9.迷惑な送迎
翌日、私は早速昨日の続きに取り掛かった。途中まで書きかけていた文字の続きから始めて、緻密で複雑な模様を描いていく。
これは今研究中の特殊魔法だ。今は滅んでしまっているネーロ国の古代文字を美しい幾何学模様に配置しながら細かく書き込んでいき、仕上げに魔力を込める。こうすれば、魔法効果を発揮する紙ができるのだ。今まで希少で高価な魔石にしか魔力を込めて魔法を発動させられなかったので、もしこの研究が実を結べば、もっと安価で大量生産が可能な紙を通して誰でも手軽に魔法が使えるようになるのだ!
だけどその為には、今となっては誰も解読できない文字では扱いづらい事この上ないし、作るのも一苦労だ。何とか書かれている文字の意味を理解し、あわよくばヴェルメリオ国の文字に置き換えて簡単に作れるようにならないかと、日々試行錯誤を繰り返している真っ最中なのである。
(成程ここの文字列は魔法の発動まで魔力を保持しておく効果があるのね! 次はここの文字を変えてみよう!)
文字の一部を少しずつ変更して、その結果から文字の役割を把握する地道な作業を繰り返しているせいで、私の机の上には実験済みの紙がどんどん積み上がっていく。根気の要る作業だけど、努力した分だけ少しずつ仕組みが分かってくるので、全く飽きないし凄く楽しい。
「エマ!! もう昼だぞ!!」
だけどそんな楽しみを邪魔されてしまって、私は膨れっ面で顔を上げた。
「何よマーク……。まだお昼じゃない。それがどうかしたの?」
「休憩だ! 食堂に行くぞ! 昼食をちゃんと食べろ!」
「一食くらい抜いたって平気よ。そもそも何であんたがここに居るの?」
「お前が自分でちゃんと休憩を取らないからだ!」
私の机の前で腕組みをして仁王立ちし、私を怒鳴り付けてくるマークの後ろで、何故か研究員の部下達が感動したように目を潤ませている。
「モルガン所長の類稀な集中力を、途切れさせる事ができるなんて……!」
「まだ耳が痛いや……。あんな大声、初めて聞いたよ……。あれなら流石のモルガン所長も気付く訳だ」
「これってもしかして、愛の力なんじゃない!?」
「いやそれだけは絶対に違うから!」
目を輝かせて訳の分からない解釈をしている部下に、思わず反射的に突っ込んでしまった。
「エマ、折角モルガン総帥が昼食に誘いに来てくれたんだ。一緒に休憩に行って来い」
「ええ? 嫌よお兄様。お昼ご飯を食べている時間があったら、少しでも研究を進めたいわ」
「駄目だ! 一旦休憩して、食事はちゃんと摂れ! 研究の続きはそれからだ!」
お兄様に研究室を追い出されてしまい、私は渋々マークと魔法研究所の食堂に向かう。
前回何時来たのか思い出せない程滅多に来ないお昼時の食堂は、ローブ姿の研究員達でいっぱいだった。その中で一人騎士団の軍服を着ているマークは、明らかに浮いていて目立つ事この上ない。
「何もあんたまでここで食べなくても良いんじゃない? 騎士団棟の食堂に戻って食べなさいよ」
「お前はちゃんと見張っておかないと、食べた振りをして研究室に戻って研究の続きを始めかねないと、ベネット副所長が言っていた」
(お兄様……余計な事を……)
考えが見透かされていて、私は内心で舌打ちする。
「それにしても、そのサンドウィッチにコーヒーだけでは、量が少なくないか? もう少ししっかり食べた方が良いぞ」
数切れのサンドウィッチとコーヒーが乗った私のトレーを見ながら、マークが顔を顰める。
「いつもお昼は食べないんだから、これでも食べている方よ。体力お化けのあんたと一緒にしないでちょうだい」
マークのトレーには分厚いステーキやポテトが山盛りになったお皿が所狭しと並んでいて、見ただけで胸やけがしそうになる。
適当に空いているテーブルを見付けて、席に座って食べていると、どうも周囲から視線を感じる。
私が珍しく食堂にいるからだろうか? それとも向かいの席に座っているマークが目立つから? あ、今まで喧嘩ばかりしていた私達が一緒に居るからかな? 心当たりが多過ぎて分からないが、どうにも食べづらくて仕方がない。
「マーク、こんな事は今日だけにしてよね」
「馬鹿を言うな。こうでもしないと、お前は昼食を摂らないだろう。これからは毎日来るからな」
「はあ……!?」
これから毎日こんな目に遭わなければならないのかと思うとゾッとする。文句を言おうと口を開きかければ、その前にマークに機先を制された。
「因みにベネット副所長の許可は得ている。魔法研究所内に関しては、俺は顔パスにしてくださったそうだ」
(何でよ、お兄様!?)
私は顔を引き攣らせながら、研究室に戻ったら真っ先にお兄様に文句を言ってやろうと決めた。
あれだけお皿に山盛りになっていた食事を、マークは私がサンドウィッチを食べ終わるよりも早くペロッと平らげ、私が食事を終えるのを待って研究室まで送ってくれた。自分が食べ終えた時点で、さっさと騎士団棟に戻れば良いのに。何処まで私を見張る気なんだか。
私が研究室に戻った時には、お兄様はまだ昼休憩から戻っていなかった。仕方なく文句を言うのは後回しにして、早速研究の続きを再開する。
「エマ!! 帰るぞ!!」
そして夕方、またもやマークに邪魔をされた。時計を見ると十八時過ぎ。確かに就業時間は終わっているが、何もこんなに早く来なくても良いのに。
と言うか、迎えに来てくれなんて一言も頼んでいないのだが。
「あんただけ先に帰ったら? 私はもう少し残業していくわ」
「駄目だ! お前が今また作業を開始したら、気付いた時には明日の朝になっているだろうが!」
昨夜のようにお兄様にペンを取り上げられ、私は頬を膨らませる。
「お兄様! 何でマークを顔パスにしたのよ!? ここは機密情報もあるから、部外者は立ち入り禁止でしょう!?」
「一度集中したら並大抵の事では反応しなくなるお前に呼び掛けられる唯一の人物だからだ。俺達がこんな人材をどれ程待ち望んでいた事か……!!」
お兄様は目頭を押さえたかと思うと、マークの手を両手でがっしりと握り締めた。
「モルガン総帥! 貴方のお蔭でエマに漸く普通の人間らしい生活をさせられる希望が湧いてきました! 貴方にならエマを任せられる! 色々と手がかかる妹で大変だと思いますが、俺もできる限り力になるので、どうかエマを宜しくお願いします!!」
「えええ!? お兄様!?」
驚いている私を余所に、マークはお兄様の手をがっちりと握り返す。
「はい! 任せてください! 俺が必ずエマにまともな生活をさせてみせます!!」
「ちょっと待ってえぇぇぇ!?」
まともな生活とは一体何だ。私は今でもまともな生活を送っているつもりだぞ!? 当の本人抜きで、二人で勝手な話を進めないで欲しい!!
「ありがとう!! 貴方のような方が義弟になってくれて本当に良かった!! マークと呼んでも!?」
「勿論です! そう言っていただけて光栄です、アラスター義兄上!!」
駄目だ。この二人、私の話を聞いてやしない。
……そして何か知らんが、目の前で男の友情とか言うものが生まれる瞬間を見てしまった気がした。
(これからどうなってしまうんだろう、私……)
遠い目で現実逃避をしていた私は、気付けばお兄様に見送られたマークに研究室から連れ出され、家に帰る馬車に運び込まれてしまっていた。
そして連日、マークは宣言通り、お昼の休憩時間と帰宅時に魔法研究所に現れるようになる。
初めのうちは戸惑いながらも遠巻きにしつつ好奇の視線を送っていた研究員達も、数日も経てばマークの顔を見るなり私の居場所に案内するようになり、微笑ましげに私達に生温かい視線を送ってくるようになってしまった。しかも週末になる頃には、マークが私にベタ惚れしていて片時も離れたくないが為に魔法研究所に押し掛ける程仲睦まじい新婚生活を送っていると言う、全く以て根も葉もなく大迷惑でしかない噂が、まことしやかに囁かれるようになってしまったのである。
「いやー、愛されてますねぇモルガン所長!」
「違うわよ! そんなんじゃないんだってば! 寧ろ私は迷惑しているんだから!」
「またまたぁ。照れちゃって素直じゃないですねぇ!」
「偶には笑顔で感謝の気持ちを伝えてあげたらどうですか? モルガン総帥、きっと喜びますよ!」
「だから違うんだってばあぁぁっ!!」
全力で否定しても照れているだけだと勘違いされているこの状況、私に一体どうしろと……!
そして更に腹が立つ事に、研究員達の揶揄いの被害に遭うのは、魔法研究所に常駐している私だけで、用が終わればすぐに立ち去ってしまうマークは、こんな噂が流れつつある事を気にも留めていないようなのである。
(何で私がこんな理不尽な目に遭わなければいけないのよ!! 私の心の平穏を返せ!!)