第二十八話 お坊ちゃまとの出会い
中東特有の男前だが鋭い目つきのラシードという男は会食の終わりに
‟今日は私の末の息子も来る予定でしたが奔放な奴で、ひとりで好き勝手に都内をうろつきまわっているようで…”
間もなく二十一歳になる五番目の息子が日本に興味を持っていて一緒に来日しているという。
‟ターヒルといい、頭もよく根はいい子なのだが何分甘やかしてしまったせいかわがままで困っておるのですよ”
そう言いながらも目元は緩んでいる。このラシードという男はやり手ビジネスマンで世界中にホテルをいくつも持っているが学術に理解があり教授の研究にも出資してくれるという。今夜の会食も和やかに進み順調に終わりそうだ。
その息子が日本の大学で学びたいと言っているので明日にでも大学の見学に来る予定だという事だが。
会食には気が向けば来る、と言っていたらしい。
‟随分遊び歩いてるらしいですよ。女の子達を引き連れて”
結構いいところの御曹司である金子には独自の情報源があるようで輝に耳打ちしてくる。
顔を必要以上に寄せられて、つい身を引いてしまう。
私には関係ないし。
会食を終えて男性たちはそのままラウンジへ移動するらしいが、大事な話は終わっているし輝は電車の時間を理由に辞退した。帰る前に化粧室に行こうとレストランのエントランスへ向かった。その時向かう方向でざわめきが起こるのに気が付く。どうやら今到着したグループがレストランに入る入らないでもめてるらしい。
‟…ですから予約のないお客様達にはご遠慮を…”
‟俺は予約客の中に入ってるはずだ”
‟ですがお連れ様方のお席は…”
モデルでもしていそうな見目のいい背の高い若者がやや癖のある英語でレストランのスタッフに尊大な態度を見せている。褐色の肌、堀の深いアラブ特有の顔。整ってはいるがまだ若いせいかどちらかと言うと甘い容姿をしている。仕立てのいいスーツを着こなして立つ姿は若いのに尊大な態度が板についている。連れの、というのは彼の後ろにざわめいている数名の若者達だろう。女性三人に男性二人。きらびやかなグループで女性の一人は若者の腕に自分の腕を絡めて身を寄せている。
あれがもしかしてターヒル坊ちゃま?
あの様子では金子の余計な情報もあながち間違ってはいないようだ。
どっちにしても関わり合いになる前に帰ろう。
輝は足早に脇を通り過ぎようとして
“あ”
すれ違いざま女性が大きく手を動かした時にショールが引っ掛かって引っ張られ、するりとうなじを滑っていく。はっと首元に手をやると首元がむき出しになっていた。
“ああーごめんなさーい”
女はちっとも悪いと思っていないのがあからさまな甲高い声で謝るが拾おうとする様子もない。視線だけで傲然と輝を見下ろした若者は次の瞬間ハッと目を見開いた。
それに気を留めず輝が身をかがめようとすると、一瞬早く褐色の手がショールをひろう。差し出されて礼を言おうと顔を上げ屈みこんでいる相手の顔を正面から見てしまった。
ドクン
心臓が大きく打った。相手も輝の顔を凝視している。いや、彼女の胸元に目をを見据えているのだ。 一瞬その場の時が止まったかのような感覚に陥った。
そしてハッとして鎖骨下の傷を手で隠した。
“Thank you”
ショールを受け取りとりあえず英語で礼を言うが相手は今度は輝の顔を凝視したまま反応がない。
『ありがとう』
?伝わってない?
次にアラビア語で言ってみると、ピクっと反応したが返事はない。
とにかく礼は言ったし、と頭を下げてそそくさと立ち去る。
若者は一度レストランの奥の方を見て自分の父親を認めた。そしてはっとした様子で輝が消えた方へ振り向く。トイレに行くために角を曲がった輝の姿はすでにない。
‟…お客様?”
固まってしまった若者にスタッフが困ったように声をかける。
“あ、ああ、わかった。こいつらは帰らせる”
そう言って後ろを振り向くと、
“どうやら全員で入るのは無理のようだ。今夜は帰れ”
と連れの者たちにそっけなく伝える。
“ええーそんなー”
と、鼻にかかった声で不満を訴える女の腕を邪険に外すと、もう振り向きもせずにレストランの奥のラウンジへ入って行った。
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『約束だ。今度はお前が我を案内してくれ』
『この傷は目印だ』
輝は目を覚ますと濡れている眦をぬぐった。何度も何度も見る夢。男が言うセリフはいつも同じだ。
高校生に頃のたった一か月。十年経った今それは夢とも現実ともつかないあいまいな時間。
だがこの胸に残る切なさとこの傷がそれを現実にあったことだと知らしめる。
こちらに戻ってきた頃は毎夜見ていた夢。
最近は見ないようになっていたのに。
昨日会った若者の所為?
顔も年齢も全く違うのに。
夢の所為か重い頭で大学へ行く準備をしてると母から電話が入る。
‟どうしたの、お母さん”
‟どうしたの、じゃないでしょう。何度も電話したのに返事くれないから”
‟ごめん、バタバタしてて”
‟もうあなたもいい年なんだから勉強ばっかりじゃなく少しは?”自分の事考えたら?”
‟今は勉強でいっぱいいっぱいなの”
‟…ねえ、あなたもしかしてまだあの時の”
‟ゴメンお母さん、今日は朝から講義があるの。もう行かなきゃ”
母の言葉を遮り輝は慌てて電話を切ってアパートを出た。
輝はこっちの世界に戻って来てから別人のように本を読み漁った。何かに駆り立てられるようにアラビアンナイトの物語を読み、そしてアラビアの歴史の本も読んでみた。
ついにはバイトしてお金をためて実際に中東へも行ってみた。あまりポピュラーな言語ではないので必死で受験勉強して二年浪人して難関の外語大に入った。初めはそうすることでシャフリヤールと繋がっていたかった。そのうちに勉強そのものに楽しさを覚えて教授の手伝いをしながら何度も中東の国々に行ったりアラブ人との交流も持った。
だからそれでいいじゃない。
再会できることなどほぼ不可能な人を想い続けて、そのために頑張ってきた。だけど、さすがに言いようのないさみしさと虚しさを覚える時がある。
今ではさすがにシャフリヤールと再会できることを信じて待ってはいない。身を絞られるような切なさを覚えるようなこともなくなっている。この十年の間に長続きはしなかったが何人か男の人と付き合ってみたりもした。王様との約束を忘れてはいないけれどそれはいい思い出となっている。
大体異世界から生まれ変わってこの世界に来るなんてどう考えても不可能だし。二つの世界につながりはどこにもない。とっくに諦めた。
期待して待ってたらおばあちゃんになっちゃう。
そう自分に言い聞かせ、そう思うように慣れて毎日が平穏になった。
それなのに。・
昨日会った青年の目に輝は気持ちを掻き乱される。
自分よりも年下の、かっこいいけどわがままおぼっちゃま。ちゃらちゃらと取り巻きを引き連れ女の子を侍らせて尊大にふるまう。苦手なタイプ、というかいっそ不愉快だった。