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第1章 再会の学院 3

タクシーポッドの滑らかな走行は、思考の邪魔をしない。

窓の外を流れる景色――北西福岡(NWFUK)の、どこか煤けたような、それでいて生活感の漂う街並み――をぼんやりと眺めながら、俺はディアムから送られてきた依頼内容を反芻していた。


福岡桜花学院。

古くから続く、男子だけの全寮制エリート校。

だが、その内実は「バンディズム」――血族主義という、2058年の今となっては時代錯誤も甚だしい思想を掲げる、金持ちたちのための閉鎖的な箱庭だ。

そんな場所で、ポルターガイスト騒ぎ? SIDの不調? 教師の失踪? 出来すぎた話だ。

まるで、古臭いゴシックホラーに無理やりサイバーパンク要素をねじ込んだような、ちぐはぐな印象を受ける。


だが、ディアムの情報は確かだ。

彼女(あるいは彼か? ネット上の付き合いしかない相手の性別など、今やどうでもいいことだが)が提示する情報は、常に核心を突いている。

そして、破格の報酬。

今回の依頼には、それだけの「価値」があるということだ。

おそらく、単なるオカルト騒ぎや、システムの不具合では済まない、もっと根深い何かが隠されている。

ディアムが仄めかした、違法電子ドラッグ「ガム」の線が、一番臭う。


ガム。

その存在は、俺のようなアンプラグドの世界にも噂として流れてくる。

SID装着者の脳に直接作用し、一時的な能力向上や、強烈な快楽、あるいは現実と見紛うほどの幻覚をもたらすという代物。

当然、違法だ。

SIDCOMもICAも、その存在を公式には認めていない。

だが、アンダーウェブや、リアルな闇市場では、高値で取引されているという。


桜花学院のような閉鎖的な環境は、そういった違法なモノが蔓延するには格好の土壌だ。

外部の目が届きにくく、内部の結束(あるいは口封じ)は固い。

エリート意識と、特権意識。

そして、若さゆえの好奇心と無謀さ。

それらが組み合わさった時、何が起きるか。

想像に難くない。

生徒たちがガムに手を出した結果、SIDに異常をきたし、精神的に不安定になっている。

あるいは、ガムの取引を巡るトラブルが、教師の失踪に関係している。

そんなところだろうか。


(だが、ポルターガイスト現象はどう説明する?)

物が飛ぶ? 声が聞こえる? 人影? ガムの副作用に、そんな物理的な現象を引き起こす効果があるとは聞いたことがない。

単なる集団ヒステリーか、それとも、もっと未知の…

(いや、考えるのはよそう)

俺は思考を打ち切った。

憶測だけであれこれ考えても仕方がない。

必要なのは情報だ。

現場に潜入し、関係者の話を聞き、物理的な証拠を集める。

SIDを持たない俺にできるのは、そういう地道で、ローテクな調査だけだ。

それが、このSID全盛の時代における、アンプラグド探偵の唯一の武器であり、存在意義でもある。


タクシーポッドが、目的地の安宿が建ち並ぶ、古い歓楽街の入り口で静かに停車した。

支払いは、もちろん旧式のプリペイドカードだ。

電子決済など、俺にとってはハッキングしてくださいと言っているようなものだ。


古びたビジネスホテルの、狭いシングルルーム。

窓からは、隣のビルの壁しか見えない。

シャワーを浴び、買ってきた合成プロテインバーを齧る。

味も素っ気もない、ただの栄養補給だ。

ベッドに横になり、天井のシミを眺めながら、俺はこれからの調査計画を練り始めた。


まずは、失踪した教師、エドワード・マイケル・ジェンキンスについて調べる必要があるだろう。

89歳のアメリカ人教師。

アンプラグド。

なぜこの学院に? 彼の経歴、人間関係、そして失踪直前の行動。

何か手がかりが掴めるかもしれない。


次に、生徒たちの状況。

特にSIDの不調を訴えているという数名の生徒。

彼らから直接話を聞ければいいが、部外者の俺がそう簡単に接触できるとは思えない。

学院内部に協力者を作る必要があるかもしれない。

だが、誰を信用できる?

そして、ガムの流通ルート。

学院の周辺、あるいは内部に、売人や仲介者がいるはずだ。

俺が持つアンダーグラウンドのコネクションを使えば、何かしらの情報にたどり着けるかもしれない。

危険は伴うが、それが一番手っ取り早い方法だろう。


考えを巡らせているうちに、いつの間にか眠りに落ちていたらしい。

目覚めたのは、スマートフォンのアラーム音ではなく、不意にSID視界(俺の場合はグラス型デバイスのそれだが)に割り込んできた、緊急度の高い通信要求の警告音だった。

SIDグラスはベッドサイドに置いたままだ。

誰かが、俺のプライベート回線に直接アクセスしてきたということか?

(ディアムか…?)

いや、違う。

表示されている発信者コードは、俺の知らないものだ。

所属は…ICA? インターワールド・コントロール・オーソリティ。

SIDネットワークの監視機関。

なぜICAが俺に?

警戒しながらも、俺は思考で応答した。

相手の姿は表示されない。

音声だけの通信だ。


『木暮雅人氏か?』

機械的で、感情の乗らない声。

合成音声だろう。


『――誰だ?』俺はぶっきらぼうに返した。


『我々はICAだ。

君の現在の調査について、いくつか確認したい事項がある。

桜花学院で起きている事象についてだ』

(やはり、学院の件か。

だが、なぜICAが俺に…? 俺はアンプラグドだぞ)

『どうやって俺の連絡先を? それに、アンプラグドの俺に何の用だ?』

『君の情報は、関連データベースから抽出した。

アンプラグドであることは承知している。

だが、君が持つ「地上」の情報と、独自の調査能力が必要だと判断した』

(地上の情報、か。

連中らしい言い草だ)

『具体的に何を知りたい?』

『すべてだ。

君が掴んでいる情報、依頼内容、依頼主について。

そして、今後の君の行動予定も』

一方的な要求だ。

だが、ICAを相手に隠し事はできない。

彼らは、その気になれば、あらゆるネットワークログを解析し、俺の過去の行動すら洗い出すことができるだろう。

抵抗しても無駄だ。


俺は、ため息をつきながら、ディアムからの依頼内容と、これまでの簡単な経緯を説明した。

ガムの噂、教師の失踪、学院の異変。

ただし、ディアムの名前や素性につながる情報は伏せて。


『…依頼主については、匿名性が高く特定は困難だ。

コードネームは「ティファ・新宮寺」。

おそらく偽名だろう』

『承知した。

それで、今後の予定は?』

『明日から学院周辺の調査を開始する。

まずは、失踪したジェンキンスの足取りから追うつもりだ』

『ジェンキンスについては、我々も調査を進めている。

だが、彼はアンプラグドゆえ、デジタルな痕跡が極めて少ない。

難航している』ICAの声は淡々としていた。

『そこで、君に協力を要請したい。

物理的な調査、特に彼が接触した可能性のある人物への聞き込みなどだ』

『協力…? なぜ俺がICAに協力する必要がある?』

『これは要請であり、命令でもある。

今回の事態は、単なる学院内の問題ではない。

SIDネットワーク全体の安定性に関わる、重大なインシデントである可能性がある』

声のトーンが、わずかに鋭くなった気がした。


『もし君が協力を拒否した場合、我々は君の探偵ライセンスの停止を含め、あらゆる手段を講じることになるだろう』

(脅しか…)

面倒なことになった。

だが、ICAに逆らっても良いことはない。

それに、彼らの情報があれば、俺の調査も進めやすくなるかもしれない。


『…分かった。

協力しよう。

だが、俺は俺のやり方で動く。

情報は共有するが、指示は受けない』

『それで結構だ。

連絡は、このセキュアチャンネルを通じて行う。

必要であれば、エージェントを一人、君のサポートにつけることも可能だが?』

『断る。

単独で動くほうが性に合っている』

『了解した。

健闘を祈る』

通信は、一方的に切断された。

俺は、しばし呆然と天井を見つめていた。

ICAの介入。

事態は、俺が考えていたよりも、ずっと深刻なのかもしれない。

SIDネットワーク全体の安定性に関わる? ジェンキンスの失踪と、学院の異変の裏には、一体何が隠されているというのか。


(面倒だが、面白くなってきたじゃないか…)

口の端に、不敵な笑みが浮かぶ。

アンプラグドの探偵が、最先端テクノロジーの闇に挑む。

悪くない筋書きだ。

俺はベッドから起き上がり、窓の外を見た。

夜明け前の、最も暗い時間。

街の灯りもまばらになり、空にはまだ星がいくつか見えている。



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