ブラック企業は何故存在するのか
これまでの考察から、労働や、その環境について纏めてみると、労働に対する信仰とでもいうような思想が日本人にはあること、職場での上下関係は、道徳教育などからほぼ絶対的なものとされていること、職場の和を乱すようなことはタブーであること(五常の『義』『礼』もこれを助長していものと思われる)が上げられる。
時にそれは、上位者からの指示を絶対的な命令として受け取り、それを神事のごとく実行することが、崇高な責務であると捉えられ、それに反する行為は和を乱すタブーとなり、同調圧力として働くことになる。
それが端的に表れているのが、過去の大戦における上官と兵士の関係である。その中でも最たるものが、神風特攻隊や人間魚雷等の、人命を賭した作戦行動になるだろう。
戦時という非日常的な場面であり、営々と培われてきた絶対的な上意下達と、労働(仕事・任務と置き換えも可能)に対する信仰があるとはいえ、これはあまりにも極端ではないかという疑問も湧くが、実際に日本人はそれを行ったし、このことを表立って非難する声も少ない。任務を遂行した側の特攻隊員に対しては、尊崇の念を抱くものも多く、特攻という行為が美化されているのではないかと危惧を持つ者もいる。
現在においても、戦場においては、兵士は上官の命令は絶対であり、死ねと命じられたら死ぬのが当たり前だ、などと言う者もネット上には散見される。
実際、日本人は自己犠牲が好きなのだろう。昭和の時代、刑事物のドラマで、刑事の死を描いた殉職物が多く描かれたように、信仰としての労働・仕事という行為に殉じるということは、殉教と同義なのであろう。『葉隠』的に、「労働とは死ぬ事と見つけたり」などと嘯くものもいそうな気がするくらいだ。
大戦時に命令を下した側は、ほとんどが責任をとるでもなく、一部の者に責任を負わせて、糾弾されることもなく済んでいる。占領軍による東京裁判において、占領軍からみた戦争犯罪人は罰せられたが、日本人、内部からの旧支配者層に対する糾弾は戦後発足した政府からは行われることなく東京裁判をもって終了となっている。
このことについては、『インパール作戦』に関わった軍人等のように、時代を超えて非難されている者もあり、この無責任体質と呼ばれるようなものは、現在の政治家に至るまで、変わりなく受け継がれているようである。
この無責任体質についても後で考察したい。
大戦後に占領軍による民主化が行われたとはいえ、それは望んで得たものではなく、お仕着せの民主化であって、制度として民主主義は整備されたが、それが支配者層は元より、一般市民に実感をもって体得されているとは21世紀の今なお言い難いものがある。
戦争という非常時に拠らずとも、今日でも企業において、法を軽視した会社・上司の命令により、過度な労働が祟った過労死などが起こっている。
戦後に民主主義を謳った教育が行われたとはいえ、目上の者を敬うこと、労働は神聖であり、それに付随する労苦は、努力、として推奨されて来た。支配者(企業に於いては上司、学校に於いては教師などの目上の者)の命令は絶対であり、その命令に従って行う作業は神事の如く扱われる、という不文律は、戦争を経て戦後となっても、営々と守り続けられてきた。
とはいえ、戦後に勃興した大小の企業は、戦前の支配者層たる財閥が戦後も運営したものもあるものの、多くはそれまで一般市民であった人物が起業したものである。戦前までは、支配者層と非支配者層とには、華族制度のような身分という厳然たる差異が存在していたが、民主的な法制度も整備されている中、これまで命令を受けて、それを遂行する側であった者たちが、企業の長となったとたんに、これまでの支配者層と同様に、特攻などの非常識な命令とまでは行かずとも、人の命が失われるほどの過剰な命令を課すまでに至ってしまうのは何故なのだろうか。
雇用者が、従業員を雇用してやっている、という、古来からの支配者層が非支配者に対するような態度を今に至るまで続けているのは、戦後、住宅事情が悪かった時代に、大家に謝礼として行われた礼金という制度が今に至るまで存在しているように、雇用者と労働者の上下関係が今よりも強かった時代の名残が今もって存続しているとも言えるだろう。 上下関係と言うものは、都会よりも田舎に行くほど、大きな組織より小さな組織の方がより強く働くことが多い。目上と目下という上下関係は、社長の顔もろくに知らない社員がいるような巨大な企業より、日常的に社長を目にするような中小企業の方が、影響を受けやすいだろう。大企業では、社長の独断専行にブレーキをかける人物も多いだろうし、上流から下流へと命令系統が下っていくにつれて、社長自身の意向も薄れていく。
中小企業だと、社長の奇天烈な独断でも実行されてしまうことが多い。それで上手い方向へ進むこともあるが、法令遵守などという概念の無いような者が上にいると、悲惨な職場環境になりかねない。
労働信仰とでもいう思想には、元が農業主体であった頃の、体を動かして働くことが労働である、という、原理主義のような思想もある。汗水たらして働く、等と言う表現がそれを物語っている。農漁林業の一次産業から、工場労働者の二次産業までは、労働、として認めるが、事務職などのホワイトカラーやサービス業などの三次産業、作家・音楽家等の自由業というものは、労働とは認めない、という極端な思想を語る田舎の老人なども私の身近には存在していた。
そういった土壌では、戦後まもなくの1947年(昭和22年)に、労働者の権利として労働基準法が制定・施行されるも、それがしっかりと芽を出し、根付いていったかというと怪しいところである。
事実、私がかつて所属した企業の社長は、労働基準法をちゃんと守っていては仕事が回らないと嘯くほどだった。業務に支障を来すようなら、法律は二の次である、と言っているようなものだ。
これに関しては、戦後与えられた民主主義同様、労働者が雇用者と対峙して自らの手で勝ち取った権利ではなく、上(政府)から押し着せられた制度だ、という認識が雇用者側に強くあるのだろう。
そうして労働法規を無視した行動をとっても、雇用者が法的に罰せられることが少ないのも問題ではあるが、労働者よりは、雇用者である企業を守るという姿勢を国・政府が取っているからでもある。労働者の側も、生活基盤となる企業が法的に罰せられ、存続できなくなると、困るのは労働者だ、という雇用者側の言い分に十分な反論をすることもなく、それどころか、労働者の側からもそういう発言をすることもあり、労働者の意識もなかなか変わらない。