青い空 白い雲 透き通る海
気がついたとき、目の前は青一色だった。どこまでも続く透き通る青。
自身の置かれた状況を理解するのに時間は必要なかった。なぜなら直ぐに酷い息苦しさを感じたからだ。
水の中だった。無我夢中で体を動かし上を目指した。
とても苦しい、苦しいが嬉しい。希望を感じていた。手が何かを捉えている。掻くことができるということだ。つまり移動することが可能というのだ。
水面から落ちる煌めく光を標に必死になった。
「ぶはっ!」
ようやく息ができた。目覚めてからほんの数秒の出来事だが、もっと長い間息をしていなかった。あれがもし、夢でなければ。
息を整えて意識がはっきりしてくると次の問題に気づいた。
「……この水は」
強い塩味を感じた。ここは海のようだ。
慌てて仮面の下、自身の顔に触れた。あるはずのものがない違和感、感じるはずの感覚がない疑問を覚えた。
正面は見渡す限りすべて海だった。しかし後ろには陸地が、砂浜が見えた。急いで向かう。
着衣泳は苦手ではない。そのはずが何故か泳ぎ辛さを感じた。袖から手が出ない。ズボンはベルトをしているのにも関わらず少しずつ下がっていく。
まるで服が大きくなったか、身体が縮んでしまったかのよう。
「はぁ……はぁ……」
息も絶え絶えにやっと砂浜に辿り着いた。
頬を指で撫でる。
無い、無い。やはり無くなっている。あの忌々しい傷跡が、王国との戦闘時に負った火傷の痕が無くなっている。
仮面を戻しベルトをきつく締めた。
「どうなっているのだ」
振り返り今泳いできた海を眺める。求めるものはないが美しい海。
開発が進み帝国からこれは失われてしまったはず。ならここは帝国とは違う別の星。なぜ我はここにいる?
「なあ!何してんのそこで?」
いつの間にか背後に見知らぬ少女が立っていた。それはどこか偉そうな両手を腰に当てたポーズをして。不思議そうにこちらを見つめ首を傾げている。
髪は短め、麦わら帽子にこんがり日焼けした肌。わんぱくそうな女の子だった。
「おーい!聞いてる?」
聞き覚えがある言語だった。第23惑星の……地球、日本という地域の言葉のはずだ。ならここは地球か。確かに帝国と比べ発展はしていなかったが、まさかこれほど自然が豊かな場所が残っているとは。
「いや、すまない。考え事をしていた。なんだったか?」
「ぼうっと海を眺めてたけど。どうしたんだ?」
「もの探しだ」
「何か失くしたのか?あたしも手伝うか?」
「構わん」
あれは見つからない。例え見つかったとして動かないだろう。
火星での戦闘をはっきりと思い出せる。あのときドラースは完全に破壊され我は間違いなく……。今こそが夢の中かも知れない。
「なあ!もしかしておまえギレアか?ギレア・イエレスガレム!」
「我を、知っているのか?」
「んー?えとー、先生が昨日言ってた。外国人の転校生だろ?」
「転校生?」
「違うのか?でも、海凪中の制服着てるじゃん」
少女はギレアを指さしておかしな事を言い放った。
しかし、一度確認してはっとした。いつの間にか帝国の軍服ではなく学生服を着ていたから。仮面も無くなっている。間違いなく先程までこんな格好をしていなかったはず、なのだが。
突然、何に気づいたのか、なるほどと大きな声で言った。
「探しものって迷子って意味だろ!まだ日本語に慣れてないだな!そっかそっか、うんうん……」
そして腕を組んで何度も頷く。その間、ギレアは何も言っていないと言うのにが少女は勝手に納得したようだ。
「あたしが案内してやるよ!」
そう言ってギレアの手を引っ張った。知らない町を少女と走った。
そのとき違和感、異変をまた感じた。少しずつ身体が縮んでいるようだった。最終的には少女と大差ない体格になってしまった。
これを変だと感じているのはギレアだけらしい。
学校への道の途中、駄菓子屋の前。店の引き戸にはめられた大きなガラス。そこに映る今のギレア。その姿に彼は見覚えがあった。
「そうか……」
子供の頃の自分。それに酷似している。まさに時間が巻き戻ったか若返ったように。
学校に到着した。この小さな海凪という港町にある唯一の中学校、海凪中。木製の校舎は吹く潮風の影響と過ぎた年月を感じさせる。
「着いたー!」
少女はギレアの手を握ったままグランドを歩き昇降口へと向かう。
ギレアはひとつ気になることがある。ここへ案内されたは良いが人がいない。居るようには思えない。波とセミの鳴き声くらいしか聞こえない。静かな校舎だったからだ。
「今日は休みなのか?」
「いんや?そんなことないよ。あ、ほら!」
そう言って指さしたのは校舎1階の窓。誰かが身を乗り出して手を振っていた。
「らいかちゃーん!はやくはやくー!遅刻になっちゃうよー!」
「だいじょぶだいじょぶ!まだ間に合うってー!」
言った直後のことだった。鐘が鳴り響き大丈夫ではなかったことを悟る。
教室に入ると教壇にこちらを見つめる女性が立っていた。少女をじっと睨んでいる。
「らいかはまーた遅刻ね。これで二週連続、新記録達成だよ」
「やったー!」
無邪気にバンザイをして喜んでいた。すかさず女性は出席簿で制裁を与える。
「喜ぶな。さっさと席につきなさい」
「はーーい!」
教室内に席は3つ。さっき窓から手を振っていた女子とギレアをここへ連れてきた女子、最後は空席。おそらくはギレアの席となる場所。
校舎内は他に人の気配を感じない。生徒はギレアを含めて3人だけのようだ。
「君は転校生だね?」
「ああ、らしいな」
「そう……。私は細見日向。このクラスの担任」
笑っているがギレアを見る目はどこか悲しい、あるいは寂しい。そういった違和感を感じる。初対面の相手に何を考えているのか、それとも何か知っているのか。
「とりあえず黒板に名前を書いて、自己紹介をしてもらってもいいかな?」
「うむ」
チョークを手に取りスラスラと書き始めたが二文字ほど書いたところで異変に気づいた細見先生がギレアを止めた。
「日本語でお願いね」
「なに?……ああ、これは失礼した」
帝国の言葉も文字も日本には、いや地球に広まってなんていない。未知の言語に困惑した二人の生徒はお互いの顔を見合って笑っていた。
ギレア・イエレスガレムとかたかなで書きギレアは自己紹介をした。
「我が名はギレア・イエレスガレム。この場の誰も知らぬ遠い国から来た。日本のことは言葉以外は何も知らんがこれからよろしく頼む」
いつもの口調。帝国の軍人ないし貴族であったギレアにとって不思議はない言葉。しかしここは日本、それも現代で聞くことはまずない。
ずっと笑顔のままのらいかはともかく、もうひとりの女子は首を傾げて不思議そうにギレアを見つめていた。
「じゃあふたりもギレア君に自己紹介してね」
先生は気にしていないようだ。いや、気にしないようにしている、だろうか。
ギレアをここに連れてきた女子らいかはガタンと物音が立つほど勢いよく手をあげ、それなら私からと主張した。
「あたしは梶木らいか!よろしくな!」
らいかの自己紹介はそれで終わりだった。名前を言うだけ。他に一言もない。彼女にとって自己紹介とは重要じゃないのかもしれない。
やりきった、とでも思っているのかいい笑顔だった。
「えと……。た、小鳥遊ゆあです。パズルと絵が好きです。よろしくお願いします」
隣とは違いゆあは落ち着いていた。いや、というよりは人見知りなだけかも知れない。
「君の席はらいかの隣ね」
ギレアが席へつくなり始まったのは授業ではなかった。教科書やノート、鉛筆、そして机すら必要のないこと。
「はい、じゃあ終業式を始めまーす」
今日は一学期最後の日。
「校歌斉唱」
明日からは夏休みなのだ。