8.入浴の時間
屋敷の中を一通り案内されたあと、私の身柄は予定通りマリーに引き渡された。
「では、アニス様。まずは浴室へ参りましょうか」
「? 湯浴みなら朝に済ませていますが……」
体臭がキツいので、洗い流せということだろうか。
内心傷ついていると、マリーは鋭い眼光を放った。
「体の汚れを落とすためではなく、肌に潤いを与えるための入浴でございます。全身が酷い状態のようですので」
「ぜ、全身ですか……」
「その顔と髪を見れば分かります。汚れが落ちやすい分、刺激の強いソープを使っていたせいもあるでしょうけど、過労や栄養失調も原因のようですね。……平民ならともかく、貴族女性の肌とはとても思えません」
マリーが頬に手を添えながら眉を寄せるのを見て、私は気まずさから視線を逸らした。
朝から晩まで働き詰め。食事も賄いが食べられない時は、何も口にしないことが多かったのだ。当然の結果だろう。
脱衣所に案内されると、マリーに素早く身ぐるみを剥がされて浴室へと放り込まれる。
途端、ふわりと香る甘い香り。
広くて大きな浴槽には淡い乳白色のお湯がたっぷりと張られており、薔薇の花びらが浮かんでいた。
その傍らには数本のボトルが待機している。
「美肌効果のある植物のエキス、蜂蜜、ミルクなどを入れて作ったお湯です。さあどうぞ、お入りください」
「で、では失礼します」
浴槽に恐る恐る足を入れてみて、そこからゆっくりと腰を下ろす。
あまりにも心地よい湯加減に、思わず声が漏れそうになった。
それに全身を包み込むような甘い香りに、心も体も蕩けそうだ。
どうにか理性を保とうとしていると、マリーに浴槽から出るように言われ、背凭れのついていない椅子に座らされた。
「髪を洗わせていただきます」
青色のボトルを手にしたマリーは、いつの間にかメイドの服装から半ズボンと袖のないシャツというラフな格好に着替えていた。
彼女の申し出に、私は気恥ずかしさを覚える。
「あ、あの、髪を洗うくらいでしたら、自分でもできますので……」
「まあそう仰らず、私にお任せください。ちょっとだけ頭を下げてもらって……ああ、このくらいでちょうどいいです。では暫くの間、目を閉じていただけますか?」
お湯を数回かけて湿らせた髪に、何やら上品な香りのするシャンプー液をかけられる。
「痒いところがあったら、遠慮なく仰ってください」
マリーの両手が私の髪をわしゃわしゃと洗う。
かと思えば頭皮を優しくマッサージしたり、絡まっている髪を丁寧に解したり。
死ぬほど気持ちがよくて、この時間が永遠に続いて欲しいと思う。
他人に髪を洗われるのが、こんなにも素晴らしいことだなんて初めて知った。
髪が終わった後は体。
お湯と似た香りのするソープと、ふわふわのブラシを使って全身を優しく擦られていく。
こちらも気持ちよすぎて、頭の中がぼんやりとし始める。
「む。体が随分と硬くなっていますね……これはお風呂から上がった後はマッサージコースです」
「そうですね……硬い肉は食べづらいと、お年を召したお客様からの苦情も多いですから……」
「……眠いのなら眠ってしまって構いませんよ。アニス様のお体はとても軽いので、私一人でも簡単に持ち上げることができます」
「そういう……わけには……」
何とか睡魔に耐えようとするものの、つい瞼を下ろしてしまい、私はそのまま意識を手放してしまった。