61.似た者夫婦
「ユリウス様が……ですか?」
「はい。息抜きとして、時折お菓子を作っていらっしゃるのです。私はその指導係を務めております」
い、意外だ。
それに、ユリウスがそんなことをしているなんて全然気づかなかった。
目をぱちくりさせていると、
「アニス様がご存じではなかったのも無理はありません。……いえ。あなただけではなく、使用人の殆どが知らないでしょうね。お作りになるのは、厨房にユリウス様と私の二人しかいない時ですから」
「そうなんですか?」
首を傾げる私に、マリーは「味はとても素晴らしいのです」と言う。
そして遠い目をしながら、話を続ける。
「ですが、ユリウス様は形を綺麗に仕上げることが絶望的に下手くそ……あまり上手ではありません。アニス様が召し上がったクッキーも、そうだったのではないですか?」
マリーの問いに、私はコクコクと頷く。
確かにあのクッキーは、お菓子作り初心者が作ったような見た目をしていた。
「公爵家の当主の趣味がお菓子作り。ご本人としては気恥ずかしさがあるようで、このことは隠していらっしゃるのです」
「それじゃあユリウス様が、私にクッキーを分けてくださったのはどうしてでしょうか……?」
「恐らく特訓でお疲れのアニス様を、労わりたいと思われたのではないでしょうか」
「……そう、ですね」
だって、彼はとても優しい人なのだから。
しんみりとした気分に浸りながら美しい蝶々のクッキーを食べていると、ボーン……ボーン……と時計の鐘の音が鳴った。
すると、マリーが椅子から立ち上がった。
「少しの間、席を外します。ユリウス様にご報告をしなければなりません」
「報告?」
「アニス様の容態を報告するようにと、仰せつかっているのです」
「はい……」
「それと、アニス様に一つお願いがあります。私が先程の話をしたことは、どうかご内密に願います」
先ほどの話とは、恐らくユリウスのお菓子作りのことだろう。
「ユリウス様は、アニス様にだけは絶対に知られたくないようですからね」
「そ、そんな大事なことを、私に教えてしまってよかったんですか?」
「アニス様が他言なさらなければ、問題ありません」
「大丈夫です。誰にもお話しませんっ!」
私が力強く言うと、マリーは「よろしくお願いします」と返して退室した。
今後うっかり口を滑らせないように、気をつけないと……
翌朝あの死ぬ程苦い薬が効いたらしくて、体の調子はすっかりよくなっていた。
清々しい気分で背伸びをしていると、マリーが私の朝ごはんと例の薬を持って部屋にやって来た。
「あの……もう風邪は治ったので、薬は飲まなくてもいいかと……」
「ぶり返すといけませんので、しっかり飲みましょう」
そう言われてしまうと、何も反論が出来ない。
私は今日も強烈な苦みに耐えながら、粉末の薬を飲んだ。
ゴクゴクと水を飲んでいると、マリーが「薬をちゃんと飲めたご褒美です」と銀箱を差し出してきた。
それを受け取り、蓋を開けると見覚えのある形のクッキーが入っていた。
「これって……!」
「アニス様がどなたかからいただいた形の悪いクッキーをもう一度食べたがっていましたと、ユリウス様に昨夜お伝えしたのです。そうしましたら今朝、この銀箱をアニス様にお渡しするようにと命じられました」
マリーの言葉に耳を傾けながら、私は箱の側面をそっと撫でた。
仕事を中断して、わざわざ焼いてくれたのだろう。……こんな私のために。
「アニス様」
マリーが静かな声で私の名前を呼ぶ。
「あなたは、他者を気遣うことの出来る優しい心をお持ちです。ですがご自身のことも、同じくらい大切になさってください……」
どこか悲しげな表情のマリーに、私は少し間を置いてからゆっくりと首を縦に振った。
私がこのままオラリア家にいるべきではないという考えは、今も消えずにいる。
それでもユリウスの優しさとマリーの言葉に、心にのしかかっていた重圧が少し軽くなったような気がした。
……ユリウスに謝ろう。
不器用なところがある彼のことだ。どんな風に私に接すればいいのか、分からずにいるのかもしれない。
そう考えていると、思わず笑みが零れた。
実は私たちって、似た者夫婦なのかもしれない。




