろの方で叫んだ。
ほとんど放り込まれるようにしてデュランダル公爵家へ向かう馬車に詰め込まれる。
こうして夏のイベント、「強制スキル上げ合宿」が幕を上げてしまったのであった。
読んでいただきありがとうございました。
私はこれを書きながらドーナツを3つほど食べてしまいました……。




