34.不安と後悔
日が暮れるのが日に日に早くなっていき、やがて冬が到来した。
夜が長くなるこの季節は、犯罪が増えやすいらしく、騎士団が繁華街の見回り等を強化して対応してくれている。その所為か、マークも何だか忙しそうだ。
「最近は大変そうね、マーク。疲れているみたいだけど大丈夫?」
帰りの馬車の中で、疲労した様子のマークを労わる。マークが帰りに迎えに来てくれる時間が以前より遅くなっているので、私も彼の仕事量が増えているのが如実にわかる。
「ああ。まあ、年末が近付いてきているから、何処もそうなんじゃないか? 一年の締めとか、経費精算とか……。エマはどうなんだ?」
「私はそれ程でもないわ。お兄様が色々やってくださっているから……」
一年の成果の纏めとか、経費の計算とか、各種書類の確認とかは、副所長であるお兄様がほぼ捌いてくださっている。私も所長の確認が必要な物はしているが、殆どの時間は魔法研究に専念させてもらっている。本当に有り難い事だ。
「あ、でも溜まってきた魔法研究の試作品の数々は、いい加減整理しろって言われていたんだった……」
ちょっと嫌な事を思い出して、私はガクリと項垂れた。
特殊魔法の研究に使っていた試作品の紙が、机の上だけでなくその周囲にも天井に届きそうな程の量が、幾つも積み上がっているのだ。先日は遂に雪崩を起こしてしまって、年末までに処分しろとお兄様に怒られた事を思い出してしまった。もし年明けにも残っているようなら全部燃やしてしまうとまで脅してきた所を見ると、普段寛容なお兄様も相当腹に据えかねているようだった。早急に溜まっている分をきちんと記録して、全部廃棄してしまっても問題無いようにしておかないと。
「そうか。やっぱり何処も大変なんだな」
やけに実感が込められた声でそう言うと、マークは向かいの席から私の隣に移動して来て、ギュッと抱き締められてしまった。
「え、ちょっと、マーク?」
急に抱き締められて、私は顔を赤くして戸惑う。
「今日は特に疲れたから、エマに癒してもらおうと思って」
すりすりと頬擦りしてくるマークに、私は真っ赤になって硬直する。
「そっ、そうなの。じゃあ、今日は相当疲れているみたいだから、帰ったらすぐに休みましょう」
「ああ。でも少しだけ抱かせてくれ」
「……」
これである。
疲れているならさっさと寝れば良いのに、マークは私を抱いた方が疲れが取れると言うのだ。マークと夜の営みをするのは、まあ……別に嫌ではないが、平日は絶対に一回だけと制限している。そうでないと、マークの体力に付き合い切れない私の方が疲労困憊になってしまう。
今週末も魔法薬を作り溜めしておかないと、在庫が心配だ。過剰在庫の心配をしていた以前が嘘のようだと思いながら、私はこっそりと溜息をついた。
そんな色々と忙しかった年末を何とか乗り切り、無事に新年を迎えた。一日ずつ、それぞれの実家に簡単に挨拶に行って、後はいつも通りの休日を過ごす。
「良かったわね、アリスお義姉様。でも体調は大丈夫かしら?」
「今は悪阻が酷いから挨拶は来られないって連絡があったらしいしな。少し心配だな」
久し振りにマークと向かい合ってゆっくりとお茶をしながら、私達はアリスお義姉様を案じていた。
ケリー公爵家に挨拶に行った時に、アリスお義姉様の懐妊が分かったとお義父様とお義母様に知らされたのだ。アリスお義姉様はなかなか子供ができなくて悩んでいたらしく、妊娠をとても喜んでいるそうだ。新年早々おめでたい話で私達も嬉しくなったが、悪阻が酷いそうなので心配だ。
「まあ、こればっかりは俺達が何とかしてあげられる訳でもないだろうしな……」
「そうね……」
幸い、アリスお義姉様の嫁ぎ先であるランドルフ侯爵家の方々が、総力を挙げて介抱されているとの事なので、お任せしておけばきっと大丈夫だろう。私達にできる事はせいぜい、何とか今を乗り切って、無事に元気な赤ちゃんが生まれるよう祈る事くらいだ。
(何時か私達にも、赤ちゃんができるのかな……?)
自分の薄いお腹に、そっと手を当てる。
私もマークと子供ができる行為をするようになったのだ。何時妊娠したって不思議じゃない。
だけど私は、元々子供どころか結婚するつもりすらなかったのだ。魔法研究に夢中になるあまり、不規則な生活をしまくっていたし、生理なんて煩わしくてこない方が良いとしか思っていなかった。マークと結婚して、ある程度規則正しく生活するようになり、以前と比べれば生理もまともにくるようになったが、偶にこない月もあったりと、まだ不規則である事に変わりはない。
(……こんな私が、ちゃんと妊娠できるのかな?)
今となっては、不安で仕方がない。
マークの夢である『温かな家庭』には、きっと子供も含まれているのではないだろうか。その子供を、私はちゃんと産んであげられるのだろうか。
『ねえ、マークは……子供が欲しい?』
そう訊こうと口を開きかけたけれども、やっぱり勇気が出なくて、止めてしまった。
欲しい、と言われても、こればかりは授かりものなので、私にはどうする事もできない。
(……もし、生理がこない程の不規則な生活をしていたせいで、妊娠できなかったら……?)
そんな考えが浮かんで、ゾッと背筋が寒くなった。もう少し生活に気を遣っていれば良かったと、後悔の念に駆られる。
結婚して何年も子供が生まれなければ、不妊を理由に離婚されてしまう事例もある。マークがどうしても子供が欲しくて、愛人を作る可能性だってある。
(そんなのは嫌!!)
思わず叫び出したくなる程、強く思った。以前、自分でマークに愛人を進めたり、離婚を提案した事もあったくせに。
だけど、マークと想いを通わせ、抱かれる喜びを知った今となっては、そんな事は考えたくも無かった。誰か他の女の人と一緒に居るマークを想像しただけで、辛くて悲しくて胸が張り裂けそうになる。
「……どうかしたのか? エマ。さっきから手が止まっているけど」
「え……あ、何でもないわ」
マークに訊かれて我に返った私は、慌てて作り笑いを浮かべて、ベネット公爵家に新年の挨拶に行った時に、お土産に両親から貰ったマドレーヌを再び口に運んだ。
「……本当に? 何か悩み事があるなら、俺に相談してくれよ?」
「う……」
鋭い。まるで私の心を読んでいるかのようだ。
じっと私を見つめてくるマークに舌を巻きながら、マドレーヌを飲み込んだ私は、渋々口を開いた。
「……わ、私達にも、赤ちゃんできるのかなって……。もしできなかったら、どうしようって思って……」
「え、お前子供欲しかったの!?」
驚いたように目を丸くするマークに、私が目を丸くする。
「え、マークは子供欲しくないの?」
「いや、俺は欲しいけど……、お前は多分、魔法研究に集中したいから要らないって言いそうだと思っていたんだ」
「あ、ああ……まあ……」
確かに、以前はそう思っていた事もある。
「でも、マークが欲しいなら、産んであげたいなって思って……。だけど、私は不規則な生活をしていたし、その……こればかりは授かりものだから、どうしようもないなって思って……」
項垂れながらぽつりぽつりと話していたら、マークが立ち上がってテーブルを回り込んで来て、後ろから抱き締められた。
「エマがそんな事考えてくれていたなんて、凄く嬉しい。確かに俺は子供も欲しいけど、今の生活も最高に幸せなんだ。何てったって、エマを一人占めできるんだからな。子供ができたら、そうはいかないだろう?」
「ちょ、ちょっと何言っているのよ、マークったら!?」
何故か耳元で甘く囁かれて、私は赤くなりながら慌てる。
「でもエマが子供が欲しいと思っているなんて、知らなかったな。そうと分かれば、俺も全力で協力しないとな」
(ん?)
ご機嫌なマークに、何だか不穏な気配を感じた次の瞬間には、私はマークに抱き上げられていた。
「えっ、ちょっとマーク、下ろして!」
「子供は授かりものだけど、俺達が努力する事はできるぞ。まあ、もし子供が授からなくても、俺はエマが居てくれればそれだけで幸せだから、気にするな」
「ちょっと! 下ろしてってばー!」
じたばたと私が暴れても、マークは全く意に介さず、昼間から寝室に運び込まれてしまった。
……マークの言葉は嬉しかったし、私も気持ちは軽くなったけれども……、どうしてこうなった、と思わずにはいられなかった。




