ポワールの小話(前)
私、ポワールがユリウス様にメイドとして雇われたのは、十七歳の時だった。
「私はポワールと言います。よろしくお願いしまーす!」
「私はメイド長のマリーと申します。よろしくお願いします」
マリー様はまだ若いのにメイド長として、この屋敷で働く使用人たちを纏めているらしい。
物静かそうな人だなぁと思っていると、箒をすっ……と差し出された。
「では、早速掃除を始めましょう」
「い、今から?」
「当然です。しっかりと働いてください」
「はぁい」
だけどこのくらいなら簡単だし、すぐに終わらせちゃおうっと。
私は部屋中のゴミを手早く掃いて、一ヵ所に集めた。
「出来ました~!」
「いいえ。全然出来ていません」
「えっ? だってちゃんとゴミ集めましたよ!」
「まだ隅の方にホコリがたくさん残っています。これでは掃除したとは言えませんよ。やり直しです」
マリー様が私をギロリと睨みつける。彼女の背後に見える巨大な熊の幻に、私は思わず「ひぇぇ」と悲鳴を上げた。
この人には逆らっちゃいけない。私はそう直感して、再び床を掃き始めた。今度は部屋の隅々までしっかりと。
「お、終わりました……」
「まあまあといったところですね。では、次は洗濯をしましょう」
「えーと……ちょっとだけ休憩したいんですけど……」
「何を仰っているのです。一部屋掃除した程度で休んでいたら、仕事が進みませんよ」
「ぎゃー! 助けてぇぇーっ!」
マリー様に襟首を掴まれて、無理矢理廊下へと引きずり出される。
こ、怖い! 今すぐうちに帰りたいよぉ……!
「洗濯の後は、厨房で皿洗いをしてもらいます。ああ、野菜のみじん切りもありますね」
「みじん切りぃ!? 私そんなのやったことない!」
「では覚えてください。……本日中に」
「が、が、頑張って覚えますっ」
私に拒否権はなかった。そもそも、好きでこんなところにいるわけでもない。
お父様に「お前は貴族としての淑やかさが、まったく足りん! 少し世間の波に揉まれてこい!」と屋敷から追い出されちゃったのだ。
勉強を全然しないで本ばっかり読んでいたり、「若い人に興味はありません!」って縁談を勝手に断ったりと、好き勝手やって来たせいなんだけどね。
そしてそんな私を待っていたのは、鬼のメイド長だった。
何もかもが初めて尽くしの私に、マリー様は容赦なかった。
「目がー! 目がぁぁぁっ!」
「玉ねぎを切って目が沁みるのは分かりますが、瞼を閉じないでください。玉ねぎじゃなくて、自分の指をぶった切ることになりますよ」
「そんなのやだぁっ! でも玉ねぎ切るのもやだぁぁぁっ!」
「泣いたって、誰も助けてくれませんよ。とっとと手を動かしなさい」
「うわぁぁぁんっ!」
こうして、マリー様のスパルタ教育を受けて、私は何とか一人前のメイドになれた。そのついでに礼儀作法もしっかりと叩き込まれ、人間的にも成長を遂げた……と思う。
「私からあなたに教えることは、もうありません」
「やった~!」
「……もっと楽しめると思ったんですがね。もし、私にまた教えて欲しいことがあったら、いつでも仰ってください」
私は、全力で首を横に振った。もうあの地獄の日々には戻りたくない!
だけどマリー様には、感謝している。覚えの悪い私に、根気強く付き合ってくれたのだし。
この屋敷のご主人様であるユリウス様は、イーサンお兄様のお友達だ。私がオラリア邸にやって来たのも、お兄様が「妹の性根を叩き直してくれ」とユリウス様に頼み込んだからだった。
背が高くて、顔がよくて、仕事も出来る完璧人間。当然異性からもモテモテなのに、未だに独身で婚約者もいない。
誰かとお付き合いすることはあっても、長続きしないみたい。
ユリウス様目当てで、オラリア邸で働き始めるメイドもちらほら。冷たくあしらわれて、すぐ辞めていくけれどね。
だけどある日、メイドの一人が深夜にユリウス様の寝室へ忍び込む事件が起きた。
ユリウス様は、無事だったけれど無事じゃなかった。
何やら気配を感じて目を覚ますと、メイドがいることに気づき、窓から外に飛び降りて右足の骨を折ったのだ。普通にドアから廊下に逃げればよかったのに。
「ユリウス様大丈夫ですか~?」
「っ、ああ……」
外へ様子を見に行くと、ユリウス様は地面に倒れた状態で動けずにいた。
よ~し、ここは私の出番!
「私がユリウス様を屋敷の中にお運びしますね!」
「ま、待て。女性にそんなことはさせられない。他に男を連れてきてもらって……」
「大丈夫ですよ。落としたりしませんから」
「や、やめろっ、やめてくれ……!」
「イヨイショォッ!」
私はユリウス様をお姫様抱っこして、急いで屋敷に戻った。ユリウス様の体は、寒くもないのにガタガタと震えている。骨折のせいかな。早くお医者さんに診てもらわないと……
「ポワールさん、ユリウス様を下ろしてください。気絶しています」
「あらまっ」
駆け寄ってきたマリーさんに言われて、ユリウス様に視線を向けると、白目を剥いて気を失っていた。
「骨折って、気絶しちゃうくらい痛いんですねぇ~」
「いえ。これはポワールさんに抱き上げられたせいですね」
「はいぃ?」
ユリウス様は女性恐怖症なんだって。触られると震えが止まらなくなるらしい。
ドアじゃなくて窓から逃げたのも、気が動転していたからなのかな。
これじゃあ結婚なんて一生出来ないかも……と、私は思った。
だけど、そんなユリウス様もついに結婚が決まったのだった。




