第二十四話 第二十八夜 アラビアンナイトのへそのゴマ
その日の夕方輝はシェヘラザードのもとを訪れることを許された。
‟何をしに来た”
部屋に通された輝をドゥンヤザードが睨む。彼女は相変わらずシェヘラザードの傍に寄り添っている。
だが輝はひるまずに
‟今日はシェヘラザード様にお話があってきました”
‟お前などと話すことはない!お姉さまに目をかけていただいていながら恩知らずめ。出て行け!”
‟良い。アキーラ、こちらへ”
憤るドゥンヤザードを押さえ、シェヘラザードの静かな声がした。
‟ありがとうございます”
‟話とは?今のお前にとってここは居心地のいい場所ではないですよ。この前の砂漠の一件で私たちも王から使いのものにいろいろと調べられていて皆気が立っている”
“わかっています。でも、だから来ました。シェヘラザード様に安心していただくために。今日はどうか、あたしの物語を聞いていただきたいのです”
“物語?”
“そうです。異世界に迷い込んだ女の子が王様やお妃さまに出会って三十日間過ごし、また自分の国に帰っていく話です”
何のために、と息巻くドゥンヤザードをなだめ、シェヘラザードは困惑しながらも輝の話を聞くことに同意した。
輝は話始めた。
どうやってこの世界に来たのか。輝の世界ではここは物語の世界でシェヘラザードの物語は千夜におよび遠い未来で世界中の人に愛されるという事。
“だから本を全然読まないあたしなんかでも中身は知らなかったけど、アリババもシンドバッドもアラジンも知っているんです”
‟千夜…”
シェヘラザード自身、驚いているようだ。
“シェヘラザード様、千夜経った後王様はお妃さまと生まれた王子様と幸せに暮らすんです”
はっとしてシェヘラザードが輝の顔を見る。
‟でも、アキーラ、お前は?”
‟あたしは後二日経ったら自分の世界に帰ります。きっと帰れるはずです”
輝はしっかりとシェヘラザードの目を見つめてにっこり笑った。
軽い口調で話す輝を見つめシェヘラザードの美しい両目から涙があふれてきた。
‟お前は、本当にそれでいいの?お前も王を愛しているのではないの?お前にとってここはつらい場所かもしれないが王は確かにお前を愛しいと思っているはず。王のお心をお慰めするためにここに残ることは出来ないのか?”
ああ、この人はなんて美しくて優しい人なんだろう。あたしは王様の事は好きだけど、シェヘラザード様の事も本当に好きだ。一晩で殺されてしまうかもしれないという王様のもとに死ぬ覚悟で行きその心を癒したのだ。だからあたしはこの人を悲しませるようなことはしたくない。これが正しい選択だ。
“シェヘラザード様、あたしは異世界からたった三十日間この世界に迷い込んだ人間です。長い千の夜のうちたった三十日間。壮大な物語の中であたしの話はあってもなくてもいいようなもの。そうですね、言ってみればへそのゴマ、程度なんです。シェヘラザード様には立派に物語を完結して頂かなくちゃ。それに、あたしはやっと自分の世界に帰れるんです。そこにはあたしが主人公のあたしの物語がある。それを紡いでいくのがあたしの望みなんです”
だからあたしのことは心配せずにお幸せに。
そう言って輝は頭を下げた。
輝をしばらく見つめていたシェヘラザードが傍らにいるナダーに耳打ちする。ナダーが平たい箱を持ってきて輝に渡す。中をのぞいて輝が顔を輝かせる。
“あ、これ、取って置いてくれたんですか?”
輝の制服と腕時計だった。
それを抱えて輝は自室に戻る。
これでいい。
シェヘラザードを悲しませたくないとか後宮の女の人達がかわいそうとかそんなのは皆嘘だ。あたしが耐えられない。王様が他の女の人と一緒にいるところなんて見たくない。あたしは王様を独り占めしたいんだ。あたしだけを見て欲しい。それができないなら、ここにいることは耐えられない。
その夜のシャフリヤールは優しかった。何度も口付けを繰り返し、輝をかき口説く。一緒に他の国に行ってみようとか、また街に行こうとか、輝を抱え込みながらいろいろと提案してくる。輝もそれに、そうですね、楽しみです、などと相槌を打った。二人とも真っ赤に泣きはらした輝の目に気が付かないふりをしながら。