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シャオ・ツーの身体から、フロイドの禍々しいオーラが完全に剥ぎ取られ、少年が力なく床に崩れ落ちるのを、山城は礼拝堂の奥、祭壇のあった場所から、凍りついたような表情で見つめていた。
彼の顔からは、先ほどまでの狂信的な熱は消え失せ、代わりに、深い絶望と、そして信じられないものを見たかのような、純粋な驚愕の色が浮かんでいる。
常楽院雛子。
ICAのエージェント。
彼女の身体から放たれる、あの七色のオーラ。
それは、彼が長年追い求めてきた霊子エネルギーそのものだったが、同時に、彼が理解し、制御しようとしていた霊子の力とは、全く異質な、何か根源的で、そして圧倒的なものだった。
それは、破壊ではなく、浄化。
支配ではなく、調和。
まるで、宇宙の法則そのものが、彼女の姿を借りて顕現したかのようだった。
(馬鹿な…こんなことが…ありえるはずがない…!)
山城の脳裏に、プロジェクト・ジェネシスの理想が、音を立てて崩れ落ちていく。
選び抜かれた精神、永遠の知識、そして、若い肉体への「継承」。
それこそが、人類が進化する唯一の道だと信じていた。
そのために、彼は全てを捧げてきたのだ。
だが、目の前の光景は、その全てを、根底から覆すものだった。
(私の計画は…ここで終わりだというのか…?)
だが、山城は、まだ諦めてはいなかった。
彼の歪んだ理想は、そう簡単に消え去るものではない。
彼は、懐から小さなケースを取り出し、震える指でそれを開いた。
中には、数個の、黒く光るタブレット。
彼自身が改良を重ねた、最新型の電子ドラッグ「ガム」。
「ペインター」の、さらに強力なバージョンだ。
彼は、そのうちの一つを躊躇なく口に放り込み、強く噛み締めた。
強烈なペパーミントの香りと共に、ナノマシンが彼の脳へと流れ込み、SIDを通じて、彼の精神を強制的に覚醒させる。
視界が白く染まり、全身の神経が焼き切れるような激痛。
だが、それと同時に、彼の精神は、かつてないほどの高揚感と、万能感に包まれた。
「まだだ…まだ、終わらせはせん…!」
山城は、獣のような呻き声を上げながら、自らのファミリアを召喚した。
それは、彼自身の歪んだ理想を具現化したかのような、巨大で、そして醜悪なキメラだった。
複数の動物の身体を無理やり繋ぎ合わせたような、アンバランスな巨体。
その一つ一つの目には、山城自身の狂気が宿っている。
「行けぇっ! あの女を、喰い殺せぇっ!」
キメラが、咆哮を上げ、変容した雛子へと襲いかかる。
だが、その動きは、先ほどのフロイドに比べれば、あまりにも鈍重で、そして力弱い。
雛子は、静かにそれを見つめていた。
彼女の身体から放たれる七色のオーラは、さらに輝きを増し、礼拝堂全体を、まるで虹色の光で満たしていく。
それは、攻撃的なエネルギーではない。
むしろ、全てを包み込み、浄化し、そしてあるべき場所へと還すような、優しく、そして抗いがたい力。
キメラの巨体が、その七色の光に触れた瞬間、まるで陽光に晒された雪のように、音もなく溶け始めた。
断末魔の叫びを上げる間もなく、その醜悪な姿は、光の粒子となって霧散し、後には何も残らなかった。
「…ああ…」
山城は、その光景を、呆然と見つめていた。
彼の最後の希望が、あまりにもあっけなく消え去った。
そして、その七色の光の奔流が、今度は彼自身へと、ゆっくりと、しかし確実に、押し寄せてくる。
(これが…私の、終わりか…)
不思議と、恐怖はなかった。
ただ、深い、深い疲労感と、そして、ほんの少しの後悔。
もし、あの時、ジェンキンスの言葉に耳を傾けていれば…。
いや、もう詮無いことだ。
山城の身体もまた、七色の光に包まれ、ゆっくりと透明になっていく。
彼の意識が、遠のいていく。
最後に彼の脳裏に浮かんだのは、かつて彼が夢見た、理想郷の姿ではなく、ただ、どこまでも広がる、穏やかな、青い空だった。
その頃、礼拝堂の壁際で、グレッグは薄れゆく意識の中、目の前で起きている超常的な光景を、まるで夢でも見ているかのように眺めていた。
(…なんだ、これは…本当に、現実なのか…?)
シャオ・ツーが倒れ、山城のファミリアが消え、そして山城自身もまた、光の中に溶けていく。
そして、その中心に立つ、七色のオーラに包まれた雛子の姿。
彼女は、もはや人間とは思えなかった。
もっと神々しい、あるいは、宇宙的な何かに変容してしまったかのようだ。
(雛子に…一体、何が…?)
彼女の身体から放たれる光は、不思議と熱くも、冷たくもなかった。
ただ、温かく、そして優しい。
まるで、母親の胎内にいるかのような、絶対的な安心感。
その光に包まれていると、長年彼を苦しめてきた、両親の死のトラウマや、SID社会への不信感、そして自分自身の無力感といった、あらゆる負の感情が、静かに癒されていくような気がした。
(ああ…これが…雛子の、本当の力なのか…?)
彼女は、いつも何かを隠しているような、そして何かと戦っているような、そんな危うさを秘めていた。
だが、それは、彼女が弱かったからではない。
むしろ、強すぎる力を、そして優しすぎる心を、持て余していたからなのかもしれない。
(…守らなければ…)
薄れゆく意識の中で、グレッグは強く思った。
この、あまりにも優しく、そしてあまりにも強大な力を持つ彼女を、この世界の醜悪な現実から、守らなければならない。
たとえ、それがどれほど困難な道であったとしても。
やがて、彼の意識もまた、温かい光の中に、静かに溶けていった。
礼拝堂を満たしていた七色の光が、ゆっくりと収束し、雛子の身体へと吸い込まれていく。
彼女の姿は、徐々に元の人間のそれへと戻っていくが、その表情には、深い安らぎと、そして母性にも似た、穏やかな微笑みが浮かんでいた。




