最後に
労働信仰について、これまで語ってきた。こうした信仰を持つに至った経緯は、『労働神事説』にみるように、古代より農耕民族としての生活のなかで培われた素朴な信仰から、近世の封建制の階級社会において、搾取される労働者として意識の変革が行われ、近現代では教育によって不文律のごとく、人々の意識に刷り込まれている。
学校教育は、日本以外の洋の東西を問わずに行われているが、日本人は教育の成果が強く表れているのはなぜなのか。
昨今では、日本人は、脳内の不安を抑制するホルモン、セロトニンが遺伝的に不足しやすく、不安感を抱くことが、他の国々の人々よりも強いということが研究で分かってきている。
これをもとに、日本人の特性を説明しようとする本などは多く見つかるが、生物学から、人類学、民俗学への内容の飛躍が大きく、国や民族単位での優位な差異を生み出しているかどうかは、客観的にわかるような研究資料などは、浅学な私では見つけ出せなかった。
DNAの解析などからも、極東の島国にたどり着いた民族は、ガラパゴス的な特異性があるかのように言われることも多い。
こうした”科学的”な情報から、人類学などは新しい知見がえられているようだが、民俗学的な分野までふみこんでしまうと、そこはもう科学の世界ではなくなってしまう。
こうした生物、人類としての資質が、現代の日本人を形作る要素であるのは間違いないだろうが、そこから数千年たどってきた歴史のなかでの変遷も大きな要因だろう。
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ここまで、無宗教などと言われつつ、労働という行為にたいして、信仰とも言える思想を日本人がもっていることを、個人的な考察として語ってきた。私としては、雑然と思い描いていたことを、ある程度は文章としてまとめ上げることはできたと思っている。
こういうものを書くと、労働信仰の何が悪い、という、反論もでるだろう。日本が一時期GDPで世界第二位という位置にいたのは、労働信仰が寄与しているのは間違いないだろう。
ただ、それは、古代のガレー船の漕ぎ手のごとく、無心に櫂を漕いでいれば、それなりに報酬も得られた一時期、戦後復興期という海流と風にのって勢いがあったことも大きい。そこでは、舵をとるものもほぼ流れに任せていればよく、船長の能力も操舵手の技能もあまり問われることもなかっただろう。
21世紀の今、海流の流れと風が途絶えた海域に来て、漕ぎ手は疲弊し、船長は行き場を見失っているような状態だろう。
それでもまだ曲がりなりにも経済大国であり、世界一治安の良い国であるのは、労働信仰に見るように、弊害もあるが、教育による面が大きい。この教育の現場もまた、ブラック企業然とした状態で、労働信仰に支えられていると言える。ここが決壊してしまうと、日本と言う国に、本格的なカタストロフが来るだろう。
国の指導者として、有能で責任感があるものが立つ、という、夢のような事が起こると良いのだが。
肯定的に見る人、異論のある人は多いだろうが、三十余年この国で社会生活をしてきて実体験として得た知見をもとに、私個人の思索による文章であるということをお断りしておく。
主な参考文献
仏教に学ぶ「がんばらない思想」(PHP研究所)
ひろさちや(著)
儒教とは何か 増補版 (中公新書)
加地 伸行 (著)
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)
マックス ヴェーバー (著), 大塚 久雄 (翻訳)
仕事と日 (岩波文庫)
ヘシオドス(著)、 松平 千秋(翻訳)
現代ビジネス
「江戸時代の日本人の識字率は世界イチ」という説は「嘘」だった…!882人調査から読み解く、日本の「知性格差」
佐藤 喬(著)
国民生活に関する世論調査(平成26年6月調査) 内閣府
学制百年史 文部科学省
租税史料 国税庁
労働基準に関する法制度 厚生労働省
Wikipedia