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公式企画 夏のホラー

河梁の別れ

作者: 日向 葵

 勤めて五年目となる老人会「さんさん」の事務室に入った途端、期待の新人二人に囲まれた。

「早瀬先輩! 昨日カッパ、カッパ見たんです!」

「違います人魚です!」

 カッパに人魚。朝の職場に似つかわしくない単語に困惑しながら思わず「どういうこと?」とロッカーに荷物を仕舞い聞き返す。タイムカードを切るのも忘れずに。

「昨日前田さんと帰った時なんですけど……」

 どちらが説明するか無言で相談した後阿南さんが口を開いた。


***


 残業を終え、自他共に仲良し同期の二人はその日も一緒にバス停まで向かった。さんさんは川沿いに立地しており、帰りは左側からせせらぎが聞こえる。そろそろ夏となり夜の訪れはやや遅いとは言え、居残った日の帰路は既に暗い。田舎のため少ない街灯がぽつりぽつりと並ぶ道でおしゃべりを楽しんでいれば水音が聞こえた。

 思わず足を止め黙って顔を見合わせたのは、その音が大きかったからだ。明らかに通勤中よく耳にする川魚が跳ねた音ではない。

「……ヤバイ?」

「……かも?」

 真っ先に疑った音の正体は人だ。それも入水した。

 手や服が汚れるのも構わずガードレールからギリギリまで身を乗り出し、溺れている人がいやしないかと一心に目を凝らす。そうして二人同時に目撃した。暗い川面からこちらに手を振るナニカを――――。


***


「絶対あれは人魚でした!」

「バッカ人魚が川にいるワケないでしょ。カッパだってば、カッパ」

「でも人の形だったじゃん!」

 やんややんやと言い争う人魚派の阿南さんとカッパ派の前田さん。黄色い嘴でさえずるようにピーチクパーチク盛り上がっている。出勤早々元気でよろしい。

「早瀬先輩は見たことありますか!?」

「絶対人魚ですよね?」

 とうとう私に議論への参加を要求してきた。

「その何かは、手を振っただけ?」

「ですです」

「その後は泳いでいったと思います。バシャバシャって音が、遠ざかっていったので」

「なるほどなるほど」

 それならと個人の見解を述べる。

「じゃあその正体は、木村鈴江さんかもね」



 木村鈴江さんは、去年の秋まで「さんさん」の利用者だった。今年入った前田さんと阿南さんは当然知らない。

 八十を超えてよく動き、よく食べ、よく笑い喋る女性だった。天候や体調によっては立ち上がる際人の手を借りていたが、自立した生活を送る「老いて尚矍鑠」を体現した方で、古参新規関係なく老人会会員はもちろん私達職員にもフレンドリーだった。

「奈々ちゃん、奈々ちゃん」

 体操を終え各々趣味を楽しむ時間になって木村さんに呼びかけられたので、席が全て女性会員で埋まったテーブルに近付いた。日本の平均寿命は女性の方がずっと長いが、ここさんさんでも「老人会」という組織は元気な女性の積極的な仕事ぶりに助けられている。

 木村さんはいつも笑顔が絶えないが、今日はよりにこにこしている。良いことがあったんだな、と聞く前から伝わってきた。

「どうしたんですか?」

 そばで身を屈め聞く態勢を整える。

「早瀬さん聞いたってよぉ」

「鈴ちゃんったらすごいのよぉ」

 木村さんより先に他の方が言いたくて仕方ないがあえてもったいぶるように声を弾ませる。

 誰とでもすぐ打ち解ける木村さんは、多くの会員から「鈴ちゃん」と呼ばれる。ちょっと気難しく職員の間で付き合い方に難儀していた間野さんも鈴ちゃん呼びをしていた時は、職員の間に激震が走った。競っているわけでは決してないが、全員が「負けた」と己の力不足を反省したものだった。

「うふふ、やだわぁ。そんな大したことじゃないのよ」

 上品な笑い方が似合う木村さんが満更でもなさそうに返す。これが嫌味にならないのはさすがの人柄だ。

「えー、何ですか? 教えてください」

「実はね、最近水泳を始めたの」

「すごいじゃないですか! 木村さん、ますます元気になっちゃいますね」

「そうじゃないでしょ鈴ちゃん。早瀬さん、習い始めた理由聞いてあげて」

「え? 健康のために始めたんじゃないんですか?」

 高齢者がスポーツを始めるそれ以外の理由が特に思いつかず、疑問がそのまま口から出る。

「ターン覚えて三途の川渡ったところで泳いで帰ってくるためよ」

 わははははは。その場にいた全員が健康的な笑い声をあげた。予想だにしなかった答えに私もついつられてしまう。

「これなら鈴ちゃんが死んでも、三途の川でまた会えるわね」

 飯田さんの返しにもう一度笑いの渦が巻き起こった。

 施設のそばを流れる川を、ここの高齢者は「三途の川」と呼ぶ。死を恐れ忌み嫌ってのことではなく、シルバー川柳と同種のお年寄りジョークの一つだ。

「そうね、日本記録叩き出して帰ってくるわ」

 軽やかな声で応じてみせた木村さん。もう何年も前の話だが、それから亡くなる直前まで、木村さんは元気にスイミングスクールに通い続けた。



 と、前田さんと阿南さんに、木村さんについての思い出を話し終えた。

「なるほど……」

「それなら、木村さん、かも……?」

 私の真面目半分、冗談半分の話にも、後輩二人は笑い飛ばしたりせずどころかなんならちょっと受け入れてる様子を見せる。人生を円滑に楽しむ術を知っている、素直な子たちだ。

「でもなんで、今なんでしょうね。お盆にはちょっと早いですけど」

 前田さんなんて、いちいち話を広げようとしてくれる。

「そりゃ決まってるって! そろそろ夏の準備してたんでしょ」

 堂々と言い切る阿南さんの肩越し、窓の向こうをつばめがスイと横切る。夏はすぐそこだ。

 今年は木村さんの新盆を迎える。その頃には、三途の川を泳いで渡りきる木村さんに会えるかもしれない。

今更投稿。

河梁の別れ…人と別れること。特に親しい人を見送るつらい別れ。

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― 新着の感想 ―
[一言]  会話のテンポが読んでいて、心地よかったです。  元気(だった)な、お婆さんの明るさ、職場の楽しそうな雰囲気が伝わって来ました。  ありがとうございました。面白かったです。
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