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ブラック企業は何故存在するのか2

 労働者側の意識としてはどうだろう。精神的、肉体的に疲弊し、心身に異常を来すまで、休むことなく働き続けるのは何故か。


 一つはこれまでに何度も言っているように、上位者の命令は絶対、下された命令を遂行するのは義務であるという不文律を教育によって刷り込まれているためでもあるし、仕事を休む、という事に関する日本人の忌避感は従来より根強いこともある。

『労働神事説』による労働信仰では、体調不良や冠婚葬祭以外で休むことが出来る、というか、”仕事以外のこと”をして良いのは、皆が一斉参加の祭りなどのハレの日だけである。仕事以外の事、祭りへの参加、であるから、現在の休暇という概念からはずれているが、休暇という概念の無かったこの国では普段の仕事をしない事、イコール休暇である。

 ハレの日、祭り、それに基づく国が定めた祝日(多くは宮中の行事が由来となっている)などの公休日であるからこそ、休むことは認知されている。日曜日もしかり。これに土曜も追加されてきてはいる。それもこれも、皆が一斉に休むからであって、人様が働いているときに働かずにいるというのは怠け者として忌避する心理が働くのだろう。

 有給休暇という制度もあるが、これを使用することに躊躇う人も多い。休みが認められる場合は、大抵は身動きできないほど体調が悪いか、本人や身内の冠婚葬祭などが公に認められた理由となっている。権利として認められている休暇を取得する際に理由が必要だということがそもそもおかしいのだということに気が付く人がさて、どれほどいるだろうか。

 風邪をひこうが立って歩けるなら仕事に来いと言われたり、逆に高熱にかかわらずに仕事に行ったなどと自慢する者さえいる。冠婚葬祭も、仕事で親の死に目にも会えない、などという表現こそあれ、そういう事態でも仕事を率先する者は尊ばれる風潮すらある。

 そういう現状を知ってか知らずか、有給休暇の取得率が低いのは、公休日が多いからだ、などという妄言をつらつらと述べる者もいる。有給休暇の取得率が低いのは公休日が多いからでは無く、その逆で、有給休暇の取得率が低いから、国民が休暇を取ることを増やしたいから公休日が多いのだ。


 私の体験だが、ある年の年末に、職場で年末年始に出勤して作業を行うものを”任意で”募集していた。一人一人に担当者が聞いて回るというやり方だったが、任意なので当然私は断った。担当者はあれこれ理由をあげつらっては、私に対して勤労意欲が乏しいなどと文句を言ったが私は聞かずに終わった。こうしたやり方に折れて、出勤を承諾してしまった者もいた。中には、国の祝日として認められているのは元旦だけなのだから、それ以外は普通に出勤すべきだ、などと言う、勤労意欲に満ち溢れた迷惑な人物も存在していた。


 こういう状況なので、有給休暇を取得するということは、リスキーだと思われている。取得する側は周囲から迷惑がられないか気にして、周囲の者には実際迷惑だと思う者もいるだろう。実際に有給休暇を取って旅行など遊びに行った場合、仕事をしていた人への詫びの印としてお土産を購入して職場で配ることが奨励され、慣例となってもいる。

 自分としては休みたいが、周囲の目は気になるし、自分以外に誰かが休むと自分の作業が増えて迷惑にも感じるし、という、相互不信に相互監視といった状態の職場だと、労働基準法など知ったことか、というような上司からの理不尽な作業依頼を断れずに心身が壊れるまで働き続けるものも出てくる。

 その他、アニメーションの制作現場のように、その職種で働いているということに”やりがい”を感じている人に、不当な長時間労働や低賃金を強いて、利益を搾取する、”やりがい搾取”等と言われる行為も散見される。

 道徳教育により培われた倫理観を忠実に守ろうとする真面目な人間ほどこういう状況では疲弊していく。

 こうして、業務に支障を来すようなら法律は二の次である、と言うような法を軽く見る事業者と、目上の者の命令は絶対、下された命令を遂行するのは責務である、という労働者と、そうした労働者が集まって職場の和を乱さぬようにと同調圧力も組み合わさると、ブラック企業でのブラック労働が誕生する。


 こうした職場での極限状態では、ついには心身が壊れてしまし、亡くなる者も現れる。過労死だ。

 過労死という言葉はいつごろできたのか。2014年には、「過労死等防止対策推進法」が成立・施行されている。

 過労死という言葉は、過労死研究の第一人者である医学博士の上畑鉄之丞氏が、1978年に開催された日本産業衛生学会で過労死という言葉を使用したのが、初めて公に扱われたものらしい。意外に古い。私がこの言葉を知ったのは1990年代も半ばを過ぎたくらいだっただろうか。言葉が公になってから、国が具体的な対策をとるようになるまで、35年以上の年月が過ぎた訳だ。

 過酷な労働により、心身が疲弊して、死に至ったり、自ら死を選んでしまう。こうして亡くなった人の親族が、企業相手に訴訟を起こすようになり、それがニュースとなって人々の間でも議論が交わされるようになった。

 この問題が取り上げられるようになった当初は、過労死に至った人の労働時間にたいして、ネット上の掲示板等では、それくらいは珍しくもない、自分はそれ以上働いていた・働いている、といったものや、それほど過酷なら、そういう仕事は辞めてしまえばいい、続ける方が悪いという個人を否定的に見る言説も多々みられた。


 20世紀末に私が勤務していた会社は、労働基準法などどこ吹く風とでもいうように、長時間労働、残業代の未払などは当たり前であった。さらには、そこから出向などで別の職場へ行った際には、「過労死するなら、仕事を終わらせてから死ね」という、今となっては信じがたい言動を聞いたこともある。

 当時の会社を私が辞める時に、「君は我が社に利益をもたらしたと思うか?」などと問う始末だった。この様な企業を訴訟の場に引き出しても、それに掛かった労力に見合うような賠償を得ることも少なく、ほぼ泣き寝入りの状態になることが多かっただろう。ちなみに私もそんな訴訟は起こしてはいない。

 1990年代後半から、コンプライアンス(法令遵守)という言葉も、メディアでとりあげられるようになり、2008年には、厚生労働省が、『企業の強化労働に関するCSR推進研究会報告書』という報告をおこなっている。今では多くの企業は「ISO9001品質マネジメント国際規格」の認証を取得するなどしている。形式的ではあるが、社員にもこの規格に内容などについて教育を行い、講習やその後にテスト形式での理解度のチェックなども実施されている。

 このころから、メディアでも過労死が取り上げられ、ニュースとして目に止まることも多くなっていく。

 21世紀になって、インターネット環境が整い、ブログやSNSなどで個人が情報発信できるようになると、自分の仕事環境を発信するような人も現れてきた。そうして、個々の作業環境の差異に気が付くようにもなり、法令が無視されているようなあまりに酷い労働環境にいる者は、ネット上で告発も行えるようになった。

 個人での情報発信、それらがマスメディアを動かし、世論を動かし、企業はコンプライアンスの強化、という形で押し着せられた権利から、労働基準法が制定されてから半世紀以上を経て、ようやく目に見えるような形で実際上の権利として次第に認知されてきているようである。

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