40.両家の橋渡し
「マークの馬鹿! もう知らないんだから!」
「すみませんでした。調子に乗り過ぎました。許してください」
注目を避けたいと食事スペースに避難し、顔を赤く染めてプリプリ怒りながら、やけ食いするかのようにテリーヌを口に運ぶエマの正面の席で、俺はテーブルに頭が着く程深々と頭を下げる。
「私がどれだけ恥ずかしい思いをしたか、ちゃんと分かっているの!?」
「はい。反省しています」
勿論反省はしている。だが後悔はしていない。
会場に足を踏み入れた時から、エマは視線を集めまくっていた。当然だ。着飾ってしっかりと猫を被ったエマは、誰もが見惚れる程の完璧な淑女なのだから。
そんなエマを妻にした身としては、周囲を威嚇し、牽制せずにはいられない。俺達夫婦の仲を国王陛下にご覧に入れるという目的は勿論の事、ここぞとばかりに他の連中にも仲が良い事を見せ付けて、エマに声を掛けたそうな男連中や、エマに嫉妬している女性陣に、付け入る隙など無い事を知らしめておく。ついでに念願だったエマとのダンスを三連続で踊れたのは役得だった。
そこまでならエマも良かったのかも知れない。問題はその後だったのだろう。
ずっと心に引っかかっていたので、アランにも『幻の令嬢』の正体を明かす事にしたが、まさかあんなに驚くとは思っていなかった。お蔭で注目を浴び、エマに怒られる羽目になってしまった。
だが、その甲斐はあったようだ。先程、父上達が開いた夜会で俺に言い寄って来ていた令嬢が、目を潤ませながら庭に出て行くのが見えた。これで漸く、俺達を夫婦と認めた事だろう。
彼女の気持ちを思うと、悪い事をしたような気になるが、彼女にも早く他の相手が現れて、幸せになってくれる事を願う。心配そうな表情でそっと彼女の後を追う若者も居たから、恐らく彼女は彼に任せておけば大丈夫だろう。間違っても、追い掛けて慰めるのは俺の役割じゃない。
エマが俺の長年の想い人だったのだと、この夜会で知らしめたのだから、もう誰も俺達夫婦の仲を疑ったり、邪魔したりする者は居なくなる筈だ。エマが変に勘違いしたり、邪推したりして、離婚だなどと言い出されるのは、もう二度と御免である。
そんな事を考えつつ、ひたすらエマに謝罪していたら、頭上から大きな溜息が聞こえた。
「……もう良いわ。起こってしまった事は仕方ないもの」
諦めたような声に、俺は勢い良く頭を上げる。
「許してくれるのか!? エマ!」
「その代わり! 私は当分夜会になんて出席しないんだからね!」
「ああ、分かった!」
元々夜会嫌いのエマが、当分夜会に出席しないなんて最初から想定内だ。今日の国王陛下の夜会には出席したのだから、後はどうとでもなるだろう。
エマに許してもらえて胸を撫で下ろした俺は、暫しエマと極上の料理を楽しむのだった。
「うう……苦しい……食べ過ぎた……」
ナイフとフォークを置き、エマが苦しそうにお腹を擦る。
「食べ過ぎたって、いつもよりも食べていないくらいだと思うが……、大丈夫か?」
「フローラにもうちょっとコルセットを緩めてもらうべきだったわ……」
残念そうにデザートコーナーに視線を向けているエマに苦笑する。
「お前達、こんな所に居たのか」
その声に顔を上げると、父上と母上が歩み寄って来ていた。
「お義父様、お義母様」
立ち上がろうとするエマを、母上が制する。
「良いのよ。マークと沢山踊って、疲れたのでしょう?」
「ご覧になっていらっしゃったのですね」
恥ずかしそうに頬を染めるエマが可愛い。
「二人共、ここに居たんだな。……ん?」
タイミングが良いのか悪いのか、義父上と義母上も来られてしまった。長年いがみ合ってきたケリー公爵家とベネット公爵家の現当主の邂逅に、周囲に緊張が走る。
「……ケリー公爵もこちらにおられたのですな」
「息子夫婦の仲が良いようで、何よりだと思いましてな」
「確かに」
一言二言とは言え、普通に会話している父上達に、周囲がざわつき始める。
「ケリー公爵と、ベネット公爵……!?」
「以前はお互いを認識した瞬間に、顔を逸らせる程だったのに……!?」
「あのお二人が普通に会話されている所を、今日初めて見ましたわ……!」
ざわめきが広がる中、当の本人達は何処吹く風だ。
「何やら騒がしいと思ったら、其方達か」
どよめきが走ったかと思うと、国王陛下までこちらに来られてしまった。会場の隅で目立たない場所にある筈の食事スペースは、今や会場中の注目の的だ。俺達は揃って頭を下げる。
「良い。ケリー公爵とベネット公爵が、普通に話している所を見られるとは思わなかったぞ」
満足げな国王陛下に、父上達は気まずそうに顔を見合わせる。
「我々の不仲で、国王陛下には長年ご心労を掛けさせてしまいました事、切にお詫び申し上げます」
「誠に申し訳ございませんでした」
父上の謝罪に、義父上も一緒になって頭を下げた。
「構わぬ。私こそ、王命で強引に二人を纏めてしまった事を詫びなければならぬ」
「いいえ、国王陛下のお蔭で、娘は良き伴侶に恵まれました。心から感謝申し上げております」
「息子も、長年の想い人と結ばれる事ができ、心より喜んでおります。国王陛下のご配慮に感謝致します」
父上達の言葉に、国王陛下は安堵したように口元を綻ばせた。
「ならば良かった。今後は双方、お互いを尊重してくれれば何よりだ。両家は我が国にとって、無くてはならぬ柱だからな」
「畏まりました。国王陛下のお言葉のままに」
「必ずや実現させてご覧に入れましょう」
公式の場で和解を約束した父上達に、どよめきが起こる。驚きの表情や、安堵の笑顔が会場に広がっていく中、国王陛下は表情を緩めた。
「そうか。今後の両家に期待しているぞ」
「はい」
「有り難き幸せ」
国王陛下は踵を返しつつ、ふと思い出したように振り向いた。
「王命で政略結婚させてしまったとは言え、モルガン伯爵夫妻の仲が本当に良いようで安心したぞ」
国王陛下の言葉に、俺は満面の笑みを見せた。
「はい。お蔭様で、毎日妻と幸せに過ごしております」
「そうか。まさかモルガン総帥に惚気られる日がくるとは思わなかった」
愉快そうに笑いながら、国王陛下は立ち去った。まだ騒がしい周囲に辟易しながらも、両家の橋渡しになるという役目を果たせて、肩の荷が下りた心地になる。エマと共に喜びを分かち合いたいと思って隣を見ると、エマは顔を真っ赤にしていた。
「マーク……! あんた全然分かっていないし、反省もしていないでしょう!?」
羞恥のあまり涙目で打ち震えるエマが可愛いかったが、流石に今それを口にしてしまったら、エマの怒りに油を注ぐだけである。怒りが再燃してしまったエマの機嫌を取るのに苦労しつつも、そんな事でも幸せだな、と俺は思ってしまうのだった。




