プロローグ
初投稿です。
よろしくお願いいたします
大学の授業で10分のビデオを見ていた。それは話の展開さえ予想できるありきたりな内容だった。それなのに今、私の心臓の音が頭に響くほど激しくなり、どこかに逃げ出したい衝動に駆られている。
つい数分前のことだ。教授がプロジェクターで映したスライドを閉じ、短いビデオを見ると言った。「教授の話を聞き続けるよりもボーっとできるから、ラッキー」と心の中で喜びながら、私は椅子に座り直してビデオの始まりを待った。学生同士の雑談やペンを走らせる音、本のページを捲る音まで、さっきまで教室にありふれていた全ての雑音が少しずつ減っていく。蛍光灯のスイッチが切れると同時に静寂と暗闇が教室を飲み込んだ。少し遅れるようにプロジェクターから稼働音が聞こえ、スクリーンには紀元前のローマ帝国時代についてのビデオが映し出された。
ビデオが始まる。紀元前のローマ帝国時代の情景が描かれていく。人物や場所が続々と映し出される中、私の視線は黒髪で黒ひげの中年男性に引き寄せられた。名前も無いような端役だが…。
パズルのピースがはまるかのようにある人物が連想された。
突然、息が止まるような感覚に襲われる。心臓が激しく打ち始め、手のひらが汗ばむ。顔の形や肌色、その目元、そしてその整っていない乱暴に伸びた髭。それらが何かを呼び起こしている。
あの時の記憶だ。2ヶ月前まで務めていた職場のあの先輩の顔が、このローマの男性と重なる。忘れていたはずの記憶が突如として蘇り、生々しい映像とドロドロとした感情が共に全身を駆け巡る。
脳が逃げ場を求めて暴走を始める。記憶のフラッシュバックが一瞬のうちに私を過去へ引き戻し、あの時の感情が今にも溢れ出そうになる。心拍数が急激に上がり、耳に聞こえるほど。頭は貧血を起こしたかのように重くなる。白旗を揚げたいほどの最悪の気分だが、止まらない。抜け出せない。
気がついたら教授が再び話し始めている。部屋の灯りも戻っている。しかし、衝撃からはまだ抜け出せず、頭がくらくらしている。心はずっと教室から抜け出して外に行くように叫んでいる。全力疾走したような疲労感と乗り物酔いのような吐き気が酷い。
少し脳内の整理を試みるも、閉塞感と呼べばいいのか室内にいる事に対してのストレスからか頭はパニックになっている。先ほどまで感じていた授業への気怠さはどこへやら、今は心から零れんばかりに溢れ出る逃走願望に身を任せろと本能が悲鳴を上げている。しかし私は授業の終わりまで席を離れられない。理性で不安と混乱を押さえつけ、無性に長く感じる残り時間を耐え続ける。
終了のチャイムが鳴った。教室を離れ棟から出ようと足早に移動を開始する。ある程度の時間は経過したはずだが、突如発生したこの精神的な大惨事は余波を含めると一向に収まる気配がない。しょうがない、計画していた今日の勉強は一旦諦め、部屋に戻って休もう。ここまで短時間で暴力的に心が揺さぶられた経験は記憶になく、深呼吸と休息以外対策が思い浮かばない。
自室に戻った時点で急激に眠くなった。ほっとしたのか、それとも疲れていたのかわからない。床に倒れるようにベッドへと寝そべり、無意識のうちにまどろんでいく。
これから半年の間、精神的な病に悩まされるとは思いもせず、この日に感じた心のしこりを楽観視したまま。今朝まで信じていた日常はその足元から既に崩壊が始まっていた。