仕事は生活の手段ではなく、目的
一介の労働者として、三十余年働いて来た者として、過労死やパワハラといった労働環境の問題が近年までなかなか改善されなかったのは、周りの人々の労働に対する宗教じみた言説を聞くに、日本人は労働を宗教として捉えているのではないか、それが過労死やパワハラという負の側面として顕在化しているのではないか、という思いが常々あった。
実際に仕事に携わっていると、労働に関する、崇拝とも言えるような言説をよく耳にする。働くということは、単に対価として賃金を得るだけのものでは無い、という思想だ。労働そのものに意義がある、とされることが多い。社会貢献や自己実現等と言った、働くこと自体が生活する理由とでも言うことがよく語られる。これは、労働が生きる手段ではなく、目的である、としていると言っていい。
『日本人の労働観は、労働神事説です。きっと弥生文化で培われたのでしょう。古代の祝詞の中に「よさし」という言葉があります。「委託」という意味です。神様から稲を作る仕事を「よさし」された、つまり農業をやることによって神様に仕えているのだと考えるのです。こうした労働神事説では、効率を上げることは考えません。むしろ一日24時間働いて神に仕えたほうがいい。すると「だらだら働いたほうがいい」という考えになります。日本では、どうもこの「だらだら」が大事なことになっているようです。』引用元:労働懲罰説の意識で働こう 宗教思想家・ひろ さちや氏③ 東洋経済オンライン2010/12/15
上記は、ひろさちや氏による『労働神事説』の記載部分の抜粋になる。ここに、日本人の労働意識が端的に示されている。この記事が記載された当時、幾分話題になって取り上げる人もいたようだ。
しかし、あまり人口に膾炙しているようなこともなく、過労死や有給休暇の取得に代表されるような労働環境の問題がニュース等を賑わすと、多くの人は、単に日本人の国民性だとか、閉鎖的な村社会、和を乱すことを許さない、同調圧力などを上げたりする。有給休暇については、公休日が多いからだ、という珍説を披歴する者も存在する。
『労働神事説』という言葉があまり聞かれないのは、このことをだけをテーマにした論文や書籍の形ではひろさちや氏が纏めなかったこともあるかもしれない。時に無宗教などともいわれる日本人が意識せずに信奉している日本独自の宗教とでも言えるものだけに、もう少し、掘り下げて言及して欲しかったと思うところである。
労働が神から与えられた神事であるなら、ありがたくその役目を享受し、手段としてではなく、目的として労働に勤しむことになる。
与える側の神を頂く、支配者側としては、民に労働を与えてやっている、という意識でいることになる。この関係性、労働観とでも言ったものは、農業主体の一次産業から、企業が経営する二次、三次産業へ移行してもほぼ変わることなく受け継がれて行ったのだろう。稲作などの農業主体であった頃から、第二次、三次産業へと『労働』の内容と範囲が広がり、近代以降の西洋の思想哲学などの影響もあって、『労働神事説』の拡張解釈、とでも言ったものだろうか。キリスト教が近代哲学の影響を受けて、神という存在をどう捉えるか、神学による聖書の解釈が変容したように、一生懸命(あるいは一所懸命)働く、という単純な思想から、自己実現などという学術用語に変わってはいるものの、働くという行為自体に意義を求めている点では変わりは無い。
一方の『労働懲罰説』とはどのようなものだろうか。
旧約聖書の創世記において、神がアダムに対し知恵の実は食べてはならないと命じていたが、蛇に唆されたエバが智慧の実を食べ、エバに勧められたアダムも食べた。これにより、これまで働くことなく食物を得られていたが、人間は働かなければ食物を得ることが出来なくなった。このことから、労働は、神が与えた罰である、という考えのようだ。
カトリック教徒の多い、ラテン系の国、フランスやスペイン、イタリアなどは、長期のバカンスやシェスタという長い昼休み等に見るように、懲罰である労働はなるべく忌避したい傾向にあるようだ。
プロテスタントの方は、仕事にたいして、神から与えられた使命が込められている、としている。『天職』という言葉もプロテスタントの方にはあるようで、『労働懲罰説』よりは、『労働神事説』に寄っているように見える。勤勉というイメージのあるドイツ、ビジネスで一攫千金、というアメリカンドリームのアメリカも、プロテスタントか。イーロン・マスクのように、昭和のモーレツ社員も斯くや、という勤労主義者もいる。
私は、周囲の大人たちが、毎日のように仕事の愚痴などを言いつつ、金で苦労している姿を見て育ったので、労働というのは、生きていくための必要悪のようなものだとしか思えなかった。『労働懲罰説』を知ったときには、クリスチャンではない私は少々驚いたものだ。自分自身働き始めて、この事はより一層強く思うようになったため、『労働神事説』的な言説をふりまく周囲の人々には違和感を禁じ得なかった。