2.ユリウスの来訪
広間には既に三人の人物が着席していた。
「遅いわよ、アニス! あなたの将来の旦那様が、わざわざいらしてくださったのに……!」
扇で口元を隠しながら、不機嫌そうに眉を顰める母。
昔は多くの男性を虜にしてきたらしい。しかし現在は頬と顎に肉が付き始めていた。
「お姉様ってほんと、そういうところがダメよね。お金と仕事のことしか考えていないからよ」
若い頃の母そっくりな美貌で、嘲笑を浮かべるのは妹のソフィア。
伯爵子息と結婚して、現在は彼の屋敷で暮らしている。……はずなのだが、どうして実家にいるのだろう。
「…………」
そして無言で紅茶を飲んでいる謎の男性。
年齢は私と同じくらいだろうか。
銀灰色の切れ長な瞳に、まっすぐ通った鼻筋。
夜を思わせる艶やかな黒髪。
それに背丈がすらりと高く、高貴な雰囲気を漂わせている。
「アニス、彼がオラリア公ユリウス様。お前と結婚したいと言ってくださったお方だ」
「え……?」
父から嬉々として告げられ、頭の中が真っ白になった
いや、この状況からしてそうではないかと予想していたが、本能が理解を拒んでいる。
あんな美丈夫、しかも高位貴族が私のような平平凡凡な女を選ぶはずがない。正気とは、とても思えない。
するとユリウスは椅子から立ち上がり、私に向かって頭を下げた。
「突然の申し出に混乱しているかと思うが、どうか許して欲しい」
「お、おやめください、オラリア公。そのようなこと……」
私の声は震えていた。
オラリア公爵家。
社交界に疎い私でも知っているほどの有名人。
このルソワール王国で最も有力な貴族とされ、その経営手腕は国王から一目置かれるほど。
それに比べて我が家──ロートリアス男爵家なんて、かつて没落寸前まで落ちぶれた弱小貴族。
身分があまりにも違いすぎる。
私が背中に変な汗を掻いていると、ユリウスは頭を上げて再び席についた。
「ではアニス嬢。早速本題に入りたいのだが、いいだろうか?」
「はい……」
私と父も着席すると、ユリウスは淡々とした口調で説明を始めた。
婚姻は婚約から一ヶ月後。
結婚式等の催しは行わない。
私が望むのなら、オラリア邸ではなく実家で暮らしても構わない……
彼の話を聞きながら、私は首を傾げていた。
婚約してから一ヶ月で結婚なんて早すぎる。
式も挙げるつもりはないようだし、「結婚出来ればそれでいい」みたいな雰囲気を感じる。
この結婚、もしかして……
ある疑念を抱いていると、ユリウスは私の顔をまっすぐ見据えながらこう告げた。
「そして最後に……これが一番重要なことだ。私は君が妻になろうが、一切干渉するつもりはない。なので君も私には干渉しないでもらいたい」
白い結婚。
つまりそういうことだろう。
私が彼の申し出に返答しようとすると、ソフィアが小さく吹き出すのが聞こえた。