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私が生まれた日。

それを正確に記憶しているのは、母でも父でもなく、遠いアラスカの地質調査所の記録かもしれない。

2042年9月22日。

奇しくも、北半球各地で大規模な永久凍土の融解が観測され始め、「気候変動におけるポイント・オブ・ノーリターン」として後に記憶されることになる日。

まるで、私の誕生が、この星の何かの終わりと始まりを告げる合図だったかのように。

もちろん、それは感傷的な思い込みに過ぎない。

世界は、私が生まれようが生まれまいが、不可逆な変化の瀬戸際に立たされていたのだ。


永久凍土から放出された大量のメタンと二酸化炭素は、その後の人類の努力を虚しく霞ませた。

翌年には核融合発電が実用化され、わずか十年で世界中に87基もの核融合炉が建設された。

エネルギー問題は解決に向かうはずだった。

けれど、一度壊れた地球のバランスは、そう簡単には元に戻らない。

世界の平均気温は上昇を続け、私が16歳になろうとするこの2058年の夏、ここ福岡市では、ついに平均最高気温が34℃を超える日が何日も続くようになった。


今日もまた、寝苦しい夜が明けた。

じっとりと汗ばんだシーツの感触が不快だ。

桜花学院の寮の一室。

全館空調は効いているはずなのに、高騰する電気代を節約するためか、設定温度は高く、夜中に何度も目が覚めてしまう。

小学生の頃から続く寮生活。

実家のある北九州市は隣とはいえ、もう十年近く、私はこの学院の中で、人生の大半の時間を過ごしてきた。

両親が事故で亡くなったのは、私がまだ四つの時。

遺言ログに従って、私はこの学院に預けられた。

親戚の家を転々とするよりは、恵まれた環境だったのかもしれない。

けれど、なぜ両親が、多くの家庭が利用し始めていた「全国児童保護法」ではなく、この古風なバンディズム(血族主義)を掲げる私立学院を私に残したのか、その理由は未だに分からない。


寝不足で重たい頭を抱え、ベッドから這い出す。

時刻は午前七時前。

外は既に白々しいほどの陽光に満ちているが、熱気はまだ比較的穏やかだ。

それでも、窓を開ける気にはなれない。

熱風が部屋に流れ込んでくるだけだろう。


身支度を整え、簡素なワンピースに着替える。

この暑さでは、制服を着る気力も湧かない。

夏休み中の寮に残っている生徒は、私を含めてほんの数人だ。

ほとんどの生徒は、お盆に合わせて故郷へ帰省している。

私が残っているのは、特に帰る必要性を感じないのと、何より、学校が始まる前に少しでも教科書を読み進めておきたいからだ。

そう、私は、勉強することが好きなのだ。


SIDが普及して久しい。

生体侵襲型のBMIが一般化し、人々の頭脳はネットワークに常時接続されている。

私の同級生の多くも、十四歳になるとSIDを装着した。

私も、二年前に施術を受けている。

ネットワークに繋がった頭脳は、確かに便利だ。

必要な情報は瞬時に手に入るし、複雑な計算や分析も、AIアシスタントであるファミリアの助けを借りれば容易い。


多くの大人たち――特に、ビジネスの最前線でSIDを使いこなしているプラグド世代は、口を揃えて言う。

「SIDがあれば学校なんて必要ない」「学校でやる勉強なんて、全く意味がない」と。


その言葉に、一理ないわけではない。

知識を暗記したり、定型的な問題を解いたりする能力は、SIDの前ではほとんど価値を持たない。

けれど、私はそうは思わない。

知識を、情報を、どのように解釈し、自分の経験や他の知識と結びつけ、新しい意味や価値を生み出すか。

そのプロセスこそが「学び」であり、「思考」なのではないか。

その力を養うためには、やはり体系的な学習が必要だし、多様な他者と交流できる学校という場も、まだ意味があるはずだ。

そう信じたいのかもしれない。


寮の食堂で簡単な朝食を済ませ、私はいつものように図書室へ向かった。

今日の目的は、物理の教科書。

二年生から始まるという「霊子」に関する項目を、少しでも予習しておきたかったのだ。

霊子ゴーストン、あるいはクアノンとも呼ばれる、重力と意識に関わるかもしれない未知の素粒子。

その響きには、私の知的好奇心を強く刺激する何かがあった。


図書室の重い扉を開けると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。

ここは、学院の中で一番エアコンが効いている場所だ。

広く、天井の高い空間。

壁一面に並ぶ書架には、古今東西の書物が静かに眠っている。

その光景は、いつ見ても私の心を落ち着かせ、同時に高揚させる。


SIDネットワークを通じてアクセスできるデジタルライブラリも、もちろん膨大で便利だ。

ファミリアに頼めば、私の興味やレベルに合った書籍を瞬時にリストアップしてくれる。

AIが推薦する本は、確かによくできていて、面白そうなものばかりだ。

けれど、そこには、何か決定的なものが欠けている気がする。


「自分で選んでいる」という実感がない、と言うのとは少し違う。

なんというか、アルゴリズムによって最適化され、提示された選択肢は、どれも無菌室で培養された優等生のように感じられるのだ。

そこには、予期せぬ出会いや、思いがけない発見の余地がない。


だが、この物理的な図書室は違う。

書架に並ぶ本の背表紙を眺めているだけで、まるで知識のシャワーを浴びているような感覚になる。

デューイ十進分類法という、ある種の秩序に従って並べられているはずなのに、誰かが読みかけて戻した場所が少しずれていたり、本来そこにあるはずのない分野の本が紛れ込んでいたりする。

その僅かな乱れ、ランダムさが、セレンディピティ――偶然の幸運な発見――の可能性を秘めているようで、私をワクワクさせるのだ。


そして、ここにある本たちは、一冊一冊が独立した人格を持っているかのように感じられる。

それぞれの背表紙から、「私を見つけて」「私を読んで」という、静かな、しかし確かなメッセージが発せられているような気がする。

物理学の難解な専門書も、詩的な言葉で綴られた哲学書も、荒唐無稽なSF小説も、淡々とした歴史の記録も、それぞれが独自の視点と知識を持って、私に語りかけてくる。


以前、数少ない友人の一人に「どうしてそんなに本ばかり読むの?」と尋ねられたことがある。

私は、少し考えて、こう答えた。

「本を手に取ると、その本に新しい命が吹き込まれるような気がするの。

そこに書かれた知識や洞察が、私の中で生まれ変わる。

私の考えや、感情や、世界に対する理解が、その本を読む前と後では、少しだけ変わる。

それが、面白いから」。


物理の本は、宇宙の法則を教えてくれる。

SFは、未来の可能性と人間の想像力の限界を見せてくれる。

歴史は、過去の出来事が現在、そして未来にどう繋がっているのかを教えてくれる。

本に囲まれたこの空間は、まるで無限の宇宙へと繋がるポータルのようだ。

そして、ここで経験するすべてが、私の知りたい、学びたいという根源的な欲求を刺激し続ける。

それが、私が自分自身を理解し、成長していくための、大切な糧になっているはずなのだ。


その日も、私は書架の間をゆっくりと歩きながら、本たちが発する声なき声に耳を澄ませていた。

物理学の棚へ向かう途中、ふと、棚の端に、見慣れない一冊の本が置かれているのに気がついた。

誰かが間違えて戻したのだろうか。

黒い、厚手の装丁。

背表紙には、少し古風な金色の文字で、こう記されていた。


『霊子物理学入門』


「霊子物理学…?」

思わず、声に出していた。

まさに、私が予習しようとしていたテーマそのものではないか。

こんな偶然があるだろうか。

まるで、この本が私を呼んでいたかのようだ。

私は、少し緊張しながら、その本を手に取った。

ずしりとした重みが、その内容の深遠さを物語っているようだった。

表紙には、透明なビニールカバーが掛けられており、大切に扱われてきたことが窺える。


自席に戻り、ゆっくりとページを開く。

序文にはこうあった。


「霊子(GHOSTON / QUANON)――それは、現代物理学に残された最後のフロンティアの一つである。

重力を媒介するとされる仮説上の粒子、重力子(GRAVITON)との関連性が指摘されながらも、その存在は未だ証明されておらず、その性質は深い謎に包まれている。

本書は、この霊子という未知の存在について、現在提唱されている理論モデルと、それが示唆する可能性――時間と空間の超越、意識と物質の相互作用、そして、我々の宇宙観を根底から覆すかもしれない新たな物理法則――への入門を試みるものである…」

やはり、難しい。

量子力学、超弦理論、高次元空間…。

高校生の私には、理解の及ばない概念ばかりだ。

SIDを通じて、関連情報を検索し、解説を読めば、言葉の意味や理論の概要を「知る」ことはできる。

例えば、「霊子と重力子は、ともにスピン2の性質を持つ粒子であると理論化されており、この性質が、時空を操る能力と関連付けられている」とか、「霊子は、物質世界と、意識や情報が存在するかもしれない非物質的な世界との間の『橋渡し』役を担っているのではないか」といった解釈。

それらを知識としてインプットすることは可能だ。


けれど、「知る」ことと「分かる」ことは違う。

腹の底から納得し、自分の血肉とするような、深い理解には到底至らない。

それは、SIDを装着してから、私がずっと感じている壁でもあった。


SIDは、私の「世界の解像度」を飛躍的に上げてくれた。

それは間違いない。

自分の周囲にある情報を、より詳細に、より多角的に把握できるようになった。

微細な温度変化、見えない電磁波、遠くの音、ネットワーク上の人々の感情の統計的な揺らぎ。

五感だけでは捉えきれない情報を、SIDはデジタルデータとして私の脳に直接送り届けてくれる。

ある意味、私の感覚器官が、超人的に進化したとも言える。


だが、それはあくまで「外界」に対する認識の変化であって、「私自身」が変化したという実感は、希薄だった。

SIDを装着して二年が経つけれど、私の本質的な部分――考え方や、感じ方、価値観の根っこの部分――は、何も変わっていないような気がするのだ。


SIDがもたらす膨大な情報は、私の行動や判断を助けてくれる。

それは確かだ。

だが、それはあくまで外部からの補助であり、私自身の内面から湧き上がってくる知恵や洞察とは違う。

まるで、高性能な義手や義足を使っているような感覚に近いのかもしれない。

動きは格段に良くなるけれど、それが自分の本当の手足だと感じることはない。

自分の核となる部分は、SIDがあろうとなかろうと、何も変わっていない。

むしろ、情報過多によって、自分自身の思考が鈍り、成長が止まってしまったのではないか。

そんな焦燥感に、最近は特に苛まれていた。


私は、読んでいた本から顔を上げ、図書室の大きな窓の外に目をやった。

真夏の強い日差しが、学院の緑豊かな中庭を白く照らし出している。

熱気のせいで、空気さえも陽炎のように揺らめいて見える。

蝉の声も聞こえない。

暑すぎて、彼らも鳴くのをやめてしまったのだろうか。

断熱性の高い分厚いガラス窓が、外の熱気と音を完全に遮断し、図書室の中だけが、ひんやりとした静寂に包まれていた。

まるで、世界から切り離された、時間の止まった場所のようだ。


(このままじゃ、ダメだ…)


何かを変えなければ。

この停滞感を打ち破らなければ。

でも、どうすればいいのか分からない。


「エイミー」


私は、思考でファミリアを呼び出した。

私の視界の片隅、AR空間に、ゆらり、と金色の影が現れる。

全長120センチほどの、美しいウツボ。

彼女(あるいは彼? ファミリアに性別を設定することはできるが、私はエイミーに性別を与えていなかった)は、水中を漂うように、優雅に空間を泳いでいる。

エイミー・モーレイ。

それが、彼女のフルネームだ。


ファミリアだから、人語を解し、会話もできる。


『静子、どうかなさいましたか?』エイミーが、ウツボ特有の、少し突き出た口先を器用に動かしながら、私の思考に直接語りかけてきた。

その声は、水中から響いてくるように、静かで、穏やかだ。


「エイミー…」私は、言葉にならない溜息のような思考を漏らした。


「やっぱり、私は、SIDCOMから得る情報は、自分自身の一部じゃないと感じているの。それは、ただ外部から与えられる助けであって、それが私の成長に繋がっているのか、自信が持てない。むしろ、自分の頭で考えることを、やめてしまっているような気がするの」


少し疲れた声色になってしまったかもしれない。

この寝不足と、連日の暑さ、そして出口の見えない焦燥感が、私の思考を鈍らせている。


『それは、難しい問いですね』エイミーは、静かに言った。

彼の黒い、表情のない瞳が、じっと私を見つめている。

『しかし、人は常に外部からの情報を取り入れて成長していくものです。本を読むことで新たな知識を得るように、人と交流することで新たな視点を得るように。それらと同じように、SIDCOMから得る情報もまた、あなたの成長の一部と考えることはできないでしょうか? あなたがその情報をどう解釈し、どう自身の思考と結びつけるか。そのプロセスこそが、成長なのではありませんか?』


エイミーの背びれが、水流を受けるように、ゆらゆらと優雅に波打っている。


彼の言うことは、論理的だ。

正論だろう。

だが、私の心の中の、このもやもやとした違和感は消えない。


「でも…実感がないのよ」私は、反論するように思考を続けた。

「自分が、どう変わったのか、どう成長したのかを、感じられない。知識は増えたかもしれない。でも、深まった気がしない。それが、とても不安で…」

私の言葉は、途中で途切れ、再び沈黙が訪れる。

窓の外の、白すぎるほどの光が眩しい。


「ねえ、エイミー」私は、話題を変えるように言った。

「NASAもEUも、もう存在しない。人はこの50年間、一度も月に行っていない。それどころか、アメリカは三つに分裂してしまった。世界は、本当に進歩しているのかしら。私たち人類は、本当に賢くなっているのかしら?」


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