027 神楽坂と翔くんとモノレール
アラタが所属している志持教授の研究室は、研究室と言うより、
鉄道模型研究会の部室のようになっていて、ゼミの人数も学院生2人、
4年生2人、3年生2人に、2年のアラタとルナとマーレ
(何故か、マーレもロシアからの留学生として所属していた)の
かなり小規模の研究室になっていた。
それは、ある日の放課後の事だった。
アラタが研究室で、『ロボ電』の研究をしていると、フラリと、
この研究室の主である志持教授が現われて、アラタに相談があると告げた。
「神楽坂の町会長さんから、小型モノレールの建設計画のお願いですか?」
「そうなんだよ、会長さんは、この辺りで有名な料亭のご隠居さんでね、
この前、ちょっとご一緒させていただいたんだけど、そこで、ほら、
君たちが手伝った、『足利フラワーパーク』内のモノレールの話になってね。
どうやら、会長さんも、お孫さんと一緒にそのモノレールに
乗って来たらしいんだよ。
その時、お孫さんが、モノレールを大層気に入ったらしくて、
何度も乗りたがったそうなんだが、大人気になっていて、
もう一度乗車するのに随分、並ばなくてはいけなくてね、
実はそのお孫さんにも、知的な障害があってね、静かに待つのがニガテで、
凄く大変だったらしいんだ。
で、あのモノレール作りに関わっていたのが、僕のゼミの君たちだって
わかって、お願いされたんだよ。」
足利にある『あしかがフラワーパーク』は、藤棚で有名だが、
5月の藤の季節が終わっても、楽しめるようにと、
パーク内に物凄い数のLEDによる、様々なイルミネーションが行われていて、
夜でも年中楽しめるとあって、人気の観光スポットになっていた。
ただ、園内は高低差もあり、高齢者や、足の不自由な方の移動手段が
何か無いかという話になり、ゼミの先輩の両親が、フラワーパークの関係者
(お父さんがなんと社長)だった事で、志持教授にどうにか出来ないかと
話が来たのだった。
そこで志持教授の人材ネットワークが発揮され、四国の山奥にある、
林業用のモノレールを使った観光モノレール業者や、
プログラム関係の会社はもちろん、学生のアラタ達にも声をかけて、
格安で園内に小型モノレール張り巡らしたのだった。
『ロボ電』を研究し始めた、アラタにとっても、格好のテストモデルに
なるので、積極的に運行プログラム作りで、参加したのだった。
知的障害のお孫さんに、ツトムの面影を重ねたアラタは直ぐに、
参加すると返事をして、神楽坂のご隠居さんの料亭に向かった。
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話を聞き終わった、アラタは頭を抱えながら神楽坂を登っていた。
お孫さんは、翔くんと言う7歳の可愛い男の子で、直ぐにアラタに懐いてきた。
ご隠居さんは、料亭の見事な日本庭園に翔くんの為にモノレールを
創りたいらしく、明日にでも、工事をしてほしいとの事だった。
しかし、料亭の部屋から観られる日本庭園にそんなモノが走ることに、
この料亭の売りが損なわれると、現代の女将さん
(翔くんのお母さんで、ご隠居さんの実娘)は難色を示し、
親子喧嘩が勃発しそうになり、なんと翔くんが
「ケンカダメ、ショウ、モノレーレイラナイ」と言い出し、
今日の所は退散したのだった。
「翔くん、優しい子でしたね」
「ああ、全然、障害者じゃないじゃん。しかし、難しいな」
「そうですね、ご隠居さんの思いは解りますが、確かにあの
素晴らしい日本庭園にモノレールを組むと、台無しになりますよね」
「ああ、あれは女将さんの言うとおり、無しだな。と言ってもなあ、
いっその事、この神楽坂に飯田橋辺りから、モノレールを引くか!」
「それも、厳しいかと、以前にも伝えましたが、ゼロから、創り出すのは、
とても難しいのですよ。
過去に誰かが、そんな計画を立てていれば良いのですが・・」
「そうだよな・・」3人が悩みながら神楽坂を上って行くと、
右側の奥の方に鳥居が見えた。
「あの神社は何ですか?女性が沢山参拝しているようですが」
「ああ、赤城神社だよ、東京大神宮と並んで、
縁結びや夫婦円満の御利益があるらしいよ。
元々、この坂道の由来も、むかし神輿が重くて、
この坂を上ることが出来なかったときに、『神楽』を奏でると、
急に軽くなって、無事に神輿が上れて、それ以来、『神楽坂』って
言われるようになったと、前に志持教授に聞いたような・・。
ちょっと、2人とも聞いてる?」
「ルナさま縁結びだそうですよ!行ってみましょう!!」
「夫婦円満もあるそうね、マーレ、私たちはそっちじゃないかしら?」
アラタの話を聞かず、2人はスタスタと神社に向かっていった。
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「ふむふむ、週末に赤いモノを身につけて、
出かけると良いって書いてあります。」
「私のには、緑のモノを身につけると良いいと書いてありますわ」
早速、3人で参拝して、おみくじを引いた2人が、楽しそうに話している前で、
アラタは目ざとく、大きな植木鉢の荷物を持ってふらついた、
年配のご婦人を見つけて支え、その荷物を自宅まで運ぶ
お手伝いを買って出ていた。
荷物運びの手伝いをして、老婦人の自宅を訪ねると、マンションの最上階だった。
「母さん、買ったものは、配達してもらいなよって、
いつも言ってるじゃない、しかもまた、『藤の花』の鉢なの、
確か屋上にもう3つぐらい有ったでしょう?」
老婦人の娘さんらしき人が、小言を言いながらも、お礼を兼ねて、
アラタ達を部屋に上げ、麦茶を出してくれる。
「え、これも藤の花なんですか?
藤の花って、藤棚からぶら下がっているんじゃ?」
あしかがフラワーパークの藤棚を思い浮かべたアラタ達に、
老婦人(名前も藤子と言うらしい)は、屋上庭園を案内してくれた。
「すごい、屋上がこんな庭園になっているなんて」
「ええ、亡くなった主人の趣味だったのよ」
藤子さん(老婦人)の話では、この家は、明治時代に田舎から出てきた、
ご先祖が、始めた野菜や花の種や苗を扱う店だったらしく、敷地の裏には、
それなりの庭もある、屋敷兼、種苗店だったらしい。
そして、婿養子に入って、50年連れ添って、5年前に亡くなられた、
藤子さんの旦那さんの時代に、店をたたみ、
その土地にマンションを建てたのだそうだ。
「じゃあ、亡くなられたご主人が、藤を好きだったのですね」
「いいえ、藤の花が好きだったのは、私を産んで直ぐに体調を崩して
亡くなった私の母よ。
体の弱かった母は、庭で本を読むのが好きだったらしくて、
程よい日陰を創り出すために、庭に藤を植えて、藤棚に育てたって
祖父が言っていました。
そんな思い出がある藤棚だったので、ここにマンションを建てるとき、
わざわざ主人がその藤の種を残しておいて、この藤を育てたのよ。
ただ、私も娘も孫も、育て方がよく分からなくてね、
主人が居なくなってからは、花が上手く咲かなくて、それで、
綺麗な鉢植えの藤を見ると、ついつい買ってしまうのよ」
「そう言えば、フラワーパークの人も藤の剪定は
難しいって言っていましたね。」
そんな話をしながら、部屋に入ると、古い時代の神楽坂を描いた
風景画が目に入り、アラタは、その一点に目が釘付けになった。
「こ、この絵は?ご主人は画家だったのですか」
「違うわよ、ああこの絵は、主人じゃなくて、祖父が描いたものよ。
ほら、ここに小さく藤棚が描かれているでしょう?
これがマンションになるずっと前の我が家よ、結構神楽坂の下からでも
見えたらしくて、目印にされたり、花街からは、
芸者さん達が見に来てたって言ってたわ」
「それで、ここに描かれているのは、ケーブルカーでは?
神楽坂には、ケーブルカーが走ってたのですか」
「ああ、これは祖父の妄想って言ったら失礼かな、夢だったみたい」
「夢ですか」
「ええ、祖父は鉄道省の技術者だったみたいで、病弱だった娘
(藤子さんの母)のためにも、この神楽坂にサンフランシスコみたいに
ケーブルカーを引く計画を立ててたみたいなの。
東京都にも話が行ってたらしいけど、戦争が始まって、
計画が無くなったって、昔、祖父が寂しそうに言ってたわ」
「あの、そのお爺さんの話をもう少し詳しく聞かせてもらえませんか」
ひょんな所から、モノレール(ケーブルカーですが)の話に繋り、
料亭のご隠居さんと、お孫さんの話をしたら、ご隠居さんや、女将さんそして、
お孫さんの翔くんとも知り合いだったらしいく、お爺さんの残した
ケーブルカーの資料まで、貸してくれたのだった。
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昭和10年(1940年)頃の神楽坂の午後
「ふわーあれが芸者さんですか、凄く綺麗ですねー」
あれから、ホタルにも話をして、計画を練り、まずは、
藤子さんのお爺さんが、生きていた頃に戻り、誰を洗脳・・ではなく、
説得するかを決めることにして、1940年の神楽坂に来ていたのだ。
「ああ綺麗だなって、イテッ、何するんだホタル」
通り過ぎた、芸者さん達に見惚れていると、ホタルに脇をつねられた。
ルナ達に助けを求めるが、当然でしょうという顔で、
「建物は低いですが、この時代の方が活気がありますね。」と答えてくる。
「確か、陸軍省がこの近くにあって、その接待にこの辺りの料亭が
使われているらしいですよ。
また、関東大震災で、他の色町がかなりの被害を受けたそうですが、
ここはそれ程でもなくて、今は華やかですね・・」
マーレが、『今は』を強調したのは、藤子さんの所で、
昭和20年のアメリカ軍の空襲で、この辺り一帯が、焼け野原になった
写真を見せてもらっていたからだ。
「あ、この店かな?ごめんください。
先日連絡した、早稲田の鉄道研究会の者です」
アラタは、早稲田の学生、ルナやマーレは、高等女史師範学校の女学生、
そして、ホタルは女学生で、兄の付き添いでやって来た設定だ。
「はーい、父から聞いています。もう少ししたら帰って来るので、
それまでこちらでお待ちください。」対応してくれたのは、日葵さん
(藤子さんの母と言っても、まだ今は18歳の美少女だった)。
「立派な藤棚ですね」
「ええ、病弱な私の為に、父が創ってくれたんです。
えーと妹のホタルさんは、私と同い年ですよね。
私、体が弱くて、学校には通えてないの、出来れば、
女学校の様子を教えてもらえませんか」
藤棚の下で、美少女達が、楽しそうに笑談している姿は、
それだけでも、絵になるような美しさだったが、途中から何故か、
アラタが野犬から、ホタルを守る話になり、その時のアラタの格好良さを、
増々で話すホタルと、それに同調するルナたち、尊敬のまなざしの日葵さん
(藤子さんのお母さん)に、いたたまれなくなった頃にようやく、
日葵さんのお父さんが現われた。
そして、日葵さんのお父さんから、説得(洗脳)すべき人たちを
聞き出したアラタたちは、昭和15年の町を駆け巡り、
関係者を説得していくのだが、その都度、日葵さんの所にお邪魔して
(時にはアラタ抜きの女子会を開いて)いたのだった。




