表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

36/48

胸騒ぎが、嫌な予感が俺の背筋を駆け上がった。

岡崎先生から雛子がシャオ・ツーという少年と面談中だと聞いた瞬間、俺は考えるよりも先に走り出していた。

あのガキ、そして奴のファミリアと称する「フロイド」。

底知れない邪悪な気配。

雛子が無茶をしなければいいが、あの女は昔から、一度こうと決めたらテコでも動かない頑固さがあった。


休憩室のドアを、文字通り蹴破るようにして飛び込んだ。


「雛子っ!」


その瞬間、俺の目に飛び込んできた光景に、全身の血が凍りつく。

部屋の中央、ソファにもたれかかるようにしてぐったりと意識を失っている雛子の姿。

そして、その彼女に覆いかぶさらんとする、異形の影。


「なっ…なんだ、こいつは!?」


シャオ・ツーのファミリア、フロイドだったはずのものが、見るも無残な怪物へと変貌を遂げていた。

身長は2.5メートルはあろうか、巨大で筋骨隆々とした人型モンスター。

その皮膚は所々焼け爛れたように剥がれ落ち、赤黒い筋肉がむき出しになり、太い血管が蛇のように浮き上がっている。

頭部には、まるで拷問具のような、錆びついた金属製の拘束具が歪んで装着され、その顔の半分を覆い隠していた。

片腕は異常なまでに太く肥大し、その先端からは骨が変形したかのような、鋭く長い爪が生えている。

そして、体表のあちこちに、黒く太いチューブや、意味不明な金属パーツが、まるで生きているかのように埋め込まれ、不気味な光を放っていた。

全体から漂うのは、圧倒的な威圧感と、生物兵器として調整されたかのような、冷たい殺意。


(ファミリアが、こんな姿に…? いや、これはもはやファミリアなどという生易しいものではない!)


俺はアンプラグドだ。

SIDグラスもSIMも、今は何も装着していない。

それなのに、この怪物の姿が、五感全てで、嫌というほどリアルに感じられる。

床を踏みしめる度にギシリと軋む音、喉の奥でゴボゴボと鳴る、まるで粘液が絡みついたような呼吸音、そして、部屋中に充満する、腐肉と焦げた金属が混じり合ったような、吐き気を催す悪臭。


これは、何かの新型兵器か? バイオテクノロジーで生み出された生物兵器? それとも、どこかの狂った科学者が作り出した、悪夢のようなフランケンシュタインの怪物か? 頭が混乱し、状況が全く理解できない。


『落ち着け、木暮雅人! そいつは、シャオ・ツーのファミリア、フロイドが実体化した姿だ!』


唐突に、頭の中に直接、凛とした女の声が響いた。

いや、女の声じゃない。

猫か?

俺が声のした方を振り返るより早く、部屋の隅、雛子の足元にいたはずの黒猫が、にわかに黒い影を膨張させた。

そして、次の瞬間には、その影が、しなやかで力強い、巨大な黒豹のような姿へと変貌を遂げていた。

いや、豹ではない。

その漆黒の体毛は、まるで闇そのものを編み込んだかのように深淵な光沢を放ち、鋭く尖った耳の間からは、天を衝くような一本の螺旋状の角が伸びている。

たてがみは白銀に輝き、その瞳は燃えるような紅蓮の色を宿していた。

それは、古い伝説に語られる霊獣、麒麟。

闇を纏いし、黒き麒麟。


(ジジ…! 雛子のファミリアも、実体化してるのか!?)


信じられない。

だが、目の前で起きていることは、紛れもない現実だ。

二体の、ありえないはずの存在が放つ、圧倒的なプレッシャーが、部屋の空気をビリビリと震わせ、俺の肌を粟立たせる。

呼吸が苦しい。

まるで、深海の水圧に押し潰されそうになるような感覚。


「このバケモノは…いったい何なんだ!?」俺は、ようやく掠れた声を絞り出した。


『詳しい説明は後だ、木暮雅人!』黒麒麟と化したジジが、俺を一瞥いちべつし、鋭く言い放った。

『今は、雛子をここから連れ出せ! シャオ・ツーの意識との接続が、強制的に解除されかかっている! このままでは、雛子の精神が危ない!』

その言葉と同時に、怪物フロイドが、地獄の釜が開いたかのような咆哮を上げた。

異常に発達した片腕を振りかざし、その先端の凶悪な爪を、黒麒麟に、いや、その背後にいる雛子と俺に向かって、一直線に叩きつけてきた。


『させん!』


黒麒麟が、雷鳴のような雄叫びを上げ、その巨体からは想像もつかないほどの俊敏さで、怪物フロイドの前に立ちはだかる。

両者の爪と、フロイドの金属パーツが激しくぶつかり合い、火花と衝撃波が部屋中に飛び散る。

壁が砕け、天井の照明が落下し、部屋の中は一瞬にして地獄絵図と化した。


俺は、何が何だか分からないまま、ただ、ジジの言葉に従って、ぐったりと意識を失っている雛子の身体に駆け寄った。

床に崩れ落ちる寸前、その華奢な肩を抱きとめる。

冷たい。

そして、驚くほど軽い。

まるで、魂が抜け殻になった人形を抱いているかのようだ。


「雛子! しっかりしろ! 目を覚ませ、雛子!」

俺は、彼女の肩を力任せに揺さぶりながら叫んだ。

だが、彼女の瞼は固く閉じられたまま、何の反応もない。

その顔には、深い苦悶の色が浮かび、唇からは、途切れ途切れの、苦しげな息が漏れている。

彼女の精神は、今、あのシャオ・ツーというガキと、そしてあの怪物フロイドの、歪んだ意識の迷宮の中で、出口を見失い、囚われているのだ。


怪物フロイドと黒麒麟の戦いは、ますます激しさを増し、部屋全体が地震のように揺れている。

砕けた窓ガラスの破片が、俺たちのすぐそばに降り注ぐ。

このままでは、俺たちも巻き添えを食らう。


(クソッ! どうすればいい!?)


俺はアンプラグドだ。

こんな超常的な戦いに、割って入れるはずがない。

だが、雛子を、このまま見殺しにはできない。

十年前に、俺は彼女を理解しようとせず、傷つけた。

あの時の後悔が、今、激しい痛みとなって胸を締め付ける。


俺は、雛子の冷たい手を、力の限り握りしめた。

そして、心の中で、いや、声に出して、叫んでいた。


「戻ってこい、雛子! お前は、こんなところで終わるような女じゃないだろう! 昔みたいに、俺に悪態をついてみろ! 意地を張ってみろ! お前自身の力で、ここから這い上がってこい!」

その瞬間、俺の脳裏に、遠い昔の、SRNSで精神が崩壊していく両親の、最後の、悲痛な叫びが蘇った。


『雅人…! お前だけは…SIDに、魂を食われるな…!』


そうだ。

SIDは、人を繋ぐ道具であると同時に、人を喰らう怪物にもなりうる。

だが、人間の意志は、その怪物を超えることだってできるはずだ。


「雛子! 聞こえるか! お前は、まだ終わっちゃいねえ! 戦え! 生きろ!」

俺の叫びが届いたのか、あるいは、彼女自身の生命力が、最後の抵抗を試みたのか。

雛子の身体が、ほんのわずかに、しかし確かに、震えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ