7.怪人メイド
メイドに頬をがしっと掴まれて、屋敷の中へ引き摺り込まれそうになる。
ユリウスがすかさず止めに入った。
「よせ、マリー!」
「止めないでください、ユリウス様。私にはこの瀕死の肌を蘇らせる義務があります」
「そんなものはないし、アニスの首がもげる!」
「え……アニス……?」
マリーと呼ばれたメイドは、私の顔をじぃっと凝視した。
その目は血走っていた。ぞくりと背筋が凍る。
「初めまして……ロートリアス男爵家の長女アニスでございます」
戸惑いつつも挨拶すると、マリーは真顔で首をこくんと縦に振った。
どういう意味の頷き?
それにいい加減手を放してもらえないだろうか……
「ユリウス様、この方があなたと婚約されるご令嬢なのでしょう? でしたら、尚更このガサガサな肌を何とかしなければなりません」
「ま……待ってください、マリーさん。婚約すると言っても、ユリウス様と私は……」
「あなたはちょっと黙っていてください」
「はい」
有無も言わせぬとは、まさにこのこと。
助けを求めるようにユリウスへ視線を向ければ、諦めろと言いたげに首を横に振られる。
「マリーはこういう性格なんだ。一度彼女に目を付けられたら、絶対に逃げられない」
「怪人の類いか何かですか?」
「うちのメイドだ」
この人、もしや天然なのかな。
「とは言え、アニスは馬車の移動で疲れている。ひとまず休ませてあげたい。それから屋敷の中を案内して……君への引き渡しはそのあとだ。いいな?」
「そういうことでしたら、構いません。疲れを放置するのは肌によくありませんから」
マリーは納得してくれたようで、屋敷へと戻っていった。
が、扉の隙間から顔だけ覗かせて、
「アニス様、その間に覚悟を決めておいてくださいね……」
不穏なことを言い残すと、今度こそいなくなる。
私は数秒ほど間を置いてから、ユリウスに問う。
「私……全身の皮膚を鳥皮のように、ベリベリッと剥かれるんでしょうか?」
「何だ、その物騒な喩えは」
「し、失礼しました。以前、フライドチキン専門店で働いていたことがありましたので……」
「安心していい。流石にそこまで過激なことはしないはずだ。……恐らくは」
最後に余計な一言を付け加えながら、ユリウスが扉を片手で開く。
てっきり大勢の使用人が仰々しく出迎えるかと思いきや。
玄関付近の掃き掃除をしていた他のメイドが、「おかえりなさいませ」とお辞儀をするだけだった。
ユリウスも、それに軽く返事を返す程度だった。
自分が外出から戻る度に、屋敷中の使用人を玄関に集めさせる父とは大違いだ。
「君の部屋はここだ」
案内されたのは、我が家の広間よりも広い一室だった。
ベッドは白い天蓋つき。
硝子製の透明なテーブルは、よく見れば脚が黄金で作られていた。
真新しいソファーや本棚、クローゼットも置かれており、窓からは庭園を見渡すことができる。
お飾りの妻に与えられる部屋にしては立派すぎる。
言葉を失っていると、ユリウスが気遣うような口調でこんな提案をしてきた。
「狭いと感じたのなら、もう少し広い部屋に変更することもできるが」
「いえ。この部屋で十分です」
「そうか。では一時間後、迎えに来る」
ユリウスはトランクを床にそっと下ろすと、部屋を後にした。
飲み物と菓子を用意すると言われていたが、それは断っておいた。
オラリア邸の豪邸ぶりに圧倒されて、喉の渇きも空腹も感じる余裕がなかったのだ。
二人掛け用のソファーに腰を下ろし、瞼を閉じる。
何だか夢みたいだ。
結婚する機会なんて消滅したと思っていたのに。しかも公爵となんて……
「夢に決まってるじゃない。世の中、そんなにお姉様の都合のいいように出来ていないんだから」
ソフィアが口元に手を当てながら、妖しく微笑む。
「そうだな、ソフィアの言う通りだ。私たちを差し置いて、そんな立派な屋敷に住むなど……そんな親不孝な娘は、いつか痛い目を見るぞ」
「なんて酷い娘なのかしら。やっぱり、あなたはソフィアの姉失格ね」
両親も蔑みの視線を向けてくる。
三人の言う通りだ。ユリウスも私よりもいい相手がいたと思う。
「……ス?」
いくら愛のない結婚と言えども、こんな地味な女を選ぶのは明らかな人選ミスだったと……。
「アニス、起きろ!」
「っ」
大きく体を揺さぶられ、そこで私は目を覚ました。
難しい表情をしたユリウスが、私の両肩を掴んでいる。
「も、申し訳ありません。眠ってしまっていました」
「いや、こちらこそ無理矢理起こしてしまった。すまない」
何だか、ろくでもない夢を見ていた気がする。
掌は汗でうっすら湿っていた。