036 NR西日本の懇願 大阪環状線と主要駅
NR西が運営する大阪環状線は、単独で運行するNR東の山手線と違い、
複数の路線から、列車が出入りしていて、同じホームに立っていても、
さまざまな列車がやって来るので、行き先をよく、確認しないと、
目的地にたどり着けなくなるのだ。
特に、比較的ダイヤに余裕のある西側(大阪―弁天町―天王寺)には、
新大阪駅方面からやってくる、『くろしお』や『らくラクやまと』、
そしてユニバーサルスタジオに向かう直通電車などが、多数走っていた。
そんな、複雑な運行をしている環状線も、なぜか新大阪駅が光に包まれたと
同時に光に包まれたのだった。
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夜が開けて、すぐに気づくのは、環状線全体が全て複々線に
なっているどころか、京橋―大阪間と大阪―西九条間では、
複々々々線の8線になっていることだった。
どうやら、NR学研都市線は、放出駅から真っ直ぐ西に進み、
京橋駅の手前でカーブして環状線に合流するように変更されていて、
複々線のまま大阪駅に到達するようになっていた。
(そのため、鴫野駅は南にズレ、地下を走るNR東西線は無くなり、
福知山線とは大阪駅で相互乗り入れするようになっていた)
また、大阪駅―西九条駅間も6線になっていて、大阪駅からUSJ行きが
発着する一方で、福島駅の手前で新大阪方面から合流する路線も
複線になっていた。
さらに、環状線の線路自体も多少移動しているところがあり、
例えば、桜ノ宮―天満間は桜ノ宮駅が少し傾いて大川に面していて、
天満駅まで、ほぼ直線で結ぶようになっていた。
そして、弁天町―新今宮間は、ぐっと南に移動していて、
大正駅は、永楽橋筋辺りに移り、芦原橋駅や、今宮駅も少し南に移動していた。
(芦原橋駅は西にもズレていて、南海高野線の木津川駅と乗り換えが
できるようになっていた)
基本的にどの駅も2面4線(京橋、西九条は4面8線)で、
できる限り、各駅停車と快速電車が、同一ホームで乗り換えられる
ようになっていて、夜間は、片路線を休ませて点検することで、
山手線と同様に24時間運行が可能になっていた。
大和路線や阪和線から乗り入れる快速電車は、以前と同様に基本的には、
天王寺―弁天町―西九条―大阪―京橋―森ノ宮―鶴橋―天王寺を
「の」の字状に繋いでいたが、一部は、新大阪に向かう列車もあった。
(学研都市線は複々線で京橋に合流して、そのまま京橋―大阪間も、
快速と各駅に分れて運行されているようだった)
<< 大阪駅 >>
そして、大阪駅もかなり広くなっていた。
地上2階のホームは、南側から、環状線ホームが2面4線で、
つぎにUSJ向けに1面2線あり、続いて、学研都市線と福知山線向けが
3面6線、その北側に東海道線山陽本線用が3面6線、そして一番北側に
寝台特急や臨時列車用に1面2線の計10面20線に倍増していて、
一つ一つのホーム幅も15m程に広がっていた。
さらに、梅田貨物場あとにできた、地下ホームも4面8線に増えていた。
それに伴い、3階のコンコース、4階5階の自由通路や大屋根も広くなり、
東京駅と同様にグリーン車用の待合室も用意されていた。
特に、大屋根は雨の吹き込みが入らないよう、両翼が50mずつ広がり
しかも、側面も3階部分まで覆われていた。
北陸方面の特急が「サンダーバード」が全て北陸新幹線になり、
新大阪発着になってしまったため、特急列車が和歌山や奈良方面と
鳥取方面だけに減ってしまったが、学研都市線が乗り入れるなどのおかげで、
環状線内では第一位の、いや西日本でも1位の乗降者数を維持しているようだ。
<< 天王寺駅 >>
同じく、新たに名古屋から、関西線に沿って走り、奈良経由の新幹線が
乗り入れることになった、天王寺駅も劇的に変化していた。
まず、天王寺駅の場所が、500mほど、新今宮側にズレて、
今までの中央改札口が、東改札口になり、
一番北側のホーム1面を環状線の各駅停車が使うようになり、
その南側に大和路線の各駅停車用ホームが1面、
その隣が大和路線の快速用ホームが2面、
さらにその隣が、阪和線の快速用ホームが2面で、
環状線に直通する線路のは、大和路線、阪和線からそれぞれ、
1本ずつなので、その先でぐっと絞られるようになっていた。
そして一番南側の1面が阪和線の各駅停車ホームだった。
大きく変わったのは、名古屋から枝分かれした新幹線が、関西線や
大和路線の上部を走って、天王寺駅に乗り入れてきたことだった。
その新幹線のため、3階に新幹線向けのコンコースができていて、
西側が在来線からの新幹線への乗り換えスペース兼改札口になっていて、
真ん中が新幹線用コンコースになっていた。
また、東側は自由通路とタクシーやバス乗り場から
入れるスペースになっていた。
そして4階に、行き止まり式の新幹線ホームが4面8線できていたのだ。
(車止めのある新幹線ホームは珍しく、絶好の写真スポットになっていた)
面白いのは、天王寺駅に入る手前の一番北側の2線と南側の2線に
それぞれ、引き込み線が、環状線の寺田町方面に造られていて、
新幹線がスイッチバックして、方向転換できるようになっていたのだ。
これは、名古屋方面や四国方面からやってきた新幹線が、
天王寺駅に入る前に乗客を乗せたまま、方向転換するためだった。
また、駅とは関係ないが、隣接する天王寺公園(動物園)が、
ゴソッと東にズレていて、寺田町駅からも入園できるようになっていて、
元の動物園後には、野球場などとして使える京セラドーム大阪が
移転していたことだ。
さらに、天王寺駅の南側、近鉄南大阪線の阿部野橋駅の南側には、
長居公園と、花園ラグビー場が移転していて、野球、サッカー、陸上
ラグビーの全国大会や、国際試合が行われる、東京で言う神宮と上野と
浅草をミックスしたような場所になっていた。
主人公たちが出てこないのに、路線や駅の改良の話が続いてすみません。
小学生の頃、環状線の野田駅近くに住んでいて、隣の西九条駅まで
当時、子供は30円ぐらいだったか?で乗車できたため、何周か回っていたことを
思い出して、懐かしくて、書いてみました。




