42.突然の異変
翌日、マーク率いる第三騎士団と、私に同行してくれた魔術師達と、キンバリー辺境伯率いる国境警備軍は、北の山の麓に広がる森で合同訓練を開始した。
因みに、騎士団と魔術師達は、王都で留守を守る人員も必要な為、責任者は兎も角として、極力毎年違うメンバーが選出されるのだ。去年とは全く違う編成隊で、私達は森に足を踏み入れる。
風魔法で周囲を探りながら暫く進んで行くと、右前方に魔獣の気配がした。皆に伝えて警戒しながら向かうと、大きくて長い牙を持つ、巨大な猪のような魔獣が居た。
ブオォォォッ!!
こちらに気付いた途端、唸り声を上げながら猛スピードで突進して来る魔獣から、皆間一髪で飛び退いて避けた。あの巨体の体当たりをまともに食らったり、立派な牙に切り裂かれたりしてしまったら、間違いなく重傷を負ってしまい、下手をしたら命を落としかねないが、魔獣の動きが直線的なので読みやすい。
「また来るわよ!」
魔獣が方向転換し、再びこちらに突進して来る。魔獣の脚に狙いを定め、風の刃で切り裂いた。辺りに血が飛び散り、魔獣の動きが鈍くなる。
「ウッ……!?」
魔獣の血の臭いがしたと思った瞬間、何故か強烈な吐き気を感じた。
(き、気持ち悪い……!)
堪らず私は、その場に蹲ってしまう。
「モルガン所長!? 大丈夫ですか!?」
私の異変に気付いた隊のメンバーが駆け寄って来る。一瞬、魔獣が発する毒の類の可能性が頭を過ぎったが、私以外のメンバーが何ともない様子で動けている所を見ると、吐き気を感じているのは、どうやら私だけらしい。
「大……丈夫、それより、止めを……!」
懸命に吐き気を堪えながら伝え、魔獣に止めを刺してもらった。首を刎ねられた魔獣の血の臭いが濃くなると、再び強烈な吐き気が込み上げ、今度は堪え切れずに少し吐いてしまった。
「モルガン所長!! どうしたんですか!?」
「大丈夫ですか!?」
皆が集まって来て心配してくれる。
(何で……!? ここの所、確かに残業続きだったし、長旅の疲れもあるかも知れないけど、こんな事今まで無かったのに……!)
徹夜続きの直後に魔獣討伐に出た時だって、平気で魔獣を倒しまくっていたのに、マークの影響で体調に気を付けて万全を期すようになった今、どうしてこんな事になってしまったのだろう。マークに貰った疲労軽減の首飾りだって、ちゃんとローブの下に着けているのに、と肩で息をしながら混乱する。嘔吐して少しだけ楽になったものの、吐き気は一向に治まってくれない。
「一旦戻って、救護班に診てもらいましょう。発煙筒で連絡してくれ!」
「はい!」
連絡用の発煙筒から、緊急事態を知らせる赤い煙が空に立ち上っていく。これで森の外で待機している救護班が迎えに来てくれるだろうし、近くに別の隊が居れば、応援に駆け付けて来てくれる筈だ。
「……ごめん、なさい。私の、せいで……」
体調管理はできていたつもりだったのに、よりによってこんな時に皆に迷惑を掛けてしまって、本当に情けない。貴重な合同訓練の機会を、私のせいで無駄にさせてしまい、皆に合わせる顔が無くて、涙が込み上げてくる。
「気にしないでください。これも手負いの仲間を連れて、退却する訓練になりますから」
「そうですよ。これも貴重な体験です」
皆の優しさが身に染みる。と同時に、別の魔獣の気配を感じてしまった。
「……ッ!」
咄嗟に魔獣が来る方向を指差して皆に伝える。現れたのは、長くて太い刺のような針を持つ、蜂のような魔獣の集団だった。
「嘘だろ……っ!?」
「こんな時に!?」
「数が多過ぎるわ! どうしたら良いの!?」
あの太い針に刺されてしまったら魔獣の毒で全身に激痛が走り、即座に戦闘不能になってしまうだろう。しかも魔獣の数が多い。普段なら私が結界魔法を使っている所だが、吐き気に加えて目眩までしてきて、もうまともに魔法が使えそうにない。
(どうしよう……!!)
絶体絶命だ、と思ったその時、強烈な炎が魔獣を襲い、その殆どが黒焦げになった。
「大丈夫か!? 何があった!?」
(マーク……!!)
来てくれたのは、マークが率いる隊だった。心強い援軍に、これでもう大丈夫だ、と皆で安堵する。
「モルガン総帥! モルガン所長が、急に体調を崩されて……!」
「エマ!?」
マークはすぐに私の所まで駆け付けて来てくれた。
「エマ、どうしたんだ!? しっかりしろ!!」
「モルガン所長を救護班の所にお連れしようとしたのですが、あの魔獣が現れて……!」
「そうか、エマは俺が連れて行く。お前達はそいつらの相手を頼む! 倒したら直ちに全員退却しろ!」
「「「はい!」」」
マークは皆に指示を出すと、残りの魔獣の相手を皆に任せ、私を抱き上げて走り始めた。
「エマ、大丈夫か!?」
「ウッ……!」
運ばれる振動が胃を直撃する。私が吐きそうになった事に気付いたのか、マークは速度を落としてくれた。
「エマ、もう少しの辛抱だ。すぐに救護班の所に連れて行ってやるからな!」
極力振動を抑えながら走るマーク。だけどその頭上から、鋭い嘴と鉤爪を持つ、鷹のような魔獣が私達を狙って急降下して来るのが見えてしまった。
「マーク……!!」
「ッ!!」
私に気を取られていたのか、マークの反応が遅れてしまった。私を抱き上げているせいで両腕が使えない為か、マークは咄嗟に魔獣から庇うように私を抱き締めた。
(止めて!!)
鋭い鉤爪がマークの背中を襲おうとした瞬間。
バチイィッ!!
強烈な音が響いて、魔獣が跳ね返された。私達の周囲を覆う強力な結界に、私は目を見開く。
「これは……エマ、お前か?」
顔を上げ、結界に気付いたマークが尋ねる。
「違うわ……それ……」
私は魔力の源を感じる、マークの胸元を指差した。服に隠れて見えないけれども、そこには以前、私がマークにプレゼントした、防御効果を付与した魔石のピンバッジがある筈だ。
「あ……、お前から貰ったピンバッジか。ありがとう、助かったよ!」
「着けて、くれていたのね……」
「当たり前だ。さっき魔獣を焼き払った火魔法だって、お前に貰ったカフスボタンで増強したんだからな」
そう言われて見てみると、マークの軍服の袖口に、私がプレゼントしたカフスボタンが着けられている。マークが実際に使ってくれているのを目にして、嬉しくて胸が温かくなった。
「これなら魔獣を気にしなくて済むな。エマ、しっかり掴まっていろよ!」
マークが私をしっかりと抱え直し、再び森の中を駆けて行く。私は目眩と吐き気を堪えながら、マークに身を委ねた。慎重に急いで運んでくれているマークに感謝して安心しながらも、私の視界は段々と暗くなっていった。




